第二十五話 理解者
中央区画に流れている川に架けられた橋の上。特徴的な髪色をした少女が欄干に頬杖をつき、退屈そうな表情をして夕暮れを見つめていた。
「はぁー、ここは北方区とはまるで違うわね。なんというか……そう、平和だわ」
誰かといるわけではなく一人で黄昏ているイズキは呟いた。
視線を落とし河岸へと意識を向ければ、無邪気な笑顔を浮かべて追いかけっ子をしている子供の姿が二つある。
まだまだ小学校低学年くらいの年齢。川のすぐ側で遊ぶのは危ないと思うイズキだったが、彼女が何かしらの行動を起こす事はない。その必要なんてなかったから。
「あまり川には近付くなよー!」
「はーい」「うんっパパ!」
どうやら子供たちは兄妹だったらしい。それなら少し離れた所から声を掛けた大人は父親なのだろう。
実際に妹だと思われる少女はパパと返事をしていた。
「父親……ねえ」
イズキは今も北方区で動いているだろう自身の親へと思考を向けた。
父親と呼んで良いのかわからない存在。親子ならば親は子に無償の愛を贈る。そういうものだと、そんな話を聞いた覚えがあった。
だけど、彼女はそれがどういうものなのか理解出来なかった。
「アタシは出来損ないなんかじゃないわよ」
力が足りない。弱過ぎる存在。無能で無価値の廃棄物。そんな罵倒を毎日のように浴びせ続けられていた。
確かに弱いかもしれない。だけど、それでも生きているのだと認めて欲しい、そう思う事もあった。そんな過去も確かに存在していた。
「なんてね……そんな事はもうどうでも良いじゃない」
ここは北方区ではない。
常に血の匂いがするような地獄ではなく、無邪気な子供がこんな時間まで好きに遊べるような場所。
意味があって北方区から中央区まで移動した。そう意味はある。だけどそんな事よりも彼女はあの地獄から離れる事が出来た事実を喜んでいた。
それに予想外の事だったけれど、イズキにとっては今までにない喜びを得る機会に恵まれた。
——少し変わった二人組、いいえ、最初は一人だったわね。
顔を上げて目を閉じればすぐにその顔が浮かんだ。
会うたびに揶揄ってくるような男。文句は言い返すけれど……だけど、決して嫌ではなかった。
彼とのやり取りを楽しいと思う自身がいる事に、イズキは驚きながらもすぐに受け入れていた。
この感情はなんだろう。
その名前を知ればきっと……だから怖かった。
だから今も、怯えていた。
「随分と久しぶりじゃない。春護」
閉じていた目を開き横へと顔を向ければ、そこには少女にとって初めて出来た友人、志季春護の姿があった。
「うん、久しぶりだね」
「大体半年ぶりかしら?」
「適当過ぎるでしょ、時間感覚どうなってるんだよ。半年じゃなくて半月ぶりだね」
初めて会った日には偶然が重なって何度も会った。だけど、それからは今日まで一度も遭遇する事はなかった。
これが半月ぶりになる二人の再会だった。
「あら、そうだったの。随分と長く会えてなかった気がするわ」
「何それ、もしかして寂しかった?」
「そうね、否定しないわ」
「……揶揄ってる?」
「ふふっ、どっちだと思う?」
ニヤリと意地悪な笑みを浮かべた後、イズキは穏やかな笑みを浮かべて夕陽へと顔を向けた。
「気のせいじゃなかったみたいだね。なんかあったの? 話くらいなら聞けるけど?」
「……そう、今日は随分と優しいのね」
「いつも優しいと思うけど?」
「それはありえないじゃない。いつも意地悪ばっかりだわ」
「それは少年特有の不器用な愛情表現だよ」
「あらあら、それは嬉しいわね」
春護はイズキの隣まで進むと、彼女と同じよう欄干に腕を置いた。
「……そうね。それなら聞いてもらおうかしら」
「うん、どうぞ」
「ちょっと前に仕事をしたの。最初は良かったのよ、でも最後の最後で凡ミスしちゃって最悪の気分になったわ。本当に……今も苦しい」
「……そっか。俺に出来る事ってある?」
「……オマエ、本当に春護? あまりにもアタシに優し過ぎるわ。少し怖くなって来たじゃない」
「シツレイダナー」
「棒読みやめなさい。少し背筋が震えたわよ」
「あははっ」
ジト目で睨みつけてくる友人に春護が声を出して笑うと、ため息の後につられるようにしてイズキも笑みをこぼした。
「そういえば水花は一緒じゃないのね」
「別にいつも一緒にいるわけじゃないよ」
「……それはそれで可笑しい話じゃない。いくら特別だとはいえ、あの子はオマエの魔装人形なのよ?」
「人形扱いなんてする気なんてないよ。水花は水花だもん」
「不用心じゃない。オマエは魔装騎士なのよ?」
「まだ見習いの立場だけど、あの時より強くなった自信はあるよ」
「……そう、それなら少し試してみようかしら? アタシもアタシで身体を動かしたい気分なのよね」
獰猛な笑みを浮かべてそんな提案をするイズキに、春護は首を横に振った。
「ありがとね。でもいいや」
「あら、それは残念だわ」
「イズキが相手をしてくれれば証明にはなるんだけど、俺たちまだまだ修行途中だからさ。それにほら、前に約束したじゃん。次は水花も入れて三人でやろうってさ」
「そういえばそんな話もしたわね」
今の段階でも半月前と比べたら強くなったという自負が春護にはあった。以前の実力をその身をもって知っているイヅキと戦えば、それは明確な違いとなって自信を与えてくれるだろう。
しかしそれでは足りないと彼は思っていた。
強くなった今の自身でも一人では届かない。イズキはそれほどの実力者だと確信していた。
次はれっきとした魔装騎士としての戦いを。水花と共に力を示すのだ。そして必ず勝利すると誓っていた。
「そういえばついでだけど、ちゃんと帯剣するようになったのね」
「うん、あの後友達にも同じ事言われた。擬態くらいしろって怒られもしたよ」
「……友達ですって?」
「そ、友達」
「お、オマエ……」
「何々? どうかした? ん? 何かしちゃったかな? んん? そんなにピクピクさせてどうしちゃったのかな?」
春護の言葉に明らかな不快感と苛立ちを見せるイズキに、彼はよりいっそう嫌な笑みを深めていた。
「あははっ、ごめんごめん。やっぱり一度くらいは揶揄っておかないと勿体無いかなって」
「ふ、ふざけるんじゃないわよ」
「ごめんって、そんなに拗ねるなよ」
「……拗ねてなんかないじゃない」
そんな言葉と共にそっぽを向くイズキ。そんな彼女の態度に今度は楽しそうに笑っていた。
「ここに来て初めて会ったのが春護で良かったわ。本当に良い思い出になったもの」
「えっ、このタイミングでそのセリフはやばくない?」
「やばくないわよ。腹立たしい事だけど本音よ。オマエとの会話は楽しかったわ」
「……イズキ、お前消えるのか?」
「ええ、そうよ。よくわかったじゃない」
「……え?」
クルリとその場で回り欄干にもたれ掛かったイズキは続けた。
「あと半月経ったら北方区に戻る事になってるのよ。だから会えなくなるわね。寂しいわ」
「ねえイズキ? 俺たちが知り合ってからまだ遭遇した機会って今日で二日目だよ?」
出会いは半月前。だけど今日まで一度も会っていなかった。間があるとはいえ、実際の関係としてはたったの二日間でしかない。
いくら他に友達がいないとはいえ、ここまでわかりやすく寂しそうにするなんて驚きだった。
「うるさいわね。アタシにとってオマエの存在はそれだけ大きいのよ。……正直、北方に帰りたくないわ。良い思い出なんて一つもないもの」
「イズキ……俺の事を攫おうとか考えるなよ?」
「あら? 気が付かなかったわ。その手があったじゃない」
目を丸くして驚いてみせた後、やや狂気染みた笑みを浮かべるイズキに、思わず距離を取ろうとする春護。
そんな彼の行動に彼女はお腹を押さえて笑い出した。
「あははっ! 本気にするんじゃないわよ! あははははっ!」
「いや、だって本気の目をしてたぞ」
「ふふっ、そうね。半分くらいは本気だったかもしれないわね。春護が側に居てくれれば、きっと北方でも笑っていられるわ」
「……イズキ、お前……」
身体を春護へと向け優しく微笑むイズキ。そんな彼女の姿に、彼は言葉に出来ない、言葉にしたくない想いが湧き上がるのを感じた。
だから、笑う事にした。笑い話にするために。
「おいおい、まさか俺の事好きなのか?」
「ええ、好きよ。大好きだわ」
「……えっ?」
笑いながら否定されると思っていたというのに、予想外の言葉が返った事で春護は言葉を失っていた。
「あら、そんなに驚く事かしら?」
「いや、だって……えーと、その……」
「ふふっ、動揺し過ぎよ。まあ気持ちは理解出来るわ」
そう言ってイズキは再び欄干に腕を置くと、川へと視線を落とした。
「今まで生きて来てこんな気持ちになったのは初めてだわ。意外と良いものなのね。だからこそ……こんなにも苦しいんだわ」
「イズキ……俺は……」
「ふふっ、言葉を選んでくれているのかしら? 初恋は上手くいかないって相場が決まってるじゃない。最初からわかっていたわよ」
「……そっか」
少女は笑っていた。
初めての感情が終わったというのに、その胸は潰れそうなほどに苦しんでいるというのに、本当なら泣いてしまいたいくらいなのに、それでも彼女は笑っていた。
「半月後にまたここに来てくれる? 今度は水花と二人で、その時に約束を果たしましょう」
「……うん、わかった。必ず間に合わせる」
「ええ、半端な状態で来るんじゃないわよ? そんなオマエたちに剣なんて振りたくないもの」
「お互いにな。寂しいとか考えるなよ」
「ええ、必ず間に合わせてみせるわ」
前に見た時より強い眼をしている。少女はふとそんな事を考えていた。
たったの半月で人間とはここまで変わる事が、成長出来るのかと感心していた。
自身は弱い。それでもこの力は彼らを大きく超えていた。今もそうだろう。しかし半月後はどうだろうか。
「……もしかすると、北方区に帰らなくても済むかもしれないわね」
「イズキ?」
「春護、それからこれは水花にも伝えて」
少年に背を向けて歩き出した少女は数歩進むと立ち止まり、振り向く事なく言う。
「二人には期待してるわ。アタシをこの苦しみから解放してくれるって」
「イズキ……俺は……」
「春護っ! それ以上はやめて、失恋したばかりの乙女相手には致命傷過ぎるじゃない」
決して振り返る事はなく、その目元を隠し、少女は再び歩き出した。
ゆっくりと、まるで嫌がっているかのように、躊躇っているかのように、それでも少女は進んだ。
「六月の最初の日曜日。初めて会った時間に水花とここで待ってる!」
少年の言葉に少女は立ち止まり、前を見つめたまま剣を抜くと、天に向かって掲げた。
掲げた剣を頭の正面にまで下ろし、まるで祈るかのように目を閉じた少女は呟いた。
「——」
目を開け、剣を鞘に戻した少女は最後に友の顔を見ようと振り返ろうとし、止まった。
そして結局一度も振り返る事なく、彼女は走り出した。
迷いはない。
彼女の瞳には決意が蠢いていた。
「……ばか」
きっとこの半月間と同じように二人が会う事はないのだろう。
次の機会は決まった。
後はその日に向かって進むだけ、進むだけなのだ。
「……バカがよぉ」
少年もまた歩き出す。
既に見えなくなってしまった少女に背を向けて、己の家族の元へと歩き出した。
☆ ☆ ☆ ☆
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