第2話 10月12日

僕のことを記しておこう。


結論から言うと僕は空っぽな人間だ。


朝5時半に起きて、一杯のコーヒーだけを朝食がわりに飲む。適当に身だしなみを整えて、朝6時に家を出る。同じ時間帯、同じ道を運転し、同じ時間に会社につき、会社の同じ顔ぶれと、毎日同じような仕事に一日を追われ、23時頃に疲れ果てて帰宅する。寝静まった家のリビングに置かれた冷たい夕食を食べ、適当にネットや動画を観て、適当に眠りにつく。この繰り返しだ。


週末はずっと寝ている。ベットから起きたくない。起きてたところで睡眠以上に良い出来事はないと分かっているから、頭はちゃんと打算を働かせていると思う。


他にすることがあるとしたら、仕事に行くことだ。


この世に生きる人は、みんな否応なしに、仕事や勉強や恋愛、色々なことで好調不調の波に乗っている。人間一人一人の物語が幾万幾億と折り重なるから「世間」というものが存在している。特に週末ともなると世間は休みだから、幸せな物語を垣間見ることが多くなる。

仕事の行き帰りに、すれ違う幸せそうに家族や友人と過ごしている人達を見ても、今では心を乱されることは少なくなったが、出来れば僕の世界からは遠ざけたいとも思う。だから、仕事をしなければならない場合は、なるべく鳥たちの目覚めに合わせて会社に向かってしまうことが多い。家でするのは別の意味で辛いからだ。


人には好不調の波があると言ったけど、四季で例えるなら冬が終われば春が来るのが当たり前のように、占いやスピリチュアルの類とはまた違った、見えない原理原則みたいなものがあるのだと思う。

じゃあ僕はというと、今言った話と矛盾するようだが、ずっと海の底にいる。少なくともこの10年間ずっと、陽の昇らない暗黒の中で独りうずくまっている。この海底で少しでも動くと、恐ろしいほどの水圧でペシャンコにされてしまいそうで、たただたじっと耐えるしかない、そう思ってこれまで過ごしてきた。


もっとも、僕の中がそんな状態であると分かったのもこの数ヶ月の話だ。いろんなことが重なって、打ち込んできたもの、気と力を注いできたものの価値を否定され、目標も目的も失いかけて初めて気づけたのだ。


逆に気づけて良かったと思う。それくらい、世間という戦場を駆け抜ける"社会人"と呼ばれる戦士たちは、自分の守るべきもののためなら自分を封印し、偽り、平気で嘘をつくのだ。

それは無限に自己生成できる覚醒剤のようなもの。

その辺を平然と歩いているサラリーマンも、実はみんな廃人と化しているわけだが、それすらもその麻薬で偽れるから見分けるのはなかなか難しいし、自分ですら気づいていないのかもしれない。ただし、その副作用に耐えきれなくなった人(自分が廃人であると気づけた人)から順番にドロップアウトする。

世間から、あるいは、この世から。


つまりこの世の中は狂ってる。


漫画でよく見るゾンビで溢れかえった世界の方が幾分マシではないかとも思う。


そんな狂った世だというのに、何を思ったのか僕は妻を持ち、子供も二人いる。30代前半で庭付きのマイホームを持ったこともあって、世間的には”自立したいい大人”とカテゴライズされるかもしれない。誰かからしたら、ありきたりなステータスなのかもしれないし、他の誰かからしたら、羨ましがられるものを持っているかもしれない。


嫌味とかマウンティングとか、そういうことを言っているのではなく、気づけばそうなっていたのだ。本当に。だって僕には、そんな能力も甲斐性も無いのだから。たまたま打ち込んでいた仕事が多少評価され、いつの間にか恋人が妻になって家庭が出来上がっていて、お金の使い方もよく分からないから妻の勧めるままにマイホームを買ったり、報酬を使って物質的に環境を整えているだけの話だ。


よく人生の選択をするときに、周囲から強要されたり強制されることを「レールを敷かれる」と言うけれど、僕の場合は神様みたいな人が、天上からレールを敷いているような気さえしてくる。しかし、こうして書いていると、ただ自分の意思や希望が無いだけ、自分の人生に起きる大半のことをどうでもいいと思っているだけだと気づいている。神様のせいにしているだけなのだ。


僕は一見すると、幸せそうな家庭を築いているかもしれない。しかし実際は家族と会話をすることも、顔を合わすことすらほとんどない。前までは夜仕事から帰るのを起きて待っていてくれたり、朝一緒に起きることもあったが、今ではもはや僕と顔を合わそうということすら、誰もしなくなった。

今の僕は仕事が大半を占めているし、休日だったはずの週末も直前(金曜日の退社前)に出勤が決まったりと、読めない僕のスケジュールに諦めたのか、疲れ果て普段からそうだが無愛想で不機嫌そうな僕といたくないのか、週末も別々に過ごすようになった。いつしか寝室も別になり、出会ったとしても、会話どころか目も合わせなくなった。こども達は母親に絶対的な信頼を置いているので、気がつけば母親の態度をトレースするようになった。


喧嘩をしたという心当たりもない。

心当たりと、はっきり覚えていない表現をするところが、我ながら家族に対してひどく無関心になってしまったと思う。妻はおろかこども達にそんな態度を取られても、不思議と怒りも悲しみもなかった。現状を良い方向に修正しようとも思わなかった。


ただただ、この方が楽でいい、と思う自分がいる。


プログラムのように同じことをこなし続ける日々。

その中で積もっていくフラストレーションに窒息しそうな日々。

やがて息が出来なくなることが分かっていながら、今も疲れ果てていることを理解しながら、楽で良いと言う自分。

何をしたくて、何が問題で、何を変えれば良いのか、それを考えることすら諦めている自分。

それを廃人と言わず何という?


プログラムのように、決まった時間に、決まった行動をし、決まった報酬を得て、家族にそれを全て渡す決まり。


延々とこの作業を繰り返していく。

これまでも、これからも。


僕は空っぽだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2025年2月29日に僕は死ぬ @jinkaoru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ