クシード Ⅰ

 照明を消した部屋、ディスプレイの明かりだけが手元を照らす。指先で絶え間なく叩き続けるキーボードが、軽快なリズムを刻んでいる。キートップの文字はとっくにすり減って、何の文字が印刷されていたのか判別できない。けれども、そもそも手元など見ずに打鍵するのだ。問題なんて何もない。

 このキーボードは、六年前の誕生日に買ってもらったものだ。誕生日に欲しい物を問われて「黒軸のメカニカルキーボード」などと答える十歳児のことを、世間では『可愛げのないガキ』と呼ぶそうだけど、ママは少し苦笑しただけで快く一万円以上するキーボードを買ってくれた。

 打鍵した時の感触が心地よくて愛用しているけど、さすがにもう替えどきだろうか。次に使うなら黒軸であることは当然として、キートップに文字が印刷されていない真っ黒なキーボードが良い。その方が絶対にクールだと思う。

 昨日からとりかかっているスクリプトが、まもなく書き上がろうとしている。だいぶ前に C++ で書いたコードを、改良ついでに Pythonパイソンで書き直しているのだ。解ってはいたことではあるのだけれどPythonで書く方が開発が楽だ。つい慣れている C++ や JAVA で書いてしまうけど、ちょっとしたアプリならこっちで書く方が良いのかもしれない。

 いま書いているのは、ネットワークを介してつながったPCにバックドアを仕込むソフトだ。バックドアを仕込まれたPCは、こちらから自由に操作できるようになる。いわゆるマルウェア、つまりは悪意あるソフトウェアということになるのだけれど、僕は決してこのソフトを使って悪事を働こうと企んでいる訳ではない。

 システムやデータを破壊クラックするつもりもないし、ウイルスのように際限なく感染させたりもしない。「では何のために作っているのか」と問われれば返答に困るのだけれど……何と言うか『作る事ができるから作っている』というのが一番近い答なんじゃないかと思う。身につけた知識や技術、そして閃いたアイディアを形にしたいという欲求は、常に僕の中に在る。

 自分の身を護るためというのも、理由の一つとして挙げても良いかもしれない。最近はよくネットゲームをするし、知らない人と関わりを持つ機会も増えた。何かトラブルが起きた時、相手のPCを覗いたり操作出来るという事は大きなアドバンテージになるのではないかと考えている。


 ママから借りたノートPCに、C言語のプログラムで "Hello World" と表示させたのは、もう十年も前のことになる。小学二年の夏、たった数行のプログラムで文字を表示させるだけなのに、僕の胸は激しく高鳴っていた。汗だくになりながら覚束ない手つきで、夢中になってキーボードを叩き続けていた。

 プログラムを見たママはとても驚いて、ノートPCはそのまま僕のものになった。ふとした興味からやってみたプログラミングだったけど、翌年にはデスクトップPCを買ってもらい、いよいよ本格的にのめり込んでいった。

 学校が終わると寄り道もせずに家に帰り、真っ先にPCの電源を入れる事が習慣になった。そしてママから「いい加減に寝なさいね」と注意されるまで、宿題もそっちのけでPCに向かう毎日だった。

 宿題をやらないことを学校で咎められてからは、持ち帰らず授業中に片付けることにした。元よりまともに聞いていない授業だ。授業中に他事をやっていても、成績が下がることはなかった。クラスメイト達はどうして、こんな解りきったことを真面目顔で聴くことができるのだろうと不思議に思っていた。いまなら理解できる。みんな解らないから、授業を受けて学んでいたのだ。


 中学に上がっても、状況は似たようなものだった。環境が変わって友達ができたら面倒だと思ったけど、小学校の時と同様にクラスメイトは僕のことを疎ましい存在として扱った。それは教師も同じだった。中二の時の数学教師は、板書の計算間違いを指摘してから、あからさまに僕を避けるようになった。けれども、その状況が逆に心地よかった。余計な人間関係にリソースを割かなければならないのは苦痛だと思っていた。

 通っていた中学は三年間同じ教師が担任を務めるシステムだった。うちの担任だけは他の教師と違って、積極的に僕に関わってきた。それはきっと担任の責務を果たそうとしていただけであって、僕のことを心配してくれた訳ではないのだろうと思っている。

 何かにつけて関わってこようとする担任は迷惑だったけど、「クラスのみんなと仲良くしろ」とか「もっとみんなに合わせろ」みたいなことを言わなかった。その一点において、当時の担任のことを今でも好ましく思っている。プログラムを書いていることを話したのも、学校では唯一あの担任だけだ。

「プログラムが得意なら、ゲームも好きなのか?」

 担任から問われたことがある。職員室にクラス日誌を持って行った時に交わした、社交辞令のような会話だ。

 プログラムが得意である事と、ゲームが好きという事に、どういう関連があるのか理解に苦しんだ。確かにゲームはプログラムで構成されている。だからといって『プログラムが得意な人』が、すべからず『ゲームが好きな人』ではないはずだ。今になってみれば、そういった認識を持つ人も居るという事を知っている。けれども当時の僕はどう解釈すれば良いのか解らず、プログラムとゲームの関係性を知るため、とりあえずゲームがどういうものか試してみることにした。それまでまともに、ゲームというものに取り組んだことがなかったからだ。

 サービスが始まったばかりで、ネットで話題になっていたFPS系の対戦ゲームを試してみた。プレイヤー同士の撃ち合いの末に勝者が決まるというシステムが気に入り、三年経った今でもまだプレイしている。

 ゲームでは総勢六十人のプレイヤーが、三人一組のチームで生き残りをかけて戦う。始めて間もなく、チームメイトの重要性に気が付いた。プレイごとに異なるメンバーではなく、いつも同じメンバーでプレイした方が意思の疎通が容易になり勝率が上がる。思い返してみれば、初めて自ら他人と関わりを持ちたいと思った瞬間ではないだろうか。

 まずは最上位のランクを獲ることを目標に、チームメイトを入れ替えながら勝ちを重ねていった。メンバーを固定した方が良いと解ってはいたのだけど、ランクを上げるたびにに誰かが足を引っ張るようになった。だから足を引っ張るメンバーを、入れ替える必要があったのだ。

 上から二つ目のマスターランクまでたどり着き、いよいよ最上位のプレデターを目指そうというタイミングで、僕はチームから切り捨てられた。僕のやり方には着いて行けないと、チームメイトの二人は言った。汚い手など使わず、正々堂々と戦ってトップを取りたいのだと。

 三人の中で一番キルを取れる僕を切って、この先どうやって戦っていくのだろうと不思議に思ったけど、同時に仕方のないことかとも思った。僕は勝率を重要視してメンバーを入れ替えながら戦ってきた。しかし二人にとっては、勝率よりも紳士的に戦う事の方が重要だったというだけのことだ。理解はできないけど、そういう考え方も在るのだと納得することはできた。

 チーム作りからやり直すのも億劫になってしまい、野良で即席チームを組んで参戦するようになった。プレイするたびにチームの顔ぶれが違うから、当然のように勝てないことが多くなった。

 この状況で最上位のランクを獲るには、自分がキャリーするしかないと思った。どれだけ他の二人が使えなくても、僕が圧倒的に強ければ良いだけの話だと考えた。

 強さを手に入れるため、不正行為チートツールを作った。キャラの移動速度を上げ、防御力を上げた。武器の射速を上げ、反動を抑えた。しかし各パラメーターの上昇は微増に留めた。その方がバレにくいという理由もあるけど、ほんの少しだけ敵よりも優位に立つことができれば、それだけで充分だった。それだけの実力が、僕には在った。見えるはずのない敵の位置が判ったり、自動で照準を合わせるツールも作ってみたのだけれど、ゲーム性を損なうから積極的に使うことはなかった。

 不正行為チートツールを使い始めてすぐにマスターランクに返り咲き、そのまま最高ランクのプレデターまで到達した。当初の目標は達成したため、以降はペースを落としマスターかその下のダイヤモンドをキープしつつ、適当に野良で流している。


 高校受験は、ママの希望もあって公立の進学校を狙うことになった。受験勉強と呼べるほどの勉強はしなかったけど、プログラミングやゲームの合間に志望校の過去問題くらいは解いた。

 過去問題をやっていると、出題には癖というか型というか、ある種のパターンのようなものが在ることに気が付いた。僕の受験勉強とはつまり、そのパターンを憶えることだった。模擬試験では常に志望校合格圏内の判定が出ていたし、実際にその通りに合格して志望校に進学することになった。

 高校に進んでも、中学生の頃と状況は変わらなかった。最初の頃こそ話しかけてくるクラスメイトも居たけれど、次第に疎ましい存在として扱われるようになったし、僕はその状況に心地良さを感じていた。

 入学して三ヶ月が経った頃、突如として学校に通うことに疑問を感じた。中学の頃から、いや小学校の頃から常に頭の中に在り続ける疑問ではあるのだけれど、突然のように最優先で解決すべき命題として頭の中を占めてしまった。

 学校という場所は学びを得る場所とされているけれど、僕に学びを与えてくれるものは学校には無い。教科書を読めば解る内容を教師から改めて聞かされる事は苦痛だし、三十余人が机を並べて同じ話を聞いているだけの状況にも疑問を感じずにはいられなかった。せめてなにがしかのディスカッションがあるのならば学びも拾えるのではないかと考えたけど、未だかつて正面から僕の問に答えくれた教師は居なかった。

 学校に行く必要があるのかという疑問を改めて認識した時、学校に居る時間が人生において重大な損失であるかのように感じられ、その日を境に学校へ行くことを止めた。半年ほど前の話だ。

 突如として登校を拒否して引き籠もる僕を見て、ママは泣いた。だけど行かない理由を丁寧に説明して、一応の納得を得た。

ただし、国立の大学を目指すことが条件になった。もしも登校しないことで退学になったとしても、高等学校卒業程度認定試験を受けて大学受験に臨む事になっている。

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