カルネージ Ⅲ
ライブ放送中に、思わずつぶやいてしまった。
「歳上の女性に、可愛がられたい人生でした」
最近ではライブ実況にも慣れたもので、チャットを拾い上げて雑談しながら粛々とゲームを進めることができる。このつぶやきも「カルたん、オコジョたんに惚れてる説あるね」という他愛もないチャットに応えてのものだ。
すかさずオコジョからツッコミが入る。
「すいませんね、歳下のガキで!」
叫びながら敵チームめがけて駆けだし、次々とキルを取っていく。無謀ともいえる特攻は、怒りの為せる業なのか……いやまて、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。
しかし四十歳を超えてまで歳上女性へのあこがれを口にするなんて、我ながらどうかしている。俺より歳上なんて、アラフィフってことに……いやまて、アリだな、アリ。アラフィフ美魔女、どんと来いだ!
いやいや、ダメだろ。落ち着け。たとえそんな望みが叶ったとしても、ドロドロしてしまうに決まっている。俺の理想は、もっとプラトニックだったはずだ。
歳上にあこがれていた頃……そう、学生の頃の俺の理想は、歳の頃なら二十七歳。三宮あたりのブティックで、服を売っているお姉さん……そんな女性に、バイトでカフェの給仕をしているところを見初められるのだ。そんな出会いにあこがれていた。
そして、彼女の部屋に通ううちに部屋の鍵を託され、半同棲の甘い生活をおくるのだ。そう、俺にとって歳上彼女の部屋の鍵はまさに夢のアイテム。秘密の鍵を持っているという自信が余裕を生み、周囲からモテまくるのだそうだ。むかし読んだ西村しのぶの漫画に、そう描いてあった。
ブランドならば、ラルフローレンかAPC。古着屋とフリマを走り回ってチノパンとシャツとTシャツを買いあさり、酸素系漂白剤ターボで徹底的に洗濯してシャビー感を演出。靴なんて、ドクターマーチン一足で良い。これで、貧乏学生だけど清潔な小僧のできあがり……これも西村しのぶの漫画に描いてあったことだ。
漫画の中で歳上の女性に愛されてた、ふんわりとした男の子……彼のようになりたくて、学生時代の俺は髪を長く伸ばしたしピアスもあけた。もちろんシャツはラルフローレンで、靴はドクター・マーチン。けれども現実は残酷で、清潔感あふれる好青年を目指しているのに、どこかしら水商売の雰囲気が漂ってしまう。女性から「色っぽい」と言われれば悪い気はしないが、俺が目指しているのは色気ではなくて清潔感なのだ。
「ラルフなんかやめて、ヴェルサーチでも着たらどや」
そう言ったのは確か、バイト先のマスターだったはずだ。
「えー。ワタシぃ、D&G着てるオトコが好きぃ」
聞かれてもいないのにそう言ったのは、バイト先に飲みに来ていた近所のスナックのママだっただろうか……。バブルがはじけてからだいぶ経つというのに、俺のまわりはDCブランド全盛だった。
当時の俺は、ショットバーでアルバイトしていた。学校が終わると寮に帰って身支度を整え、繁華街へ出かけてバーテンの真似ごとをする。水商売に片足を突っ込んでいたのだから、お水っぽくなってしまうのも仕方のないことなのか。なぜカフェではなくショットバーを選んだのかと、自分の選択が悔やまれる。
だがしかし、お水っぽかろうが、バーで働いていようが、歳上のお姉さんが見初めてくれればそれでいいのだ。バーの客は歳上ばかりなのだから、チャンスはふんだんにあるはずだ。……そう、チャンスだけは多かった。
実際にはお客の大半がカップルで二人の世界以外は見えてないのだから、当然バーテンを見初めるような間違いなんて起こるはずもない。遅い時間に来るスーツやドレス姿の女性客は、キャバクラの嬢かスナックのキャストだ。残念ながら彼女たちは学生のバイトなんてマトモに相手してくれないし、仮に何かの間違いで見初められたとしても、水商売の女性との恋愛には苦労が多い。嬢の客がらみで、トラブルになることだって少なくないのだ。
金曜の夜に決まって一人で飲みに来る女性客がいたが、これはマスター狙いだった。名前は確か、サチコだったかサヨコだったか……よく憶えていないが、サ行の名前だった気がする。
マスターは結婚しているし、子供だっている。カウンター席に座り、カルーアミルクのグラスを傾けながらマスターへ熱い視線を送る女性へ、「結婚してますよ、マスター」などと、要らぬことを告げたりしたものだ。
しかしその言葉は彼女をさらに燃えあがらせてしまい、やがて彼女の思いは本懐をとげる。しかし不倫の常として、女は次第により多くを望むようになり、男は次第にそれをうとましく感じるようになる。かくして二人の関係は、半年と経たずして破局をむかえることになったのだった。
冬の寒い日、バイトを終えて白い息をはきながら外にでると、サ行の女が店先にたたずんでいた。俺の顔を見るやいなや、突如として涙にぬれる。
マスターからの連絡がなくなり、店には来るなと言われていたから、店先でずっと彼が出てくるのを待っていた……彼女は涙ながらにそう語った。
人通りのある場所で泣かれてはたまらないと慌てて連れ込んだ居酒屋で、落ちつきを取りもどしたサ行の女がくだを巻く。唐揚げをかじりながらカルピスサワーをあおって、いかに自分が耐えてきたのか、いかに報われていないのかを、何度も何度も繰りかえした。俺はいいかげん面倒になってしまって、「わかる、わかります!」とか「姐御は悪くないっすよ」などと適当な相槌をくり返していた。
「ワタシはさ、愛していたいだけなのよ。わかる? 愛していたいだけなの。でもそれすら許されないって、どういうことなのよ! ねぇ、これだけ愛してるんだから、少しくらい報われたって良いと思わない?」
見返りを求めている時点で、そんなの愛じゃない……なんてことを、俺は言わない。言ったところで詮ないことだ。愛してるのに愛されないのは辛いっすよね……そんな適当な相槌で話をつないでいた。
「あんたさ、歳下なのに女心わかってるよね」
わかってなんかいない。話を合わせているだけだ。
「ワタシたち、もっと早く出逢ってれば良かったのにね」
すっかり酩酊した彼女を、独り暮らしの部屋まで送った。彼女を部屋に放りこんで帰ろうとした刹那、サ行の女がラルフローレンの袖を引く。
「独りはヤダよ。寂しいのはヤダ。今夜だけ……ね?」
いじらしく潤んだ瞳を向けるあざとさに負けて、俺は彼女を抱いた。
ひとしきり乱れたあと腕の中で寝息をたてる彼女を見つめながら、俺は罪悪感にさいなまれていた。愛されない寂しさを、彼女は俺で埋めようとした。マスターの代わりと知りながら、俺は彼女を抱いた。ダメな女と、ダメな男……それなりにお似合いなのかもしれない。そんなことを考えながら、眠りに落ちた。
目ざめると、彼女はすでに仕事にでかけた後だった。テーブルの上の書き置きには、部屋の電話番号とともに「暇なときに電話ください」とメッセージが記されていた。
そして部屋の鍵……。
テーブルの真ん中に鍵が置かれ、メモが添えられていた。
「部屋の鍵つかってください。好きなときに遊びにきて」
店で何度も顔を合わせているとはいえ、初めて泊めた男に部屋の鍵をたくすなんてどうかしている……などという常識的な物言いはさておき、彼女はどうやら俺を籠絡するつもりらしい。既成事実を盾に、なし崩し的に状況を整えようとする行動力には素直に感心する。けれども、追われると逃げたくなるのが人の性だ。
夢にまで見た歳上女性の部屋の鍵も、この状況で見ると色あせて見える。握っってみたり、日にかざしてみたりしたのだけれど、さしたる感動は湧いてこなかった。
キーホルダーが無いから納まりが悪いのかと思い、自分のキーホルダーを部屋の鍵に付け替えてみた。幅広の革ベルトがついた鍵は、確かに収まりが良くなった。けれどもそれ以上ではない。憧れの鍵も、手に入れてみればこんなものか……革ベルトに指を通し、クルクルと回してみる。憧れ自体が大したものではなかったのか、それともサ行の女の鍵だからなのか……。
結局、部屋の鍵は持ち帰らなかった。キーホルダーを付けたままポストに突っこんで、彼女の部屋を後にした。電話番号の書きおきも、そのまま置いてきた。
アルバイトを辞め、それ以降夜の街で働くことはなかった。今度こそカフェで働こうかとも思ったけど、それすらもなぜか億劫に感じてしまった。
その後、四つ歳下の女性に言い寄られて付きあい始めた。すぐに別れるだろうと思っていたけど、意外なことに大学を卒業しても付きあは続いた。しかし社会人となった俺と学生の彼女では時間が合わず、互いを『運命の人』と呼びあった二人だったけど自然消滅してしまった。
相変わらず歳上に憧れ続けた二十代。バンドを再開してファンの子や他のバンドのメンバーとも付きあったけど、皆が歳下で、皆が一年も経たずに別れてしまった。
二十五歳のとき、同じ歳の女性と結婚した。当時で言えば『できちゃった婚』、今で言うところの『授かり婚』というやつだ。考えてみれば、俺にとってみれば『できちゃった』であったのだが、妻にとってはまさに『授かり』だったのかもしれない。安全日だと言って、避妊具の使用を拒んだのは彼女だったのだから。
マリッジブルーとマタニティーブルーが重なり、身重の妻は次第に精神の安定を欠いていった。出産後も育児づかれが重なり状況は悪化するばかりで、結婚からわずか二年で離婚することになった。
三十代になり、歳のせいなのか離婚歴のせいなのか、女性から恋愛対象として見られることがなくなった。四十代に入り、その傾向はますます強くなっている。
人生に女性の影がなくなったいま、思い出すのは歳上へのあこがれだ。
「歳上の女性に、可愛がられたい人生でした」
ライブ放送中にそんな戯言をもらしてしまう程度には、あこがれの気持ちが膨らんでいる。
今さらのように、サ行の彼女のことを思い出す。部屋の鍵、持って帰りゃ良かったな……そんな馬鹿なことまで考えてしまう。あのまま付きあっていたら、どうなっていただろうか。恋に恋して自分を落とし、自らが作り上げる不幸に陶酔できる彼女……うまく彼女と付きあうことができただろうか。
いや、できるはずがない。
なぜ自分を、不幸な状況に追い込みたがるのだろう。なぜ目の前の幸福を、素直に受け入れられないのだろう。
こんな幸福が長く続くはずがない、そう考えているのだろうか。やがて壊れる幸せならば早く壊した方が傷が浅い、そんな心境なのだろうか。サ行の彼女だけではない。俺とともに過ごした多くの女性が、そのように振る舞った。
「俺と居ると、そんなにしんどいかね……」
思わず心のなかでつぶやく。一緒に居られるだけで、小さな驚きや感動をシェアできるだけで、俺はそれだけで満足だったのに……多くを望んでなどいないのに、結局いつも独りになってしまう……。
ヘッドフォンから響くオコジョの声に、ふと我に返る。
「カルさん大丈夫?」
ディスプレイを見やれば自キャラが地を舐め、キルを食らった旨のメッセージが表示されていた。
「あ、うん。大丈夫」
オコジョのキャラは健在で、果敢に敵にいどみキルを取り続けている。
チャットのログを見てみれば「カルたん止まった!」「回線おち?」「歳上女性の呪いだ」「戦いはカルたん防衛戦に移行しました」「敵きてる! 逃げて!」などと、実況さながらの発言が乱れ飛んでいた。
「急に動かなくなるからびっくりしたよ。回線の調子でも悪い?」
「いや、ちょっとボーッとしてた」
「なにそれ。大丈夫?」
通話アプリの画面を見ればゲームパッドをにぎるたオコジョが、画面を凝視しながら眉根をよせていた。
幼さの残る彼女の表情に、ふと自分の息子のことを思い出す。確かもう、高校生になっているはずだ。息子が十歳の頃から、めっきり顔を合わせる機会が減ってしまった。最近では会うどころか、電話での会話すらなくなった。学校の勉強や塾がいそがしいというのが元妻からの説明なのだが……彼女が会わせたくないのか、息子本人が会いたくないのか、理由は解らないが避けられているようにも思う。
多感な時期だ。どう距離をとれば良いのか解らないのではないかと思う。それは俺とて同じことで、高校生になった息子と久しぶりに顔を合わせても、何を話せば良いのか解らなくなってしまうだろう。
「カルさん、またボーッとしてる!」
オコジョの声に、再び現実に引き戻される。
チャットには「またもやTMT」「カルたん仕事しろ」「一瞬で寝落ち?w」などと、今度は実況ではなくツッコミが乱舞していた。
「キル食らったから、やることなくて……」
「リスポーンさせるから、装備かきあつめて戦いなさいよね!」
そう言って、オコジョは笑った。
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