第十六話 不穏な足音
「どうしたのですか、姫さま」
「色々あって、あたしの元に届く恋文はほとんどないじゃない?」
「そうですわね」
「でも、これ、どう思う?」
月姫はその文を朝扉に見せた。
「これは……
「そうなのよ。……どうしよう? 恋文に見えない?」
「見えます」
知る知らぬ見もせぬ人の恋しきを雲隠れする月を見やりて
(あなたはご存知でしょうか。いや、ご存知ないでしょう。お会いしたこともないあなたを、これほど恋しく思っていることを。雲に隠れてしまう月を見て、姿を見せないあなたのことを思っております。)
「この文、どうしたらいいかしら」
月姫が呟くと、「返事をした方がよいと思う」という声がして、振り向くと
「お兄さま」
「
「分かりました、お兄さま」
そう言って月姫は返歌をしたためた。
をとにのみ聞くばかりにて遥かなる山におはする君は見えずも
(すばらしい方だというお噂を耳にしております。手の届かないところにいらっしゃるあなたですから、あたしは見ることが出来ません。)
月の晩、月姫は
『月白さま』
『久しぶりだな。……第七階層はどうだ?』
『ええ。人々は自然に溶け込んで、そして豊かな文化を築いております』
『なるほど。記録しておこう』
『よろしくお願いします。……あの、月白さま、質問があるのです』
『どうした?』
『あのう、好きってどういうことでしょう?』
『……
『第一階層にいたときにはなかった感情が、あたしの中にあるのです』
『なるほど。……第一階層にいて、お前が〔
『たぶん。何となく』
『……ほう』
『月白さま、愛とはどのようなものでしょう? 好きとはどう違うのでしょうか』
『その答えは自分で見つけるとよいぞ。……好きという感情は分かったのかな?』
『たぶん』
『……〔
『必要に応じて使いましたが、ほとんど使っていません。今回、トラブル解決のためにも使いました。――そこで、新しい使い方を学びました』
『それはよかった。……では、月姫。お前が
『――え?』
『三年、ということだったが、それはあくまでも目安で、贖罪が済み、お前が学ぶべきことを学んだのなら、それでいいのだよ』
『だけど』
『お前も、三年は長いと言っておっただろう? 早く第一階層に戻りたいんじゃないのかい? 一時期はトイレがどうのお風呂がどうのと言っておったではないか』
それはそうだけど、でも。
『では、また次の報告を待つ』
通信は途絶えた。
そして月姫は、第一階層に戻りたいと自分が思っていないことに、驚いていたのである。
あたし、帰りたくない。
……ここにいたい。
月白との交信をした翌朝、目覚めると
「
「月姫さま! あたしあたし、結婚出来なくなったかもしれません」
「え?
「伊吹、他の女と文のやりとりをしていて、
「
姉のような存在の
「
伊吹が
雪音は左大臣
いやいやちょっと待って。そもそも、伊吹が左大臣家に足繫く通っていたのは、本当は
月姫はそう思い、目を閉じて考えを巡らせた。
この第七階層第八エリアでの噂って怖いわ。あたかもそれが真実であるかのように出回るんだから。
でも、嘘も含まれているわよね、噂。
あたしのときみたいに。
でも、上手に、真実に嘘を染み込ませるから、もっともらしく聞こえるのよ。
今回の場合、伊吹が左大臣家に足繁く通っていた、それは女のためだった、という真実があって、その女は
いずれにせよ、伊吹本人に話を聞くのが一番いいのだけど、
月姫はそう思い、先日使った〔
第一階層にいるときは、自分のことを好きになってくれるようにしか、使わなかった。だけど、この能力には、自分の意図することを相手にさせる力もあるみたい。
「よし!」
月姫は策略を練った。
あたし、頑張るから。
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