第二十四話 瞳の奥に眠るモノ
右大腿骨粉砕。肋骨四本骨折。左眼球消失。右半身三割が炭化。右腕の肘から先を消失。肺全体の機能七割停止。左足太腿から先を消失。
多くの骨を砕かれ、右腕と左足を失うという重症を追いながらも、黒曜は生存していた。
屋敷の治療室で長時間の手術を受けていた黒曜。まだ意識は戻っていないみたいだけど、彼女は確かに生きていた。
生きてくれていた。
「黒曜……」
俺と水花はロロコからの連絡を受けると、常に謝罪してから屋敷へと向かった。
ロロコの私室へと案内され、俺たち三人は部屋の主人が戻って来るのを待っていた。
「春馬……黒——」
「大丈夫だよ水花。生きてるってロロコは言ってくれた。生きてるなら絶対に大丈夫だよ」
「春護……でも……」
「おいおい、お前は誰の相棒なんだ? 相棒の事、忘れちゃったのか?」
「……あっ」
生きているとロロコは言った。命が消えていないのであれば、ロロコならばどうにか出来る。
その実例が目の前にいるんだから確実だ。
「……水花、安心して。黒曜は少女隊の中で一番丈夫。死ぬなんてありえない。あの娘は殺しても死なない」
そんな言葉を水花に掛けたのはクリスさんだ。あの時に受けた連絡はクリスさんの元にも行っていたようで、彼女も一緒にここまで来たんだ。
……常には後で謝らないとだ。完全に一人だけ置いてけぼりの状況だったもんね。
「……それから君——春護の身体については知ってる。だから水花も安心して良い。頭が無事なら記憶を失う事もない。リハビリは必要だろうけど、悲観的になる必要はない。それよりも重要な問題がある。だよね、お嬢様」
「その通りじゃ」
クリスが視線と共に言葉を投げ掛けると、疲れた様子のロロコが現れた。
いつもの席に座ると、そのまま脱力し切った姿で肘掛けを枕代わりにして横になった。
「まず言っておくが黒曜なら無事じゃ。治療も全て成功した。そう遠くないうちに意識も目覚めるじゃろう」
「本当っ!? ……良かったぁ」
胸に手を当てて安堵の息を吐く水花。
そんな彼女の様子に目を丸くしたロロコは、次にニヤリと意地の悪い笑みを俺へと向けた。
「……なんだよ」
「いやなに、順調そうで良かったと思っただけじゃ」
「そんな話は良い。それよりも本題に入れ」
「……そうじゃな。正直ワシも疲れておっての、早く休みたいのが正直なところなのじゃ。脱線はこのくらいにして、知るべき事を伝えるべきじゃな」
畳の上で座るというより、ほぼ寝っ転がった状態で肘掛けに腕と頭を置いているロロコは続けた。
「少女隊はワシが各地で拾った子らによって編成した私兵団のようなものじゃ。黒曜はその中でも上位に値する実力を有しておる、そのあやつが敗北しただけでも驚愕するべき事なのじゃ、何よりも驚いたのは黒曜の身体の状態じゃ」
「……無くした……んだよね?」
「そうじゃ。とはいえ既にワシ特製の義手と義足を用意し治療済みじゃ。無論数ヶ月のリハビリは必要じゃが日常生活に支障をきたす事はなくなるじゃろう」
義手と義足か。人形技師として異様な技術力を持っているロロコの特製品なら、きっと外見も今までの彼女と同じ姿に戻る事が出来るだろう。
心臓を失った俺ですら救う事が出来るロロコなら、肺の件もどうにかしてくれるはずだ。
「クリスと水花は知ってると思うが、黒曜は少女隊の中でも防御に特化しておった。ありとあらゆる猛攻を受け止め、流す。模擬戦では格上相手だとしても無傷で終わる事の多い鉄壁の女じゃった。その黒曜が四肢を失うだなんて事は、本来ならばありえる事ではない」
「……それってつまり、それだけ敵が強いって事だよね」
「肯定しよう。黒曜の防御すらも突破するほどの攻撃力。断言する、敵は人ではない」
人ではない。
力強いロロコの言葉に、俺は気が付けば強く拳を握り締めていた。
「ねえ、教えて。敵は何?」
「……春護。まだその時ではない。今は堪えるのじゃ」
「なんでだよ! だってそういう事だろ!」
上体を起こし、座り直したロロコの言葉に俺は立ち上がっていた。
「黒曜を殺し掛けたクソ野郎、犯人は魔族なんだろ!」
騎士が討滅するべき敵勢力、魔獣。その上位種、それが魔族だ。
半年前、俺に重傷を与え、夏実を奪った存在、魔族=フィドゴレムラン。
黒曜を襲った奴があいつだとは限らない。それでも、仇に一歩近付く事が出来るのは確実だ。
「はっきりと教えよう。春護、オヌシの実力は黒曜より遥かに下じゃ! 黒曜が敗北した相手にオヌシが勝つ未来など砂粒ほどもありはせん!」
「……確かに俺は弱い。だけど、俺は一人じゃない。俺には水花がいる」
魔族が強い? 敵は格上? そんな事は知っている。最初から嫌になるくらい理解しているんだ。
だけど水花と一緒なら、二人ならゼロじゃないって、そう信じているんだ。
「そうじゃ。だからこそまだ早いと言っておるのじゃ」
「だけどロロコっ、俺は——」
「——春護っ!」
冷静さを欠いてロロコに詰め寄ろうとした俺を止めたのは、水花の怒鳴り声だった。
「アタシだって春護と同じ気持ちだよ。アタシの前世、マーレは魔族に殺された。アタシにとっても魔族は仇なんだよ。だけど、だけどね春護。アタシたちはまだ弱いの。弱いから選ぶ権利すらない。戦う事すら周囲は認めてくれないんだよ」
「水花……俺は……」
ロロコが俺を止めたように、小泉だって俺を止めた。
どうして止める? 俺が俺の命をどう扱おうが関係ないじゃん。水花を巻き込んでいるからダメなのか? でも水花は共に戦うと言ってくれている。これは俺たちの問題なんだ。
……なんて違う、本当はわかっている。わかってるんだよ。
俺は半年前に全てを失った。
その数日前に姉の死を知り、唯一残った妹だけは護ると誓ったのに、不様に負けた。
あの日から俺は一人ぼっちになった。そう思うようにしていた。
水花だけが唯一の希望。水花の存在だけが俺にとって光となっていた。
だけど本当は違うんだ。わかっていたんだ。俺は決して一人なんかじゃなかった。
消えるはずだった命を救ってくれた恩人がいた。
恩人の元で虚無になっていた俺に構い続け、多くの事を教えてくれた少女たちがいた。
半年間も連絡しなくて、ほとんど忘れていた俺なんかとの再会で泣いてくれる友人がいた。
そこには確かに繋がりがあった。
俺の命は確かに俺のものだ。だけど、決して俺だけの命ではない。
命を危険に晒せば心配する友がいる。俺が死ねば悲しむ人がいるんだ。
常は大泣きするんだろうな。小泉は文句を言いながらも、きっと涙を流す。
ロロコはきっと泣かない。それでも悲しんではくれると思う。黒曜は……泣いてくれるだろうな。
そうだよ。俺が死ねば黒曜は泣く。
黒曜が死んだと思った時、俺はどう思った?
あの時、最初に浮かんだ感情は……絶望だった。
——ああ、そうか。そうだよね。俺はみんなにこんな想いを……。
また失ったと。
怒りより先に悲しみに襲われたんだ。
「ねえ春護。でも小泉さんは許してくれたよ?」
「……えっ?」
「小泉さんだって反対してた。だけど、アタシたちの好きにすれば良いって言ってくれた。常の言葉もあるだろうけど、きっと信じてくれたんだと思うんだ」
「信じてくれた?」
「そう。未来のアタシたちなら魔族にも勝てるって」
未来の俺たち。
俺が彼女たちに訴えた一つの可能性。水花の存在によって可能となる新しい魔装騎士の在り方。
魔族を討つための新たな前例。
「まずは一ヶ月後に約束した小泉さんとの模擬戦。そこから証明しよう。アタシと春護なら、魔族にだって勝てるって事を!」
「水花……」
一体いつの間に?
無表情なのは変わらないけれど、瞳の奥に見える眩しいほどの輝き。昨日とはまるで別人のようだった。
「水花の言う通りじゃ。魔族の話になった途端目の色を変えおって。焦りがプラスを招く事なぞ少ないのじゃぞ。黒曜は生きておる、数日もすれば目覚めるじゃろう。アヤツから話を聞いてからでも遅くはあるまい」
「……だけど」
「無論放置するつもりはない。最大級の警戒と共に動く。その間にオヌシらは強くなる事じゃな」
ロロコの言葉には違和感があった。だってそれではまるで……。
「春護、水花。二人にワシ自ら依頼しよう」
「「——っ!?」」
ロロコの言葉に俺と水花は背筋を伸ばし、クリスさんもまた目を丸くしていた。
だって、このタイミングでそんな事を口にするという事はつまり——
「黒曜と戦闘し勝利した何者かを討伐せよ。万が一人間だった場合には捕獲に変更じゃが、魔族ならば遠慮する事はない。ぶち殺すのじゃ」
「……お嬢様、無茶」
ロロコたちが直接動く事はなく、主役は俺たちだと、これはそういう話だ。
感情を封じて考えるなら、それは悪手以外の何ものでもない。俺と水花がメインになるよりも、少女隊の面々で討伐隊を結成するなり、ロロコ自身が動いた方が安全だし確実だ。
あえて未知数な俺たちに依頼する。そんな彼女の言葉にクリスさんが待ったをかけた。
「確かに無茶じゃな。しかし無茶なぞ若い頃にしか出来ないものじゃ。今の内に経験した方が未来のためじゃぞ」
「……言い間違えた。無謀」
「無謀か……ふむ、確かに話をしたのがそこらの有象無象であればそうじゃろう。しかしワシが今話しておるのは誰じゃ? 春護と水花は有象無象と同一だと、オヌシはそう考えるという事かの、クリス」
「……クリスはまだ二人の事を知らない。だからわからない」
会話の内容からして彼女もまたロロコの関係者だという事はわかるけど、黒曜や他の少女隊の面々のように別邸には住んでいないらしく、今日が初対面だった。
だから俺たちはお互いの事を何も知らない。あるのは先輩と後輩という関係性だけだ。
困惑している彼女にロロコは続ける。
「じゃろう? オヌシは二人の事を何も知らぬ。その身に起きた悲劇は知っていても、あくまでもそれは人から聞いただけの情報でしかない。故に知らんのじゃ、春護がどんな想いで治療を続けたのか、どんな想いで水花が迎えを待っていたのか。その間にある目に見えぬ、しかし確かに存在している縁を感じておらぬ。しかし知っているはずじゃ、それがどんな結果を齎すのか、その可能性がどれほどあるのか! オヌシは知っているはずじゃ。そうであろう? クリス」
「……まさか」
止まらないロロコの言葉にクリスさんは圧倒されていた。
そして最後まで聞き続けた結果、あからさまな動揺を見せていた。
「春護、水花、オヌシらは若い。ワシの友がそうだったように、その年頃はたったの一日で別人の如く成長し、その姿は周囲の進化すらも早める事になる。その一端を春護、オヌシは既に見たのではないか?」
「——っ!?」
ロロコの言葉に全身が騒めいた。
一日とは思えない変化。言い換えるならば、一夜で起きた変化。
——水花……。
昨日の彼女と今ある彼女はまるで別人のようだった。
話し方に関しては単純に慣れによって砕けただけ? 違う、そうじゃないと感覚的にわかった。きっと水花は目覚め掛けているんだ。
「オヌシらに連絡した時点ではワシ自ら動くつもりじゃった。しかし、先のやり取りを見て気が変わったのじゃ。何、気負う必要はない。一ヶ月の後に足りぬと判断した時にはワシが動く。ただそれだけの話じゃからな」
一ヶ月で納得させてみせろ。
魔族を相手に戦っても良いと思わせるだけの力を示せ。ロロコの言っている事はつまりこういう事だ。
「わかった。一ヶ月で俺たちは新しい力を必ず完成させてみせる。そして必ず魔族を殺してみせる」
「期待しておるぞ。春護、水花」
「「はいっ!」」
やる事はもう決まっている。
目指した力を形にするため修行するだけだ。勿論、水花との連携も重要だ。
「……春護。最終的にどんな剣が欲しい? 詳しく教えて」
「えっ? クリスさんいきなりどうしたんですか?」
黒曜の様子を見に行きたいけれど、暫くは面会謝絶らしい。黒曜のために俺たちが出来るのは強くなる事だけだ。
そう事を思いながら帰ろうとすると、クリスさんにそんな言葉をかけられた。
「……質を気にしない剣を十本。何か新しい事をしようとしているはず。その何かが完成した時、どんな剣があれば春護は喜ぶ?」
「クリスさん……ありがとうございます」
「オヌシにしては珍しいの。男嫌いだったと記憶しておったが? 外に出た事で良い出会いでもあったのかの」
ニヤリとした意地の悪い笑みを浮かべるロロコに、クリスさんは淡々とした口調で返した。
「……春護は後輩。水花もそう。先輩が後輩を助けるのは当然の事。それと彼氏とか興味ない」
「まだ、の」
「……お嬢様、相変わらず性格悪い。そんなだと捨てられるよ?」
「ななっ!? だだだ、誰が誰に捨てられるじゃと!?」
「……まだ言ってる。クリスが居た頃と変わらない。まあ、進展するわけないか」
「う、うるさいのじゃ! そもそも進展などあるわけなかろう! ワシとアヤツはただ一時期パートナーだっただけじゃ!」
「……夫婦って事?」
「違うわ阿呆! 相棒という意味に決まっておるじゃろう!」
黒曜の話に少しだけ出てきた謎のロリコン。どうやらクリスさんもその人の事を知っているらしい。元々ここに居たのなら当然の事なのかな。
……あれ? もしかして時々来てたりするのかな。俺は遭遇した事ないけど、水花はどうだろう。
「水花は会った事ある? ロロコの彼氏」
「彼氏ではないと言っておるじゃろうが!」
「そっか。旦那だっけ」
「だから違うと言ったじゃろう!」
うん。顔が赤い。確かにこれは恋する乙女の顔だね。ロロコに片想いの相手がいたとしても俺はダメージ受けないけど、世の中にはショックを受ける人もいるんだろうね。
……少なくとも一人は知ってる。ロロコの事を崇めているちょっと残念な男の存在を。
「……春護。決まったら教えて。それから水花を借りても良い?」
「水花が良いなら良いですけど、どうしてですか?」
「……クリスが直接教える。あくまで基礎だけど」
「なるほど」
元々は常に見てもらう予定だったけど、今回の知らせを受けて先に帰ってもらったからね。
クリスさんの実力は知らないけど、元々ここに居たなら問題ないかな。
……いや、でも常も水花に頼られて張り切ってたし、確認した方が良いかな。
「ちょっと常に連絡しますね」
「……あっ、クリス反省」
水花と常のやり取りはクリスさんも見てたからね。それを思い出したのか少し落ち込んじゃったみたい。
「……常とは誰じゃ?」
「とりあえずクリスさんの店に行きませんか? 剣も受け取りたいですし」
「……わかった」
ロロコが常に興味を示した瞬間に俺たちは一切のサインを交わす事なく話を進めると、まるで、いやロロコの前から逃げ帰った。
「おい! ワシを無視するな!」
「じゃあなロロコ! 黒曜と会えるようになったら連絡ちょうだい! ほら、行くぞ水花」
「う、うん。またね」
水花は状況について来れていないみたいだけど、ロロコに小さく手を振りながら挨拶すると、大人しく付いて来てくれた。
「オヌシらーっ!?」
遠くからロロコの叫び声が聞こえるけど無視無視。絶対に振り返らない。
それからこれだけは言わせて欲しい。
「クリスさんマジで神」
「……わーい。後輩に喜んで貰えて嬉しい」
さてと、話の続きはクリスさんの店でだね。
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