第十話 桂城帝の気持ち

みかど、いかがでしたでしょう? 俺の妹、月姫つきひめは」

 孝真こうまは黙ったまま歩く帝に声をかけた。

「……孝真こうま

「はい、帝」

「あのように美しい姫がいるのだな……」

 桂城帝かつらぎていは頬を赤らめ、うっとりと言った。

 よかった、と孝真こうまは安堵した。

 黙っていたので、もしかしてお気に召さなかったのではないかとふと不安になったのだ。

「では、次は薫物たきもの合わせを企画いたしましょう」

「よろしく頼む。その前に私は月姫に和歌を送りたい」

「かしこまりました」



 桂城帝かつらぎていは、比べてはいけないと思いつつも、鈴子すずこと月姫を思い比べた。

 橘大納言たちばなのだいなごんからの圧力で、彼の娘である鈴子と結婚したものの、大変憂鬱な思いでいた。結婚したからにはよい夫婦となろうと思っていたが、相手側にその意志がないのであればどうにもなるまい。常に焦点の定まらぬ目で「そうですね」以外は発せず、後は全て周りの女房たちが回答をした。


 夜のことも、結局は何もないままだった。

 何しろ、鈴子はさっさと眠ってしまったのだ。健やかな寝息を立てて。

 その、だらしない寝姿にも興ざめをした。

 耐えて、ともかく三晩は一緒に眠ったが、ただ添い寝をしただけで終わった。そうして三日みかもちいを食べ露顕ところあらわしの儀式(結婚式)を行い後朝きぬぎぬの歌(逢瀬のあとに送る和歌)も送った。鈴子からの歌はどう見ても代筆であろうと思われた。そもそも、鈴子に文字が書けるのかどうかも怪しいと帝は思っていた。

 鈴子の周りの女房たちは事情を全て知ったうえで、真実を告げず黙っているのだ。

 それはそうだろう。

 真実が露見したら、橘大納言たちばなのだいなごんからどのような罰を下されるか分かったものではない。


 ……しかし、と桂城帝かつらぎていは思う。

 あれでは女房たちが気の毒だ。

 反応がほとんどなく、言葉も発せず、人形遊びばかりしている。

 はあ、と桂城帝かつらぎていは深いため息をついた。

 鈴子のことで心が折れる思いをしたが、鈴子の女房たちの中に、桂城帝かつらぎていに淫靡な視線を送るものがいたのも、実のところ帝を悩ませていた。帝と恋仲になって、子どもでも授かれたら幸運だ、というところであろうか。


 童女のような鈴子も、鈴子の周りの女房たちも気持ち悪くて、桂城帝かつらぎていはすっかり女性というものに対して不信感を抱くようになってしまった。しかし、結婚は必ずしなくてはいけない。子どもをもうけなくてはならない。しかし、また鈴子のような女が来たらと思うとぞっとして、その問題は避けて通っていた。

 そのような中、父椙原帝すぎはらていが崩御し桂城帝かつらぎていは即位したのである。



「帝、月光る姫はいかがでしたか?」

「母上」

 桂城帝かつらぎていは母である寧子宮やすこのみやのところに来ていた。

 何事かあると、寧子宮やすこのみやを訪ねて少し話すと落ち着くのだ。

 寧子宮やすこのみやは優し気な目で帝を見つめた。

 母上は充真みつざねの妹であるが、充真みつざねとは全然似ていないなと、桂城帝かつらぎていは思う。


「月光る姫は……月姫は、とてもすばらしい方でした」

「そう、それはよかったわ。わたくしもお会いたいこと」

「今度、薫物たきもの合わせをしようと思っております。そのとき、ぜひ母上も」

 薫物たきもの合わせはこうの優劣を競う遊びである。月姫は優しく上品な香りをさせていた。どのようなこうを用意するのか楽しみだ、と帝は思った。

「楽しみにしていますよ」

 と寧子宮やすこのみやが言い、桂城帝かつらぎていも「私もです」と答えた。


「そう言えば、もうすぐ新嘗祭にいなめまつりですね。わたくし、舞姫によって行われる五節ごせちの舞をとても楽しみにしていますのよ」

 寧子宮やすこのみやが顔を輝かせて言った。

 新嘗祭にいなめまつりは収穫を感謝する儀式で、その前後に舞楽が行われ、その舞楽を五節ごせちという。美しい舞楽で皆とても楽しみにしていた。

「そちらも楽しみですね」

「ええ。きっと、月姫さまも楽しみにしていらっしゃると思いますよ」


 桂城帝かつらぎていはさきほど見た、月姫の美しい顔を思い浮かべていた。

 豊かな髪はさらさらと流れ、黒曜石の大きな瞳は私を捉え潤みを帯びていた。桜色の唇から零れる声は鈴の音のようであった。

 会いたい、と思った。

 またすぐにも会いたい。



 桂城帝かつらぎていは月姫に和歌を送った。




 わが恋は九重ここのへとなり満ちぬらし おもひぐさをば眺め暮らせば


(私の恋は幾重にも重なり、この宮中に満ちていることでしょう。思い草を見て、あなたへの思いを確かめて過ごしているのです。)




 月姫も和歌を返した。




 美しき桂の眉の君なれば会ひ見て後は色に出でなむ


(三日月のように美しい眉のあなた。とても恋しく思っています。お会いした後は、この思いが表に出てしまうのではないかと不安になるほどです。)

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