第十二話「竜の首の宝玉」を持って来てね!

 月姫つきひめが冷たい対応をしていたら、次第に文は減っていった。

 しかし、今なおしつこく文を送る人物がいた。

 坂上麻野さかのうえのあさの大伴保長おおとものやすなが高階忠頼たかしなのただよりである。


「……なかなかですねえ」

 朝扉あさとがげんなりとして言う。

 月姫は、彼らからの文を見ていたら、なんだか無性に腹立たしい気持ちになってきた。

 結局、桂城帝かつらぎていに[魅了チャーム]が効かない理由はよく分からなかったし(上位個体だから、というのはいいとして、なぜみかどがあたしより上位個体なのか分からないのよ。だって第七階層の住人なのに)、おまけに最近、鈴子のところの女房が帝に色目を使っていたという話を聞いてしまったので、月姫は自分でもよく分からない感情を持て余していた。もやもやするし、イライラするのである。


 そして、今、ついにそのイライラが頂点に達して「分かったわ!」と言い放った。

「え?」

 朝扉あさとが少し怯えた顔をした。

坂上麻野さかのうえのあさのさまも、大伴保長おおとものやすながさまも、高階忠頼たかしなのただよりさまも、あたしに会いたいのでしょう?」

「ええ、まあ、会いたいというかそのあの」

 朝扉あさとは語尾を微妙にごまかして言った。


 会うというのは、つまりは、あの、恋人として夜を過ごしたいってことだと思うのよね。朝扉あさと伊吹いぶきと会う夜のことを思い出して顔を赤らめた。

 でも、左大臣さまは月姫さまを帝と結婚させたいのだから、決してそのような間違いがないようにと、あたしたちにも厳しく目を光らせているのよ。手引きしたりしないように。……するはずもないのだけれど。だって、月姫さまは、たぶん……。

 朝扉あさとはそっと月姫を見た。


 なかなか減らない文にイライラしている――ように見えて、実のところ別のことにイライラしているのだと朝扉あさとは思っていた。

 朝扉あさとたち使用人は皆、月姫のことが大好きであり、月姫の意に沿わないことをしようとは決して思っていなかった。月姫は月の光の球体から現れたせいか、神秘的な美しさとそれから下々のものにも分け隔てなく接する心を持っていた。それは月姫が皆に愛される理由の一つにもなっていた。


朝扉あさと、あたし決めたのよ」

「はい、何でしょう?」

 お父上である左大臣さまか、或いは帝本人に、文について何事かお願いするのかな、と思って朝扉あさとは月姫の次の言葉を待った。

「あたし、『竜の首の宝玉』を持って来てくれた方と会うことにするわ!」

「は?」

 朝扉あさとは月姫の言っていることが分からなくて、固まってしまった。竜の首の宝玉?


朝扉あさとも知っているでしょう、『竜の首の宝玉』を」

「ええ、知っていますけど。蓬莱の山に住む竜の首には宝玉があるという、あの伝説ですよね? 大変美しく、七色に光る宝玉だとか」

「その『竜の首の宝玉』を取って来てもらうのよ」

「……それは大変なことでございますわ。蓬莱山はすごく遠くにある山ですし。山も大変険しいとのこと」

「ええ、大変よ。とても! でも、その大変さを乗り越えて来たのなら、会ってもいいかと思うのよ」


 月姫は胸を張って言うのだった。

 朝扉あさとはこめかみを押さえた。

 ……なんか、話が明後日の方向に進んでいるような気がする。

 月姫さまは帝のことがお好きなのだと思うのだけど、どうしてこのようなことを言い出してしまわれたのかしら。

 殿は、左大臣さまはなんとおっしゃるかしら。



 大納言橘治為だいなごんたちばなのはるなりは、全くおもしろくなかった。

 月光る姫、今では皆に月姫と呼ばれているその人の宮中への出仕を止められなかったばかりか、桂城帝に気に入られるのを阻止することも出来なかったからである。

「きいいいぃぃぃ‼」

 奇声を上げ、治為はるなりは辺りにあった脇息きょうそく文机ふづくえなどの調度品を投げつけた。

「殿! おやめください!」

 女官が必死になって言うも、治為はるなりの怒りは収まらなかった。


 月姫の元に男を通わせてしまえばいいと思っても、厳重な警戒で守られていて、つけいる隙はなかった。妙齢の男たちに文を送らせても、つれない返事ばかり。

 しかも、どうやら帝のお気に入りらしいという噂がたち、帝の怒りを恐れた者どもは皆、文を送るのを止めたのだ。その噂には「鈴子さまが妻ではなあ……。帝もおかわいそうに。月姫とならばお似合いだ」という言葉までくっついていたので、治為はるなりは本当におもしろくなかったのである。


 ああ! 鈴子がもう少しまともなおなごであれば!

 いやいや、でも、月のもの(生理)も、年に数回はあるとかいうことだ。

 子どもさえ出来ればよかったのに……‼

 ああでも、お渡りさえないのであれば、もうそれも望めぬ。

 ああいったい、どうしたらよいのだ……!


「父上」

 治為はるなりの後ろから呼ぶ声がした。

 振り向くと、一番下の息子の雅為まさなりだった。雅為まさなりは十五歳と、一番上の兄彰為あきなりよりも五歳年下ながらも治為はるなりを支え橘家たちばなけを支える、実に頼もしい存在だった。


「ああ、雅為まさなり。私はどうしたらよいのじゃ。このままでは、月姫は帝のお手付きとなってしまう。そして子どもでも生まれたら……あああああ!」

 治為はるなりはよよよと泣き崩れた。

 雅為まさなりは父の背中を優しく撫でながら、言った。

「父上、ご安心ください。この、雅為まさなりがなんとかしましょうぞ」

「そうか」

「はい。まず、月姫への文を送り続けるよう、それとなくそそのかしている男たちがいます。その者たちに期待しましょう」

「そうか。でも、月姫はつれない返事をしていると聞くぞ」

「それが、此度、『竜の首の宝玉』を持って来た人と会う、と言ったらしいのです」

「『竜の首の宝玉』? そんなもの、どうやって取りに行くのだ」

「ですから、父上。そこはそっと手を貸すのですよ。さすれば、『竜の首の宝玉』も手に入りましょう。月姫も、よもや自分が言ったことを反故にはすまい。会わせていただきましょう。……会ってしまえば、どうとでもなります。月姫は恋もまだ知らぬ乙女でしょうから」


 雅為まさなりはそう言うと、くくくくくと薄く嗤った。そして、にんまりとした顔を治為はるなりに向けて言うのだった。

「それから、万が一、これが失敗したときのために……」

 雅為まさなりの瞳は怪しく光り、橘大納言たちばなのだいなごんは目が逸らせなかった。そして、雅為まさなりから発せられる言葉の数々に驚愕し狂喜した。そうして、大納言の舘の一室で密談は続けられた。雅為まさなりが何事かを小声で囁く。すると、治為はるなりが「おお! それはいい」などと言う。

 夜更けまでその話し合いは続いた。


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