第十三話 桂城帝、動揺する

「え? 何だって? もう一回言ってくれるかい?」

 桂城帝かつらぎていはあまりに驚いて、そう言った。


「はい。月姫つきひめが『竜の首の宝玉』を取って来た人と会う、と言っております」

 孝真こうまが苦虫を潰したかのような顔で言う。

「……会う……それはその」

 どういう意味だ? 男女の仲においては、その……一夜を共にするという意味でもあるのだが。

 みかどが顔を赤くして口元を押さえていると、孝真こうまが「月姫には、今、帝がお考えになっていらっしゃるような意図はないと思われます」と真面目くさって言った。


孝真こうま。お前、おもしろがっていないか?」

 桂城帝かつらぎてい孝真こうまの口元が少し緩んだのを見て、そう言った。

「そんなこと、ありませんよ。……実際、困っています」

 孝真こうまは口元には笑みを浮かべつつ、眉根を寄せて言った。

 父の左大臣充真みつざねはこの話を聞いて、卒倒しそうになったと聞く。

 月姫が「『竜の首の宝玉』を持って来た方と結婚するわ」と言ったと勘違いしたのだ。

 しかし、月姫は正確には「『竜の首の宝玉』を持って来てくれた方と会うことにするわ!」と言ったのだし、文もそのように書いたらしい。噂が尾ひれをつけて「結婚するわ」と言ったことになって、広まっていったのだ。


 孝真こうま朝扉あさとによくよく話を聞くと、月姫は大量に送られてくる文にうんざりして、そう言ったらしいし、「会う」には男女の意味はなく、単純に御簾みす越しにでも会う、くらいのつもりでいたらしい。

 それから、朝扉あさとの見解によると、月姫がイライラした原因は他にあるらしい。


「帝、月姫がどうしてこんなこと言ったか分かりますか?」

「……求婚の文が多く届くからか?」

 最近行事が多く、月姫の姿を垣間見た人が多くいて、そして月姫の輝くばかりの美しさに心を奪われた輩がたくさんいる、と聞く。

 帝は手を握りしめた。

 私だけの月姫でいてくれたのなら、よかったのに。

「それもありますけど」

 と、孝真こうまはここで言葉を切り、意味ありげに帝を見た。

「なんだ?」

「……月姫は、どうやら、鈴子すずこさまのことが気になっているようですよ」

「は? どうして?」


 桂城帝かつらぎていは思わぬことを言われ――というか、恋の意味ではほとんど意識に上ることもない人の名前を口にされ、心の底から驚いた。

 鈴子が? なぜ? 全く関係がないのに。

「今、全く関係ない、とお考えになりましたよね?」

「ああ。実際、関係ないだろう」

「……そうでもないのですよ。月姫の生まれは神秘ですからね。考え方も、少し違うようです。月姫は、帝に既に妻がいらっしゃることを気に病んでいるようなのです」

「だけど、あれは形ばかりの妻だ。――実際、何もない。何もだ」

 帝は力強く訴えた。

 鈴子、あれは私の頭痛の種だ。

 あれを妻にしなくてはならず、苦しかったのは私の方なのだ。


「ふふふ。それは、俺は分かっていますよ。何しろずっとそばで見ていましたから」

 孝真こうまはにっこりとして言う。

「ならば、よいではないか」

「しかし、月姫は違います」

「……そうか」

「そうです。……それに、帝。月姫が、鈴子のことを気にする、というのはよいことではありませんか?」

「なぜ?」

「だって、それは、月姫が帝のことを気にしているということになりますよ。多くの貴公子に文をもらい和歌をもらい、だけど、月姫が気にしているのは、帝だけなんです」

「……そうか」

「そうですよ」


 帝はほっとして、空を見上げた。

 夜になると浮かぶ月。

 あの月の光から月姫が私の手の中にいらしたのだ。

 月姫は、見た目が輝くばかりに美しいだけではなく、その心映えすらも美しい。使用人たちへの態度も優しく、またいつも明るく楽しげである。月姫がいると、場が明るくなる。

 先日の薫物たきもの合わせも見事だった。

 私のこうを「この香りは、まるで月から降って来る光のようでございます」と、月姫は評した。私はまさに月姫のことを思って、香料を調合したのだ。そのことを分かってもらえたような気がして、心が震えるような嬉しさを感じた。


 こうの話をしたり季節の花々の話をしたり。

 月姫といると、時が過ぎるのがとても早かった。

 いつも、もっと一緒にいたいという気持ちを抑えて退出していた。

桂城帝かつらぎてい。月姫のことに関しては、俺がきちんと対処します」

「任せたよ」

「はい」



 孝真こうまが月姫のところを訪れると、月姫は顔を真っ赤にして怒っているようだった。

 ああ、せっかくの美少女ぶりが台無しだ。――いや、怒っていても、やはり美しい。

 孝真こうまがふっと笑うと「お兄さま! どうして笑っていらっしゃるんですか?」と月姫が言う。

「いや、何をそんなに怒っているのかと思ってね」

「だって、あたしが言ったのと違うことが噂になって流れているんですもの!」

 ああ、あのことが耳に入ったのか、と孝真こうまは思う。


「お前が、『竜の首の宝玉』を持って来た人と結婚する、というやつかい?」

「あああん、それ! 違うのよ。あたし、結婚するなんて言っていないわ」

 月姫が泣き出してしまったので、孝真こうまはその背中をそっと撫でた。

 この子はまだ生まれて数ヶ月しか経っていないのだ、ということを改めて思い返していた。光る球体と共に現れ、三月みつきで成人して見た目も中身も大人になり――でも、時々、月姫がかわいらしいただの小さな女の子のように、孝真こうまには映る。


「月姫。噂は勝手に独り歩きするものなんだよ」

「でも、あたし、困るの」

「どうして?」

「だって、誤解されたら嫌だもの」

「誰に?」

「誰って、それは――」

「帝に?」

 孝真が優しく言うと、月姫は怒りとは違う意味で頬を赤らめた。その姿は実に愛らしかった。

「だ、だって。お父さまもお兄さまたちも、あたしと帝が結婚するとよいと思っているのでしょう?」

「それはそうだけど、月姫、お前の気持ちが大切なんだよ」

「……あたしは……」

 月姫は孝真こうまをじっと見た。

 そして、それから孝真こうまの向こうに、桂城帝かつらぎていを見た。


 鈴子さまのことが気になった。もやもやしたしイライラした。

 鈴子さまのところの女房が帝に色目を使ったって聞いて、もっともやもやしたしイライラした。……帝はどうなさったのかしら、とそればかりが気になった。

 そして、今。

 帝に誤解されたくないって思った。

 あたし、結婚するなんて言っていないもの。御簾みす越しにちょっと会うだけのつもりだったのだもの。だいたい、「竜の首の宝玉」を本当に取って来られるだなんて、思っていないもの。

 月姫、お前の気持ちが大事なんだよ、とお兄さまは言った。

 あたしの気持ち?

 ……こういう気持ち、何て言うんだろう?

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