第八話 月姫の気持ち

 出仕の日にちが決まり、月姫つきひめはわくわくしていた。

 何しろ、あのイケメンみかどに会えるのである!


 桂城帝かつらぎていは見た目も好みだけれど、下さる和歌も本当に素敵なのよね。

 月姫はそう思い、これまで帝にいただいた和歌をいくつか思い返した。

 月白つきしろがここの基本的知識を送ってくれていたので、代筆することなく自分で和歌を詠むことが出来て、月姫は嬉しく思っていた。


 やっぱり、お返事は自分で書かないとね。

 墨で文字を書くことは初めてだったから、頑張ったのよ、ものすごく! たくさん練習したわ。

 お母さまもお兄さまたちも褒めてくださったから、きっとまあまあうまく書けるようになったと思う。


「月姫さま。お荷物のご確認いただけますか?」

朝扉あさと

 朝扉あさとに言われ、月姫は荷物の点検をした。

「大丈夫よ、ありがとう。宮中に行ってもよろしくね!」

「いえ、あたしこそ。月姫さまにお仕えすることが出来て、光栄です! 宮中も楽しみなんです!」


 朝扉あさとは年頃の娘らしく、宮中のきらびやかさを想像してか、目をきらきらさせた。

 朝扉あさとは十六歳で、十三歳の月姫より少し年上である。年頃の娘らしい側面を持ちつつも、しっかりとしていて万事そつなくこなすので、左大臣家での評価はとても高く、有能な女官であった。


 同時に月姫は朝扉あさとを姉のように慕っていた。

 第一階層では両親も存在しないし、ゆえにきょうだいも存在しない。

 だから月姫は、この第七階層で初めて両親の温かさや兄たちの優しさを知った。そして姉というものの存在を、朝扉あさとの中に見たのである。月姫のことを気遣い、しかし間違っていたら毅然として叱ってくれる。そのような朝扉あさとのことを、月姫はとても頼りにしていた。


 うふふ。

 月姫つきひめ半蔀はじとみ(窓みたいなもの)を開け、庭を見た。

 霜月(十一月)の庭はイロハモミジが赤く色づいてきれいだった。リュウノウギクが大きな白い頭花を揺らしている。ハギのピンク色やキキョウの紫色も庭を美しく見せていた。

 月姫は第七階層に来て、ある程度の大きさとなり自由に動けるようになったとき、正直なところいろいろな不満があったことを思い出していた。


 まずはトイレ!

 第一階層のような、個室で水洗のトイレがあるはずもなく。

 樋箱ひばこという箱のようなものに用を足して、それを使用人が捨てに行くのである。

 恥ずかしいやら汚いような気がするやら。臭いが気になるし。

 そもそも、行きたいときにこっそりさっと行けず、使用人を呼ばなくてはいけないのもなんだかめんどくさい。


 それから、お風呂!

 あたし、お風呂大好きだったのよ。朝も晩も入るほど。

 でも、ここじゃ、そんなわけにいかないのよ。

 毎日も入れなくて、三日に一回くらい? ああ、ストレスが溜まる! 髪ももっと自由に洗いたい!


 動きにくい衣装も苦手。

 正装の十二単じゅうにひとえは本当に重くて大変。でも、日常着である袿単うちきひとえ姿が動きやすいかと言うと、全くそうではない。うちき(一番上に着ている着物)は引き摺っているし、打袴うちばかまも足元を完全に隠しているから、慣れていないときは転びそうになっちゃったわ。


 月姫はそんなふうに考え、憂鬱な気持ちでいた。

 ゆえに最初のころは「任務を出来るだけ早く終わらせて、第一階層に帰るんだ!」と握りこぶしを作っていたのである。



 だけどねえ。

 月姫は風が渡る庭を眺めた。

 きれいなのよね、第七階層第八エリア。

 貴族の屋敷だからかもしれないけれど、自然と調和した美しさがある。

 寝殿造りの大きな屋敷は木のぬくもりがあり、季節の木々や花々が植えられ、心落ち着く空間であった。

 月姫には、第一階層の金属的な空間よりも、こちらの方が美しく優しく思えた。

 帝が住まう宮中はここよりも、更に立派なのだと言う。月姫はその美しく荘厳な様子を思い浮かべ、早く宮中に行きたいと思っていた。


「宮中はどのくらい美しいのでしょう」

 朝扉あさとがうっとりと言う。

「そうねえ、楽しみね」

「あたしの筒井筒つついづつの仲(幼なじみ)の伊吹いぶきが言うには、宮中は、なんでもとても広くて、さまざまな意匠があって本当に素晴らしいところなのだとか」

「へえ。よく知っているのね」

「伊吹は桂城帝かつらぎていにお仕えしておりますから」

「そうなの」

「そうなんです!」

 ドヤ顔で答えた朝扉あさとを見て、月姫はぴんと来た。


「ねえ、その伊吹って、もしかして朝扉あさとの恋人なの?」

「な、な、な……! 何をおっしゃるんです、月姫さまっ」

 朝扉あさとは顔を真っ赤にして言う。

 月姫は意地悪く笑いながら、「ふふふ。結婚はしたの?」と訊いた。

「結婚はまだなんですけど……でも、通って来てくれていて」

「へえ」

「まだ三日みかもちいを食べていませんけど」

 ここの結婚のスタイルは通い婚で、三晩連続して女性のもとに通い、三日目の夜に三日みかもちいを食べ、露顕ところあらわしの儀を行うのが結婚の儀であった。


「でも約束はしているのね」

「ええ、まあ。――お互い強く思い合っているのです」

 朝扉あさとの赤い顔を見て、月姫は不思議な気持ちになった。


 あたし、こんなふうな気持ちになったこと、あったかしら。朝扉あさとは伊吹と愛し合っているのだわ。

 桂城帝かつらぎていのことは気に入っている。だってイケメンだから。

 和歌も素敵だし。

 だけど、朝扉あさとのような情熱が月姫にはまだよく分からなかった。

 顔が好き。和歌が好き。

 ――それ以上の感情を、朝扉あさとから感じるのだった。


 第一階層にいるとき、凛月りると呼ばれていたあの頃も、月姫はそういう情熱が、結局理解出来ないままだった。見た目のよい人が自分の周りにいて、自分のことを好きでいてくれるのが、ただ居心地がよかった。だから、[魅了チャーム]を使って、自分のことを好きでいてくれる人を増やした。みんな優しくしてくれて嬉しかった。


 時々、「私のパートナーを返して!」って言ってくる人がいて、あのどろどろした感情も、月姫にはよく分からなかった。どうしてあんなふうになるのだろう? また別の人を見つければいいのに。めんどくさいから、その人にも[魅了チャーム]をかけてあげた。

 あんなどろどろした気持ちじゃ、大変そうだったから。

 みんなで、あたしのことを好きになって、仲良くなればいいじゃない?


 愛ってなんだろう?

 そう言えば、第一階層にいたとき「あなたは愛が分からないのよ!」って言われたことがある。……確かによく分からないかも。

 みんなから大切にされて嬉しいって気持ちじゃないみたい。

 お母さまのことは好き。大好き。お兄さまたちのこともお父さまのことも好き。


 朝扉あさとみたいに、恋人のことを特別に思う、愛するって、どんな感じなんだろう?

 顔が好きな帝のことを好きっていうのも、なんか違うのかな?

 ……分からないや。 


 とりあえず、まずは帝に会うのよ!

 かっこいいんだもん。

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