四章 月光姫への求婚者たち

第十一話 月姫は嘆息する

「はあ」

 脇息きょうそく(もたれかかるための安楽具)に寄りかかって、月姫つきひめはため息をついた。

「月姫さま、どうかなさいましたか?」

 朝扉あさとが心配げに言う。

「ちょっとめんどくさくなってしまって」

 月姫は山のような文に視線を送った。

「ああ」と朝扉あさとが言い、朝扉あさともため息をついた。



 月姫は宮中の生活を楽しんでいた。

 典侍ないしのすけの仕事をしつつ、宮廷行事も満喫していたのである。

 最近で新嘗祭にいなめまつりがとても素晴らしいと思った。新嘗祭にいなめまつりもその前後に行われる五節ごせちの舞もとても美しく、初めて見たその舞楽に月姫は感嘆の声をもらした。

 雅楽と歌に合わせて舞う、舞姫たち。

 五節の舞姫は豪奢な衣装を身にまとい、とても優雅に舞った。檜扇ひおうぎから垂れる飾り紐も美しく、舞に合わせて揺れた。

 ゆっくりとした動作の五節の舞はこの世界にとても合っていると月姫は思う。

 第一階層では時間はもっと早く過ぎた。しかし、ここはゆっくりと時間が進む。


 帝と共に行った薫物たきもの合わせも楽しかった。

 帝と寧子宮やすこのみやの者たち、月姫の者たちで行った。今回は勝ち負けの裁定は行わず、各々が 種々の香料を調合して練り合わせた薫物たきものを、皆でこうを聞いて(かいで)どのようなイメージがするかを皆で言い合うものだった。

 寧子宮やすこのみやこうは上品で奥ゆかしく、それでいて芯の強さを感じるものだった。

 そして、桂城帝かつらぎていこうは月姫に月光を思い起こさせた。光るような香り。それでいて、ここではないどこか別の場所へ誘うような神秘の香り。

 それは、月姫に、凛月りるとしての自分、そしてを思い起こさせるものでもあった。

「月姫、いかがでしょう?」

「この香りは、まるで月から降って来る光のようでございます」

「月の光とともにやってきたあなたにそう言われると、とても嬉しいよ」

 帝は満足げに目を細めた。

「月姫のこうも愛らしく、こうを聞く(かぐ)ものを光に導くもので、とてもよいものでしたわ」

 寧子宮やすこのみやが微笑みながら言う。


 そのようにして、月姫は宮中の生活を楽しんだのだ。

 薫物合わせだけでなく、貝合わせをしたり双六をしたりもした。桂城帝かつらぎていの母親である寧子宮やすこのみやともすっかり仲良くなった。


 問題は、月姫の噂を聞きつけて送られてくる文である。

 まず第一に数が多かった。

 最初は丁寧に返事を書いていたのだが、次第にそれも追いつかなくなっていった。

 もちろん、全てお断わりしていたのだけれど、あまりの文の多さに、何か間違いがあってはいけないとピリピリした空気が漂った。充真みつざねも神経質になっていたし、孝真こうまも常に目を光らせていた。

 帝と結婚させるつもりでいるのに、他の男に攫われたのは全く意味がない、というわけである。

 充真みつざね孝真こうまによる監視の目はどんどん厳しくなり、朝扉あさとを始めとする月姫に仕える人々もなんとなく落ち着かなかった。


 それでも文は次から次へと届けられた。

 月姫も朝扉あさともため息をつかずにはいられなかった。

「もうめんどくさいわ」というのは、このところの月姫の決まり文句だった。

「お断りしているのに、なかなか諦めてくださいませんねえ」

 朝扉あさとが文を恨めしげに見ながら言う。

「ほんとうに、そう。お父さまからもお兄さまからもきつく言われているから、帝以外には気のあるそぶりなんて見せていないわ」


 それに[魅了チャーム]も使っていないもの。

 ……もしかして、[魅了チャーム]を使って、遠ざければいいのかもしれないわ。

 ああ、でも、使をしたことないから、うまく出来るかしら。

 ――それより。

 月姫は帝の顔を思い浮かべた。

 それより問題なのは、桂城帝かつらぎていに[魅了チャーム]が効かないこと。

 あのあと何度試みても、[魅了チャーム]は帝には効かなかった。

 ……最も、[魅了チャーム]が効いていなくても、帝の好意は感じられるのでいいと言えばいいのだけど、[魅了チャーム]が効いていれば安心であるような気がしていた。

 月姫は月白つきしろとの交信を思い出していた。



『月白さま、桂城帝かつらぎていに[魅了チャーム]が効かないわ』

『私にもお前の[魅了チャーム]は効かないよ』

『それは月白さまが上位個体だからでしょう』

桂城帝かつらぎていも、私のようにお前よりも上位個体なのではないかな?』

『え?』

 第七階層の住人なのに? と月姫は思った。

『ともかくお前は、第七階層第八エリアを観察し、そして審判を下す任務がある。それを忘れるな』

『はい』

『三年の間、そこに住み、任務を果たすがいい。それがお前の贖罪となる』

『……はい』

 そのとき、三年が、なぜだかとても短いように月姫には感じられた。



 帝に[魅了チャーム]が効かないことは、月姫をほんの少し不安にさせた。上位個体だから云々というより――帝に妻がいることが問題だった。

 出仕しゅっし前はさほど気にならなかったのに、帝と会って言葉を交わしたりしたら、妙にその存在が月姫に重くのしかかって来たのである。

 孝真こうまは言う。

「大丈夫だよ、月姫。鈴子さまは形だけだから。俺が保証する!」

 そうは言っても、パートナーは一人という第一階層の常識から照らし合わせると、やっぱりなんとなくもやもやした。

 そのことを月白に告げると、月白は『お前がそれを言うか⁉』と笑ったのだけれど。


 でも、あたしは結婚したりしていないもん! そばにあたしを好きな人を置いて、いい気分を味わっただけで、特定の誰かに決めたりとかましてや夜を一緒に過ごしたりとか、そんなことしていないんだもん! ただ、あたしのことを好きっていう、ふわっとした甘い思いで満たされたかっただけ。

 月姫はそう思うと、またため息をつくのである。

 知識としては、一夫多妻制を理解しているのだけれど、それから孝真こうま兄さまは嘘を言っていないと思うのだけれど、……ね。

 なんだか不安になるのよね。鈴子さまの存在。

 そういう意味でも[魅了みりょう]を使いたかったのだけれど。

 ……あれ?

 あたし、どうして不安になったりこんなに悩んだりしているのかしら。

 帝に形式だけの妻がいることに。そんなこと、出仕前から分かっていたのに。

 ……でもだって。

 なんだかもやもやするんだもん!


 ――こういうの、どういう気持ちなんだろう?


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