三章 月姫は、宮中に輝くばかりの光を放つ

第七話 月姫への和歌と返歌

 桂城帝かつらぎていは月光る姫がただ人とは違う速度で成長していると知り、成人したらぜひ宮中に出仕して欲しいと、充真みつざねに伝えた。その輝くばかりの美しさの噂を聞くたびに、会いたいと思った。


 赤子の月光る姫をこの両手で包み込んだのは私なのだ。小さな赤子でもとても美しかった。

 桂城帝かつらぎにはそのような思いがあった。

 成人の儀の折、お忍びで腰結の儀を見に行った。檜扇ひおうぎで顔を隠していたが、ちらりと垣間見えた、黒目勝ちの大きな瞳が忘れられなかった。目が合ったような気がしたのは気のせいだっただろうか。

 月光る姫はすくすくと大きくなり、身体だけでなく精神的にも成長していると、桂城帝かつらぎていは聞き及んでいた。内面も光り輝くようなのだろうか。


 月光る姫に文を送り、充真みつざねにも淑子としこにも文を送った。孝真こうまにも何度となく様子を聞いた。

孝真こうま、月光る姫の様子はどうかい?」

「今日も美しいですよ。あのような美しい姫を他には知りません」

「……そうか。お前は会っているんだよな」

 桂城帝かつらぎていはほうとため息をついた。

「私も会いたいよ。何しろ、この手のひらの中にいたんだよ。あの即位の礼の夜、光に包まれて」

 そしてそのように言って、自分の手のひらを見つめた。


桂城帝かつらぎてい……」

 孝真こうま桂城帝かつらぎていを見つめた。

 みかどがこのように、女性に執着するのを初めて見た、と思った。

 桂城帝かつらぎていはこれまで、勉学や身体を鍛えること、そして政治には熱心だったが、自分が妻を持ったり恋をしたりということには、およそ無関心だった。初冠ういこうぶり(男子の成人式)をして成人の儀を終えると、橘大納言たちばなのだいなごんから娘と結婚するようにと強く言われ、勢力関係を考えて結婚したものの、童女のような鈴子すずこ桂城帝かつらぎていは一瞬で興味をなくした。


 しかし、あれは桂城帝かつらぎていに同情する、と孝真こうまは思う。

 鈴子は、まず見た目が少々残念だった。ただ細いばかりでとても大人の女性には見えず、しかも飾り立ててはいるものの、貴族の姫君らしからぬ雰囲気で上品さがなかった。顔立ちも美人とは言い難く、焦点の定まらない目つきで、目と目の間が離れていたし、口はいつもだらしなく半開きだった。


 これでまだ、まともな受け答えの出来る姫だったらよかったのだが、何を言っても「そうね」と言うばかり。言葉を発することも少なく、好むのは人形遊びばかりで、身の回りのことは全て、橘大納言たちばなのだいなごんからやってきた使用人たちが行っていた。


 桂城帝かつらぎていは鈴子さまと形式上は結婚したが閨事は行われていない、と孝真こうまは睨んでいる。

 しかし、鈴子を気に入らなかったのは仕方あるまいが、その後も好きな女性がいるわけでもなさそうで、実のところ、孝真こうまは少々心配もしていたのだ。もしかして帝は女性に興味がおありではないのかもしれないと。……大変失礼なことではあるのだが。


 孝真こうまには強い願いがあった。

 この整った顔立ちの聡明な帝のお世継ぎが欲しい、と。

 何と言っても、桂城帝かつらぎていは美しく、お人柄も素晴らしいのである。お側に仕えているからこそ、それが分かる。

 もちろん、桂城帝かつらぎていの母親が父充真みつざねの妹である寧子やすこさまだ、という理由も大きい。桂城帝かつらぎていの血を引いた子どもがゆくゆくは天皇の位を継げば、我が藤原氏は安泰であろう。


 だけど、と孝真こうま桂城帝かつらぎていの男性ながらも美しい横顔を見て思う。

 だけど、俺はとても単純に、桂城帝かつらぎていに幸せになって欲しいのだ。自分の置かれた立場をよく理解して、努力を惜しまなかったこの方に。鈴子さまだけが女性ではないのだ。もっと素敵な女性と恋愛し、幸せになって欲しい。


 孝真こうまがぐるぐると考えていると、桂城帝かつらぎていが言った。

「月光る姫に――ああ、お前たちは月姫つきひめ、と呼んでいるんだよね」

 桂城帝かつらぎていは、ほうと悩まし気な息を吐く。

 孝真こうまは目を細めて返事をする。

「どうぞ、帝も、月姫とお呼びください」

「では、月姫と呼ばせてもらおう。……月姫に早く出仕しゅっし(宮中に勤めに出ること)をするよう、孝真こうまからも促してもらえないだろうか」

「かしこまりました」

 孝真こうまは頭を下げる。


 父である左大臣充真みつざねはもちろん、月姫を入内じゅだい(天皇と結婚すること)させたがっていた。

 しかし、桂城帝かつらぎていに気に入られなければどうしようもないとも思っており、みかどの反応を伺っていたのだ。桂城帝かつらぎていと鈴子さまとの形式ばかりの結婚の状態を慮るに、まずは帝に興味を持っていただき、気に入ってもらわなくてはなるまいと。


 充真みつざねは月姫が美しく賢いという噂を広めた。

 そうして、桂城帝かつらぎていの関心を引くように。

 美しさも賢さも本当のところだったので、噂は瞬く間に広がっていった。

 桂城帝かつらぎていから出仕しゅっしを促す言葉をいただいたとき、充真みつざねは狂喜した。

 初めから入内じゅだいという形ではなく、例えば典侍ないしのすけなどの形で出仕しゅっしする形で帝の目に留まり寵愛され、ゆくゆくは女御にょうごとなり中宮ちゅうぐうとなればいいと、充真みつざねは考えていたのである。


 月姫は神さまからの使いの娘だ。もちろん疎かには出来ない。

 されど、ごり押しをして橘大納言たちばなのだいなごんの娘ようになっては元も子もない。

 まず、愛されなくては!

 蒼真そうま慶真けいま孝真こうま

 そのために、帝に月姫がいかに素晴らしい女性であるかを伝えるのだよ。


 そう力説していた父充真みつざねの顔を、孝真こうまは思い出していた。

 我らが伝えずとも、月姫の噂は帝の耳に入り、そうして月姫に会いたい気持ちでいっぱいになっているようですよ、父上。

 孝真はがそう思っていたとき、帝が言った。


孝真こうま。月姫に文を書く。孝真こうまから届けてもらえないだろうか」

 そのときの桂城帝かつらぎていは心なしか頬を赤らめていた。

「はい、帝」

 と答えながら孝真こうまは、実際に会ったら、もっと心惹かれるであろうと確信していた。




 逢ふことを月の光の神に問ふ 手のひらの君にこひぬ日はなし


(あなたと逢うことを、あなたを私のもとに遣わした月光の神にお願いしております。お逢いいただけますか? 私の手のひらにいらっしゃったあなたにずっと恋しています。)




 月姫は帝の文を読み、ほうっと息を吐いた。

 あたしも早くお逢いしたいです。かっこいいもの!

 月姫は返歌をしたためた。




 ゆふづく夜桂の影のおほふかな あまつ空なる君を思ほゆ


(夕月が射している夜、月の光が辺り一面に広がります。桂城帝かつらぎていのすばらしいお人柄が世を覆うように。そのように高い天空にいるかのようなあなたさまを尊く思っております。)


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