第五話 月光る姫は三月で成人する

 驚くべきことに、猫の子ほどの小さな赤子だった月光る姫は、たったの三月みつきで成人した。

 赤子のときも美しかったが、成人した月光る姫は赤子のときよりもいっそう美しく、輝くばかりだった。

 黒髪は豊かにさらさらと流れるようで、瞳は黒曜石のように濡れて光っていた。唇はふっくらとした桜色で、その唇から発せられる声は鈴の音のようで、聞く者を魅了した。



 月光る姫は、桂城帝かつらぎていの手のひらの中に現れたのち、結局、左大臣藤原充真ふじわらのみつざねの養女となり、左大臣家で育てられた。

 大納言である橘治為たちばなのはるなりも養育することを主張したが、藤原充真ふじわらのみつざねの方が上手うわてであり、月光る姫の出現時そばにいた強みもあって、月光る姫を手中に収めることに成功した。半ば強引に、月光る姫を屋敷に連れて帰り、養女としてのお披露目を早々にしたのである。

 月光をまとって神から遣わされ、しかもみかどの手の中に現れた貴重な姫を、他のものに渡してなるものか、と充真みつざねは考えていた。


 普通の赤子とは異なり、驚くべき速さでしかもこの上なく美しく成長していく月光る姫の姿を見て、充真みつざねはほくそ笑んだ。

 これは良い!

 我が家は男ばかりの三兄弟だ。

 おなごが生まれていれば、入内じゅだいさせることが出来たものを、とずっと悔しく思っていたが、まさに天から幸運が降って来たぞ。赤子では入内じゅだいは難しかろう、いやでも成長してからでも、と思っていたが、こんなにあっという間に大きくなるとは!



 充真みつざねの思惑もあり、左大臣家の屋敷で、月光る姫は大切に大切に育てられた。

 充真みつざねの北の方(妻)である、淑子としこが母親代わりにとなって、月光る姫の養育にあたった。淑子は宮家出身で、おっとりとしていて優しく上品な女性だった。淑子の生んだ子どもが、三兄弟の蒼真そうま慶真けいま孝真こうまである。孝真こうま桂城帝かつらぎていと同い年だ。孝真こうまみかどと幼なじみのように育ち信が厚く、みかどの側近となったのである。


 この三兄弟もまた、月光る姫を非常にかわいがった。男ばかりの兄弟の中、清らかな美しい妹が出来たのだから当然と言えば当然である。孝真こうまは、最初は帝のことを思って警戒していたが、そのようなことなどすっかり忘れて、他の兄弟と同じように、月光る姫にでれでれしていた。


月姫つきひめ! 今日は毬で遊ぶかい?」

「お人形がありますよ、月姫。お人形で遊びましょう」

「月姫、お菓子持ってきたよ」

 月光る姫は、ごく親しい間柄では月姫と呼ばれるようになっていた。


「あなたたち、月姫がびっくりしていますよ」

 月姫が兄たちに取り囲まれていると、いつも淑子がそう言い、月姫を抱っこして優しく頭を撫でた。

 月姫が左大臣家の屋敷に来て、一ヶ月くらい経った頃、月姫は五歳くらいの幼女に成長していた。


「月姫は大きくなるのが早いのね。さすが神さまからの贈り物」

 淑子は月姫がかわいくて仕方がないというように、月姫の頬を撫でた。

「おかあさま」

 月姫は淑子に頬を撫でられると、そう言ってにっこりと笑った。月姫は誰よりも淑子に懐いていた。


「くう! 俺も月姫にあんなふうに笑いかけられたいっ」

「かわいいっ」

「私のところにおいで、月姫」

袴着はかまぎの儀式(幼年期の儀式)のときもかわいかったなあ」

「ほんとほんと。天女の子どものようだった!」

 兄たちがそう騒いでいると、「月光る姫は神さまからの授かり物ですよ」という声がした。見ると、この館の主、充真みつざねがいた。

「父上!」

 充真みつざねは淑子の腕から月姫を抱き上げると、「本当にかわいらしく育ったものだ」と満足そうに言った。


 月姫はそんなふうにかわいがられ、すくすく育ち、三月みつきで成人したのである。

 平安朝のこの世、女子は十二歳から十四歳で成人の儀である裳着もぎが行われる。月姫は十三歳のときに裳着もぎが行われた。

 月姫は髪上げの儀を行い腰結こしゆいの儀を行い、その隠しようもない輝くばかりの美しさは、広く下々にまで伝わることとなったのだった。



 月姫の美しさをおもしろくないと思っている人物がいた。

 右大臣を父に持つ、大納言の橘治為たちばなのはるなりである。治為はるなり充真みつざねと同年代でありながら、充真みつざねが先に左大臣になったのもほぞを噛む思いでいた。充真みつざねには何かと水をあけられていた。


 充真みつざねめ! うまいことやりおって。

 せっかく、我が娘鈴子すずこを、桂城帝かつらぎていが東宮であらせられたときに結婚させたというのに。懐妊の兆しどころか、お渡りもないわ。

 ……まあ、そもそも無理なことだとは分かっていたのだが。

 治為はるなりは娘の顔を思い起こした。


 鈴子は純真な娘であった。

 しかし、愚鈍であった。

 いや、と治為はるなりは思う。愚鈍というよりも、精神が、五歳くらいから成長していないのだ。身体の方は年齢よりは小柄だが、成長している。……女らしいとは言えないが、まあそれでも裳着もぎが終わった娘らしい姿ではある。


 しかし、中身があれではやはり駄目か。

 たとえ、中身が五歳の童女であろうとも、子どもさえ産めば問題はないと思っていたが、桂城帝かつらぎていはどうやら幼子には興味がないようだ。


 治為はるなりは、整った顔で冷静に政務を行う桂城帝を思い浮かべた。

 みかどの有能さが恨めしかった。

 そして、月光る姫の入内じゅだいだけは、何としても阻止したいと治為はるなりは暗い瞳で思うのだった。

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