第九話 圧倒的な力
随分と久し振りになる実技テストの時間がやってきた。
既にテストである生徒同士の模擬戦は始まっていて、俺は水花と共に観覧席から一対一の戦いを見ていた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫です」
本邸を出て別邸を通った時に水花とは合流したんだけど、なんか凄く疲れているようだ。
……その理由はなんとなくわかった。
「着せ替え人形にされたのか」
「……はい」
水花が現在着ているのはあの屋敷で一般的な着物ではなく、水色のヘソ出しタンクトップに黒のロングパンツだ。
ヘソ出しという時点でお腹周りの露出が凄いんだけど、胸元も開かれていて……うん、これ以上はやめよう。
なんだ? あいつらのファッションセンスはどこかに特化しないとダメなのか?
今までは下半身の露出がすごかったけど、今度は逆に上半身の露出が凄いんですけど!?
「大変でしたけど、今は満足してますよ」
「……そうなんだ」
嬉しそう声。そっか。それは水花の趣味だったんだ。なんだろうこの気持ち……複雑だなー。
「これなら蹴っても良いですよね?」
「……うん、いいよ」
そっか。覚えてたんだ。スカートで蹴りなんてダメだって確かに言った。気にしてたからズボンにしたって事?
……それはちょっと嬉しいかも。
「それじゃあ水花、暴れようか」
「はい春護」
☆ ★ ☆ ★
魔光掲示板には俺の名前と地古白夜の名前が表示されている。ロロコの推理通りになったって事か。
それだけ白哉は俺の事を評価してくれているって事でもある。ああ、楽しみだ。
地古白夜。
ブレザーは着ずに、ワイシャツとスラックスだけでネクタイすらしてない。
そんな彼が背負っているのは戦う者としては無意味な装飾の施された大剣。柄頭に燻んだ宝玉を埋め込むだなんて、意味がわからない。
天才故の価値観かな。
「……おいてめぇ、どういうつもりだ」
「何が?」
対峙するなり不機嫌な様子を隠す事なく、白夜は苛立った声を掛けてきた。
「何がじゃねえだろ。その小娘はなんだ」
「え? あっ、そっか。こっちは仕方がないとはいえ不公平だもんな。ほら、出して良いぞ」
「……何を言っていやがる」
「わからないの? 察し悪いなー、魔装人形を出しなって言ってるんだよ」
「魔装人形だと? ……まさかっ」
どうやら気が付いてくれたらしい。
まあ、正直初見じゃわかるはずもないか。
見た目は完全に可愛い女の子。表情筋は基本的にというか、今のところボイコットし続けてるけど、声は感情豊かだからね。
食堂での一件もあるし、まさか魔装が食事してるとは思わないだろう。
「なるほど、そいつが噂のなんちゃらモデルか。新型とも言われているらしいが、くだらねえ。確かそいつは格納機能がないらしいな。だからこそ先の発言か」
「負けた後に文句言われるのも面倒だからな」
「ガハハッ、安心しろ、そんなつまんねえ事を言う気はねえ。そもそも俺はてめぇ相手にこいつを出す気はねえからな」
そう言いながら左手を上げ、双石指輪を見せる白夜。
あのニヤついた表情からしてもこれは挑発だ。仮にそうじゃなくて、本心から言っているなら尚更だ。
そのプライド、ぶち壊してやるよ。
「水花」
「はい」
「負けた後で手加減したから仕方がないとか、見苦しい男の言い訳聞きたくないと思わない?」
「そうですね。舐めプを保険にする……この世でもっとも愚かでカッコワルイ、弱者です」
「……」
うわー、めっちゃ言うじゃん。
水花って結構口悪いというか、煽る時には楽しそうに煽る傾向があるような……気のせいかな。うん、そうだよね。
「まあ、そういう事だから。白夜、男同士殺し合おう」
「——っ、なるほど、楽しめそうじゃねえか」
テスト? 模擬戦? 関係ない。
相手は強者だ。しかも、お互い魔装人形と連携しないっていう本来ならありえない状況。
試したい。試したいんだ。
俺がどこまで強くなれたのかっ!
全身から魔力を解放し、全開の殺気を迸らせる。まずは様子見だ。これでこいつの格が計れる!
「【鳥】」
「「——っ!?」」
試合開始の合図と同時に白夜との距離を一歩でゼロにした俺は、拳を引きながら次を詠唱する。
「【風】」
「ぐっ!」
暴風を纏った拳が白夜へと叩き込まれ、俺よりも大柄な奴の身体は何メートルも地面も引き摺っていた。
そう、引き摺ってる。転がってるんじゃない。
「よかった、白夜って強いんだな。下手すると今ので殺しちゃってたよ」
俺の拳は白夜の身体に当たらなかった。
高速移動から攻撃に移る合間にある隙間。一秒あるかないかくらいだと思うけど、白夜はその刹那に反応して防御していたんだ。
背負っていた大剣を盾にする事によってね。
「おい、なんだお前は、今のは……いや、何でも良い。楽しめそうじゃねえか!」
獰猛な笑みを浮かべて心底楽しそうにしているけど……ねえ、そんな余裕あるの?
「【鳥】」
白哉を殴り飛ばした事で離れていた距離を、魔法によって再びゼロにすると今度は両手に暴風を纏った。
「【風】」
殴る。防御される。殴る。防御される。殴る防御される。殴る、防御……つまらない。同じ事の繰り返しだ。
だけど白夜からしたら理不尽な状況だよね。わかるよ。わかってあげられる。でも、それが戦いなんだ。
「くっ、てめぇ、明らかに、くそっ!」
「ねえ、それって剣だよね? 斬らないの? それじゃあ盾と変わらないよ」
殴る。殴る。殴る。殴る。殴り続ける。
初撃の段階で気が付いているはずだ。生身で直撃を受ければそれで終わるって。
だからこそ防御に集中しているんだ。
お互いに魔装人形と戦わないって言っている以上、これは俺と白夜の戦いだ。
白夜にはどうする事もない。反撃のチャンスなんて与えない。防御に集中しないと防げないからね。このまま削り取ってあげる。
叩き付けているのはただの拳じゃない。暴風を纏った打撃の破壊力は岩すらも砕く。白夜の武器が大剣じゃなかったら今頃粉々になっていたかもしれない。それほどの衝撃を受け止めているんだ。一撃一撃の衝撃で体勢は崩され、ダメージは蓄積する。
——これで終わるのか? そんなわけないよな?
あのロロコに天才とまで言わせたんだ。こんなもんで終わらないよね?
だけど、そんな期待は裏切られた。
——バランスが崩れた。ここだ。
衝撃を受け流すのに失敗し、隙を見せた白夜。この一撃は防御されるだろうけど、それで完全に防御姿勢は剥がれる。それで詰みだ。
「はっ!」
拳が大剣に叩き込まれ、白夜の身体が吹っ飛んだ。
衝撃が足に伝わって踏ん張りが効かなくなったのか。ここまで距離が出来たのは予想外だけど[鳥]で——いや、違う!
白夜の身体は初撃の時よりも後方に吹き飛んでいる。踏ん張りが効かなかったとしても、そこまで飛ぶのはありえない!
連打の時と比べれば力を込めて殴った。だけどそれだけの事でここまで結果が変わるはずない。つまり、白夜は自ら後ろに跳んだんだ!
「次は俺の番だぜ」
地面を滑りながら大剣を上段に構えた白夜の身体から、膨大な魔力が溢れ出した。
——なんで魔力を? っあの大剣、魔装具だったのか!
膨大な魔力が大剣へと吸い込まれ、無色の光を荒々しく纏っていた。
「一撃で終わるんじゃねえぞ!」
距離が離れているというのに大剣を振り下ろそうとしている白夜。
その動作から予測出来る魔法系統は一つしかない。圧縮魔力による高出力放出だ。
「【魔装大剣・
魔力で大剣を包み込み、振り下ろすのと同時に開放。刃の形をした圧縮魔力が解き放たれ、俺の身体を斬り裂こうと迫っていた。
「【魔装・花鳥風月・花】」
圧縮された魔力が右腕を覆い、ただの手刀を名刀の一振りへと変える。
ただの個人じゃなくて名家に生まれた白夜なら、持っている魔装具の性能は高いはずだ。
白夜相手に隠し切る事なんて出来ないだろうし、俺は迷う事なく完全詠唱で[魔装]を起動した。
迫り来る斬撃に斬撃を叩き付ける。
二つの斬撃がぶつかり合う事で火花が、いや、魔力由来の輝きが眩く散っているけど、俺は確信していた。
俺も白夜も完全詠唱で魔装の力を解き放っている。魔装の性能差、使用者の実力差、結果を分ける要因は沢山あるけど、今回に限っては必ず勝てるという確信だ。
魔力は身体から離れると制御率が下がる。それはそのまま威力の低下に繋がるんだ。
それともう一つ。身体から離れた魔法に魔力が補充される事はない。
魔力と魔力のぶつかり合い。お互いに魔法に込められた魔力を消費し続ける事になるけど、放たれた白夜の斬撃は消費するだけなのに対して、俺の斬撃は魔力を供給し続ける事が出来る。
白夜の斬撃は威力が落ち続け、俺の斬撃は変わらない。均衡が崩れるのに時間は掛からなかった。
「俺の斬撃をぶった斬るか。とんでもねえな。だが、その出力……いや、どうでも良い事だな」
「さあ、次はどうする?」
「んあ? 余裕だな。仕方ねえ、ならこうする他ねえだろうな!」
大剣を地面に突き刺し、左腕を天に翳す白夜。そして指にはめられた双石指輪が光を放った。
「来いっ、アルティ!」
輝きの中から現れたのは、メイド服を着た黒髪ショートカットの完全ロリ体型の魔装人形だった。
「アルティ出力最大、やれ」
水花と違い言葉を持たない魔装人形アルティは空中に跳び上がると、返事をする事なく無言のまま白夜の命令を実行した。
「くたばってくれるなよ? 【魔装・エクスプロージョン】」
地面に立っている俺に向けて重ねられたアルティの掌から放たれたのは小さな光の玉だった。見た目は地味だけと、その魔装は聞いた事がある!
——それだけで魔装人形のリソースを全て喰らい尽くす狂人の術式か!
本来魔装人形はリソースに合わせて複数の魔装を搭載するもんだ。だけど白夜のそれはあまりにも極端な一発特化の術式。
破壊力と攻撃範囲は凄まじいけど、一度使えば暫くは使えなくなるほどの負荷を与えるほど過剰なものだ。
「春護」
焦っている俺に冷静な声を掛ける水花。その言葉に対して俺は反射的に返していた。
「やって」
「了解です【魔装・花鳥風月・風】」
俺のそれとはまるで使い方が違う水花の[風]が完全詠唱で放たれた。
小さく圧縮された暴風は弾丸となって撃ち放たれ、アルティの放った光の玉とぶつかり、複雑に入り混じった暴風を解き放っていた。
暴風によって光の玉は進行方向を上空へと変え、そして眩い破壊の花火を遥か上空で咲かせていた。
あんなに離れた所で爆発してるのにあの大きさ。下手をすればこの会場全域が破壊範囲内だったんじゃないか?
強力な術式を優秀な魔装騎士が遠慮なく使った結果があれか。
在学騎士白夜。きっと今見せられたのはその力の一端でしかない。それでも、個人で戦況を変える事が出来るほどの力があるのだと、嫌なくらいに理解出来た。
ただ、その力をここで使う事に関しては。
「お前、バカじゃないのか?」
「てめぇなら対処出来ると思っただけだ」
「……狂人め」
もしも俺たちが対処出来なかった? アルティの放った術式の殲滅範囲は俺と水花だけじゃない、この場にいる多くの命を巻き込むほどの力だった。何より白夜自身を巻き込んでいたはずだ。
個人相手に使うには明らかに過剰戦力。そんな術式を使っておきながら、なんで平然としていられるんだ?
「だけどこれで終わりだね。一対一を先に破ったのはお前だ。躊躇う事なく俺は水花と一緒に戦うぞ。でも、お前の相棒はオーバーヒートで暫く動けない、違うか?」
「ああ、そうだな。アルティは暫く使えねえ、だが役割は既に果たしている」
「役割?」
状況は明らかに優勢。だけど、白夜の態度はなんだ? 状況がわかってない? いや、そんなはずがない。何か、何かあるんだ。
獰猛な笑みを浮かべ、奴は言う。
「仕切り直し。それが出来れば十分だ」
確かにアルティによって俺に攻められ続ける展開は終わった。だけどそれは一時的だ。
同じ事をしようと思えば出来るだろうし、仮に対処方法が思い付いたんだとしても、水花の援護があれば形勢は動かない。
白夜の狙いはわからないけど、ただ威勢を張っているようにはとても見えない。一体何を考えている?
「志季……春護だったか? 俺はお前が気に入った。現状を破壊する火種の一つとして、覚えておいてやる」
「……そりゃどうも?」
えっ、突然何? 言葉に出来ない恐怖を感じました。はい。
とりあえず、もう終わらせよう。
「だからこそ教えてやる」
そんな俺の思惑を超えて、何かをしようとしている白哉。
何をするつもりだ? そんな事を考えている間に場面は変わった。
地面に深々と突き刺した大剣の柄を握り締める白夜。その手に、魔力が煌めいた。
「魔装騎士としての俺はてめぇに敗北した。だからここからは、俺の全力を見せてやる」
大剣の刃を地面に突き刺したまま、白夜は握り締めた柄を引き抜いた。
——ああ、そうだったんだ。
どうやら大剣の柄頭に埋め込まれていたあの宝玉はただの飾りじゃなかったらしい。
魔力が繋がる事なく、未活性状態だったから燻んでいただけだったんだ。
大剣という鞘から抜かれ、それはあるべき姿を取り戻した。白夜の魔力と接続された事によって燻んでいた宝玉は輝きを取り戻し、眩い黄金の光を放っていた。
「……お前、魔操騎士だったのか」
「いいや、騎士としての形は魔装使いだ。ただ、本気の形は魔操術師ってだけだ」
白夜の身体から膨大な魔力が解き放たれ、大剣という鞘から引き抜かれた杖の宝玉へと込められる。
宝玉という媒体によって圧縮された魔力は術師の制御によって空へと解き放たれ、天に巨大な術式を構築していた。
「安心しろ。アルティのエクスプロージョンと違ってこれは完全に制御された破壊の雨だ。周囲が犠牲になる事はねえ」
「……ふざけるな。お前、頭おかしいんじゃないか?」
「ガハハッ、自覚している」
術式の解析。そんな技術は俺にはない。
空に描かれた巨大な術式。見覚えもないしこれから何が起きるかなんてわからない。
ただ、あの術式を構築している膨大な魔力からその馬鹿げた威力だけはわかる。
「水花! 起動前に術式を壊せ!」
天に描かれた術式は圧縮された魔力によって構築されている。元は同じなんだ、魔力なら干渉する事が出来る。
「はい!」
指先を天に向けて両手を重ねた水花が魔力を術式に流そうとした瞬間、凛とした声が聞こえた。
「【魔操術・魔を破壊する
巨大術式に向かって一直線に解き放たれる水色に光り輝く閃光。
それは巨大術式に当たると一瞬で全てを水色に染め上げると、次の瞬間には粉々に砕けて空へと消えていた。
——なんて威力、一体誰が!
閃光は真っ直ぐ放たれていた。発射地点に目を向けると、そこには観覧席で一人だけ立ち上がり、空に向かって杖を向けている少女、小泉雫の姿があった。
「おい、女。何のつもりだ」
杖を下ろしてからこちらに、白夜に顔を向けた彼女の顔は……怖い。明らかに怒っていた。
黄金の髪を揺らしながらゆっくりと歩き出し観覧席から俺たちの元までやってきた小泉に、白夜は怒気を放ちながら声を掛けた。
「それはわたしの台詞です。これは魔装騎士見習いとしての実力を示す場なのですよ? だというのに魔操術を使うだなんて、一体どういうつもりなのですか?」
「テメェに教えてやる義務なんざねえ」
「その答えは間違いですよ地古白夜さん。わたしは生徒会の副会長です、学院内においては教師個人を超える発言権と実行権を有しているのですよ」
「……ほう、テメェが噂の天才か」
ニヤリと獰猛な笑みを浮かべ、舌舐めずりをする白夜。
その眼差しに込められているのは下心ではなく、戦闘狂としての歓喜。強者を前にした喜びだ。
「俺は既に騎士の称号を得ている。立場は生徒会とやらより上だ」
「行いに正当性があるのならばそうでしょうね。ですが既にルール違反をしている以上、職権濫用はさせませんよ?」
「ルール違反だと? 俺が何をした?」
「この場は魔装科の生徒たちが各々の実力を披露する場なのです。故に魔操術の使用は正式に禁止されています」
「……何言っていやがる? そんなルールはなかったはずだ」
その話については俺も白夜と同意見だった。
魔装科と魔操科はそれぞれの専門授業では別々にされるけれど、クラス分けやテストの時は同じ扱いをされていたはずだ。
「あなたは長らく騎士としての活動を優先し、学院にいなかったため知らなかったようですね。今年度から実技において魔装科は魔操術の使用を禁ずるというルールが新たに定められました」
「なんだと? ……まさか前例か?」
「魔装科は魔装騎士を目指す者たちです。そして魔装騎士とは魔装人形と共に戦う騎士です。前提にない魔操術の使用は公平ではないという生徒会の判断により禁止となりました。今後実技で魔操術を使いたいのならば、魔操科に転科する事を推奨します」
「ほう、それはどっち寄りなんだろうな」
「……」
白夜が口にした不思議な問い掛けに、小泉は答えなかった。
打ち切られた二人の会話では出て来なかったけど、もしも白夜が小泉の言うように転科した場合、魔装人形と一緒に戦う事は許されているのか?
まるで今まで曖昧だった魔装科と魔操科の境界を明確化するかのようなルールだ。
俺が学院にいなかった間、何があったんだ?
白夜は何かを察しているように見えるけど、俺には何もわからなかった。
いや、どちらにせよ俺には関係ない。難しく考えるのはやめておこう。
「この試合は地古白夜の反則負けとなりますので、勝者は志季春護となります」
「……まあ、そうなるよね」
試合には勝ったけど、勝負には負けた。あの巨大術式が起動していたら俺と水花じゃどうしようも出来なかったはずだ。
単発ならまだしも白夜の言い方じゃ連発型っぽいし、勝ち目はないと思う。
「試合の勝敗なんざどうでも良い。確かめたい事は確認出来た。志季の名に恥じぬ力だったぞ」
「……そんな相手を殺そうとしたのは何処のどいつだ?」
「ガハハッ、謝るつもりはねえ。あの女がいる事は知っていたからな」
そう言った白夜の視線を追うと、そこには役目は終わったと言わんばかりに背中を向けて観覧席へと向かっている小泉の姿があった。
あれ? 小泉の事は知らなかったんじゃないのか? いや噂の天才とか言ってたっけ。顔を知らないだけで存在は知っていたんだ。
「そうだ、てめぇに聞いておきたい事がある」
離れていく足音が止まったのがわかった。その事を気に掛けず、俺は白夜へと身体を向けた。
「……何?」
「てめぇの事とは別件と聞いているが、あの天才は本当に死んだのか?」
「——っ!」
「そうか、やなり事実だったか」
白夜の言葉に口の中が急速に乾いていくのを感じた。
そうだ。俺たちとは別件だった。だから直接見たわけじゃない。だけど、知らされた現場の状態がどうしようもなくその結果を示していた。
夥しい量の血痕が残された現場の写真。そして血痕に含まれた残留魔力から、それが一体誰の血なのか判明していた。
死体は現場になかったけれど、確実に流した人は死んでいる量の血液、特定された人物の名前は志季冬華。
そう姉さんは……死んだんだ。
「それだけだ、俺は行く」
「……うん」
離れていく白夜の足音の他に、近付く足音があったけれど、気にする余裕はなかった。
今だって夢に見る。俺の名前を叫びながら手を伸ばす姉さんの姿。俺は何も出来なくて、次の瞬間には姉さんの胸から刃が突き出し、鮮血が舞う。
俺の身体は真っ赤に染まって、足元が崩れ去り闇の中へと落ちていく。
そして最後に見るのは、落胆したような顔をして見下ろす姉さんの姿が離れていく姿だ。
沈んだ意識に声が掛けられ、俺は浮上した。
「志季春護。生徒会としてあなたに確認しなければならない事があります。放課後、生徒会にお越し下さい」
「小泉……わかった」
彼女が聞きたがっている事については想像が付いている。大丈夫、予定通りってわけじゃないけど、どうにかなる。
俺が頷いたのを確認した後、小泉はそれ以上何も言う事なく立ち去った。
「春護、大丈夫ですか?」
「うん、もう乗り越えてるから」
「……」
水花は何も知らない。それでも心配してくれているって事は、それだけ今の俺は落ち込んでいるように見えているみたいだね。
水花にそう言って微笑むと、彼女はそれ以上何も言う事はなかった。
実技テストは一人につき一戦だ。既に戦っている以上、残りの時間は観戦による見る訓練を行うべきなんだけど……とてもそんな気にはならなかった。
だから俺たちは会場から立ち去った。
「……春護君」
観覧席で小さく呟かれた自身の名前に、俺は気が付く事が出来なかった。
その事に悲しむ事なく、ただ当然だと想いを胸に仕舞い込み、黒髪の少女はポニーテールを揺らしていた。
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