第三十一話 赤の招待状Ⅰ

「さて、そろそろ本題に入ろうとするかの」


 一度目を閉じた後、真剣な表情となってそう切り出したロロコ。

 本題。つまりは黒曜を襲った人物についてだ。


「あー、その事なんだけど……そのー、えーと」

「どうしたのじゃ? ……まさかとは思うが、何もわからないなどと言う気はないじゃろうな」

「待って待って、主様その拳は何!? 暴力変態! するならセクハラにして!」


 怒筋を浮かべながら拳を握り締めているロロコに泣きながら懇願している黒曜だけど、セクハラにしてっていう相手間違ってない?


 だって、そいつ本物の変態だよ?


「そうかそうか。ならばオヌシの望み通りにしてくれよう!」

「ちょちょっ主様!? 冗談っ冗談だから!」


 指をうにょうにょと気持ち悪く動かした後、黒曜が横になっているベッドの下部を捲り上げ、そこから中に潜り込もうとしているロロコ。


 水花が動く気配はない。となると俺しかいないじゃん。


「ロロコやめろ! 怪我人相手に何をしようとしている」

「何を言っておるのじゃ、そんなのナニに決まっておる! 今日まで大事に守っていた初めてをもらう事にしたのじゃ!」

「このバカ! それはセクハラってレベルじゃないだろ!」

「なんじゃ! 黒曜の初めてを貫くのは己の己だとでも言うつもりかっ!?」

「言わないよ! それとさっきから発言がライン越え過ぎなんだよ! 年長者なんだから暴走するな!」

「年長者じゃからこそ若いエキスを補充しておきたいのじゃ!」

「意味わかんない!」


 ベッドに潜り込もうとしているロロコの身体を掴んでどうにか止めているけど、こいつ力強いな! なんで強い奴らはどいつもこいつも見た目と腕力が一致してないんだよ!


「春護、ロロコ様、そろそろ怒るよ?」

「「……はい」」


 俺たちの争いを終結へ導いたのはあまりにも冷たい水花の言葉だった。

 一切の熱を感じさせない声に、俺とロロコはまるで石化してしまったかのように身体が固まっていた。


 殺気とは違う何か。従わなければと思わせる圧が確かにあった。


 ……ただ、俺は悪くないと思うんだけどなー。怖いからわざわざ言わないけど。


「ふ、ふうー、危なかったぜ。初めてがお仕置きでっていうのもそれはそれで興奮するけど、やっぱり乙女として初めては好きな人が良いもんね」

「あれ、百人斬りとか前に言ってなかった?」

「へっ!? あ、そそそ、それはそのあのえーとアレじゃんアレアレ!」

「アレ……ねえ?」


 ニヤリと笑みを浮かべれば顔を真っ赤にして慌てる黒曜。まあ、包帯でほとんど見えてないけど。


「春護」

「ごめんなさい」

「アハハッ、ハルハルってば尻に敷かれちゃってるじゃーん。面白ーいっ!」

「先輩?」

「ごめんなさい」


 あれ? なんか水花がこの場で最強になってない?

 俺たち三人がふざけている自覚があるからかもしれないけど……。これが罪悪感、負い目ってやつか?


「先輩。何があったのか教えて? 春護とロロコ様はこっちに戻る」

「「「はい」」」


 強い。なんか水花が強いです。

 大人しくベッド横に置かれた椅子に各々座ると、黒曜はゆっくりと話し出した。


「えーと、主様に確認しておきたいんだけどー、何処まで話して良い感じ?」

「ん? 確かにそうじゃな。今回の任務についてならば全て許可しよう」

「把握ー」


 ロロコは権力者だけど、普通のそれとは随分と違う。この国で大きな権力を古くから有している一族に養女として迎い入れられ、その上で全ての権限を奪い、元々この屋敷にいた本家の全員を追い出している。


 無人となった屋敷は元々部外者だったロロコが現在では使用し、その部下である少女隊も共に暮らしている状況だ。


 俺がロロコと知り合ったのは彼女がこの国に根付いた後、それ以前の事は何も知らない。


 明らかにロロコは、ロロコたちは普通から外れた場所にいる。何かを企んでいるのは確実だと思うけど……——そんな事はどうでも良い。


 復讐のために必要となる力を与えてくれる。技術と訓練相手を提供してくれる。環境を整えてくれている。

 だから過去とか、企みとか、どうでも良いんだ。


「あーしの任務内容は中央区に入り込んだナニカの調査だったんだよねー」

「ナニカって? 魔族じゃないのか?」


 多分だけど黒曜は調査対象と戦う事になった結果、負けてしまった。黒曜を倒すほどの相手ならその正体は魔族なんだろう。それが俺たちの見解だった。


 だというのに、わざわざナニカと呼称した彼女に思わず疑問を投げ掛けていた。


「最初はあーしも魔族だと思ってたんだよね。魔族が相手だと流石に一人はキツイよねーって思って、確定したらマイパートナーの釈放を主様に頼もうと思ってたんだけど、許可貰えますかー?」

「「「……」」」


 マイパートナーって事は、黒曜の相棒か……なんかとても最近聞き覚えがあるね。思わず黙る見し者三人衆。


 気まずそうに口を閉じた俺たちに疑問符を浮かべている黒曜に、ロロコは咳払いをしてから言った。


「釈放は標的が魔族だった場合の話なのじゃろ? しかしオヌシは標的をナニカと表現したではありゃせんか。つまり魔族ではなかったという事じゃないんか?」

「……んー、それが微妙な感じなんですよねー」

「微妙? それってどういう事?」

「主様ー、魔族に関する情報の一部話しても良いですか?」

「良いじゃろう。何処まで話すかは任せる」


 魔族に関する情報。それは明らかに怪しげな単語の羅列だった。

 許可を得た事で黒曜は話し出した。


「その前にさっきはハルハルが気にしてくれてたんだけど、今のあーしって結構な重傷人なんだけど? そんなに喋って大丈夫ーとかの心配はしてくれないのかなーって、すねすね」

「「「……」」」


 確かにそれはその通りなんだよね。

 三人揃って水花に怒られた結果が今の流れなんだけど、黒曜ってまだ目覚めたばかりだと思うんだよね。


 痛覚は遮断され、身体は動かないようにされているみたいだけど、喋るってのは結構体内で動きがあるからね。動けば負荷が掛かる。黒曜に喋らせ続けるのは彼女の事を考えればまずい事だ。


「……すまぬ黒曜。配慮が足りなかったの」

「ちなみにあーしの感覚だと喋るくらいなら問題ないと思ってたりするんだけど、主治医様の意見はどうですか?」


 本人は平気だと思っていても、痛覚が遮断されている事を踏まえると自分じゃわからない可能性も高い。

 もしかすると先の話を聞いてそういう不安があったのかな。


「問題ないと断言するのじゃ。前提として最も負荷を与えたくない部分は義手と義足の接続部分じゃからな。喋る分には何も問題はないじゃろう」

「あっ、そうなんだ。ふー、安心安心」

「でもロロコ様、肺は平気なの?」


 黒曜の傷は失った四肢だけじゃない。骨折や一部の炭化、そして何より、喋る事と直接関わりそうな傷が肺への損傷だ。


 肺の機能が七割停止したって聞いた。今こうして生きている時点で何かしらの手段で治療はされているんだろうけど……言われてみれば一番の懸念点だね。


「えーと、その、主様? そこらへんはその……平気ですか?」

「平気じゃぞ」

「軽っ!?」


 怯えた声を出す黒曜に軽く返事をするロロコ。彼女からすれば当然の不安だと思うんだけど、ロロコは呆れているように見えた。


「のう黒曜、ワシが誰だか忘れたか?」

「……あー、これは、うん。ちょっと平和ボケかなー。やべ、一回鍛え直した方が良いですかね」

「望むならば手配はしておくぞ? ただ暫くはリハビリじゃな」

「ぐぬぬー、まあ仕方ないかー。全部こうなったのはあーしの責任だもんにゃー」


 ロロコと黒曜。二人のそれは少し不可解なやり取りだった。

 あまりにも不可解過ぎて、そこに干渉するか俺は悩んでいた。


 そんな俺の心情など知らないと言わんばかりに、水花は口を開いた。


「ロロコ様。先輩は頑張ったはずだよ」

「水花、確かにそうじゃろう。じゃが結果の伴わぬ努力に意味はない」

「……えっ? で、でもそれは——」

「厳しい事を言っている自覚はあるが、努力とは慰めのためにするものではないのじゃ。求めた未来を手繰り寄せるために行う一種の儀式じゃとワシは考えている。故にいくら黒曜が頑張っていたとしても、敗北した結果以外は評価に値しないのじゃ」

「ロロコ様……」


 本人が言っているようにその考え方は厳しい。人の心に寄り添っていない非情な考え方だ。だけど、グサリと心に刺さった。


「そういうわけじゃ黒曜。リハビリが終わった後は地獄のトレーニングじゃからの」

「うわー、もはや治りたくないかも」


 本気で嫌そうな声をしている黒曜。ロロコはニヤニヤとしていて楽しそうだね。


 それにしても地獄のトレーニングか……ロロコがそこまで言うって事は、確かにヤバそうだね。怖がるのも仕方ない。


 それにしても肺の状態を聞いた結果怒られて、本人も平和ボケ発言をするってどういう事だったんだろう。

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