カルネージ Ⅰ
配信停止ボタンを押すと、程なくしてPCの画面にライブ放送終了を知らせるぽオップアップが表示された。念のためにエンコーダーも終了させる。このタイミングで、切り忘れ事故なんて起こす訳にはいかない。ようやくライブ放送が軌道に乗ってきたところだ。おかしなことで失速させたくない。
「終わったよ」
マイクに向かって声をかけると、ヘッドフォンからオコジョの声がかえってくる。
「おつかれさま。今日も盛り上がったね!」
まるでアニメのキャラクターのような、甘ったるく芝居がかった声……女子高生にこんな声で話しかけられて、頬の緩まないオッサンが居るだろうか。しかし緩みきった表情をさらす訳にもいかず、なんとか表情を引き締めて応える。
「おつかれ。だいぶエイム巧くなったんじゃない?」
「ホント? やった!」
いちいち反応が可愛い。
二人でゲーム実況をやるようになってから、一ヶ月ほどになるだろうか。離れたところに居ながら同じゲームをプレイして、あまつさえその様子を実況しながら生配信できるだなんて、ファミコン世代の俺としては「時代は変わったものだ」と感心するしかない。
動画配信サイトでゲームの実況ライブを始めた当初、ライブ視聴者数二桁の我が『カルネージのゲーム実況
いったい『反射神経のおとろえたオッサンがFPSやってみた』なんて番組名のどこに女子高生をひきつける要素があったのか理解に苦しむけど、とにかく彼女は連日うちの放送にやって来てはチャットに興じた。キルを取るたびに喜んでくれたし、キルを食らい落ちこむたびに励ましてくれた。
ゲームに集中すると視聴者からのチャットを拾う余裕がなくなる俺は、いつしか彼女にチャットの対応を任せるようになっていった。きめ細やかな彼女の返信のおかげか、徐々に常連の視聴者が増えるようになった。
ならばいっその事と、試しに二人でコラボ放送をやってみるとこれが結構な好評を博し、それ以来二人でゲーム実況ライブをやるようになったという訳だ。
オコジョが放送で初めて生声を披露した日、チャットには彼女が本当に女性だったことに驚く書き込みが乱れ飛んだ。無理もない。俺とて実際に通話をするまでは、女子高生という名のオッサンだと思っていたのだから。
今では仕事から帰って二時間ほどゲーム実況をやり、一時間ほどオコジョと通話をするのが日課になっている。ライブ放送を終えて、いつものようにオコジョと雑談に興じる。娘ほども歳の離れた女子高生とよく話があうものだと、我ながら感心する。彼女の学校での出来事とか、俺の仕事先での出来事とか、日常の話題が多い気がする。もちろん実況放送の反省会もやるし、次の企画を打ち合わせたりもする。そして二人の共通の趣味である、アニメの話だってする。俺は観る専門だけど、オコジョは声優を目指しているらしい。高校を卒業したら、声優の専門学校へ進むのだと言っていた。
「通話してて大丈夫なの?」
「一時間くらいならいけるかな」
きっと一時間なんて軽く超えて、深夜まで話し込んでしまうのだろう。通話を切る段になると、どうしても後ろ髪を引かれてしまう。
「カルさん、あっち行かなくて大丈夫なの?」
「あっち?」
「もう一個ネトゲやってたじゃん。あっちの友達、待ってるんじゃないの?」
「あー。次のギルドウォーまでは大丈夫かな。行かなくても」
オコジョとライブ配信をやっているFPS系ゲームの他に、『ビットレイニア・オンライン』というロールプレイングゲームもやっている。剣と魔法のファンタシー世界が舞台のゲームだ。楽しみ方は人それぞだが、最近ではギルド単位で覇権を争うギルドウォーをメインにプレイしている。
「そういえばさ……」
「なにかな?」
「なんでオコジョは、うちの放送に来るようになったの?」
何度か同じような質問をしている。しかし毎回、うまくはぐらかされてしまう。あの過疎放送の何に引かれて毎晩のように通ってくれたのか、ずっと気になっているのだ。
「だから、たまたまだって」
「なんか、はぐらかしてない?」
「ホントだって。偶然見つけて、なんとなく毎日来るようになっただけ」
「見つけたのは偶然だとしてもさ、何度も通ってたのは何か理由あるんでしょ?」
「ないよぉ。なんとなくだってば」
「えー、教えてくれよぉ」
「やだ」
「気になって夜しか眠れないよ」
画面の向こうで、オコジョが吹き出す。よし、つかんだ。
「なにそれ、オヤジギャグ?」
笑いをこらえているのか、平静を保った表情とは裏腹に声が震えている。
「教えてくれよ。アクセス集める参考になるじゃん」
頼まれると嫌と言えない性格だということは解っている。
「うーん……。理由聞いても、引かない?」
「引くような理由なの?」
「そういう訳じゃないけど……」
「わかった、わかった。引かないから。約束するから!」
しばしの沈黙の後、おもむろにオコジョが口を開く。
「……声フェチなんだよね。ワタシ」
「声フェチ!? それが理由なの?」
「……そうだよ」
「声フェチと、うちの放送に通うことの関連性が判らんのだが……」
「もう、鈍感だなぁ」
ヘッドフォンの向こうで、大きく息を吸い込む音がする。ため息でもつくかのように息を吐いてオコジョが言った。
「好きなんだよね……」
「えっ!? 好きって、俺のこと?」
「ちょっ! ちがっ! 違うよ! カルさんのことじゃなくて!」
慌てすぎだろ。そんなに必死に否定しなくても良いじゃないか。さすがに傷つくぞ。
「声だよ、声。カルさんの声、めっちゃ好きなんだよね」
「へ? 俺の声!?」
声が好きだなんて、初めて言われたかもしれない。
「カルさんの声って、なんて言うか……特別なんだよね」
「特別?」
「聞いてるだけで心地いいって言うか、なんか落ち着くって言うか……」
「そうなの? そんなの初めて言われたかも……」
声優みたいにいい声になりたいと思うこともあったし、ゲーム実況の時「イケボになりてぇ!」なんて叫んだこともある。チャットで「イケボじゃん」と返ってきたけど、もしかしてお世辞ではなかったのか!?
「そうなんだ。俺の声、そんな風に聞こえるんだ」
「うん。落ち着くし、それになんだか……」
「なんだか?」
「背筋が、なんかゾワッてなる」
そこまで言って再び、二人の間に沈黙が流れた。なぜこのタイミングで黙り込むのか……不思議に思いつつオコジョの言葉を待つ。
待つことにも飽きてツイッターでもながめようかと思った頃、ヘッドフォンから消え入りそうなオコジョの声が聞こえてきた。
「……エロイプって……知ってる?」
「ふぁ!?」
予想すらしていなかった彼女の言葉に、思わずマイクに顔をぶつけてしまった。さぞかし聞き苦しい雑音が、オコジョの耳に届いたことだろう。
聞き間違いかと思い、画面の向こうでうつむきっぱなしの彼女に聞き返す。
「ごめん、もう一回。なにって?」
「え、その……エロ……イプ……」
つぶやいて更にうつむく彼女の頬が、画面の向こうで真っ赤に染まっているように見える。
エロイプと言ったか? 言ったよな? 聞き間違えじゃないはずだ。確かにエロイプと言った。どうした。なんでこんなウブな女子高生の口から、エロイプなんて単語が飛び出すのやら。
「あれだろ? テレフォンセックスみたいなやつ」
「え、なにそれ……知らない」
通じないかぁ。女子高生にテレフォンセックス通じないかぁ。これがジェネレーションギャプってヤツかぁ。
通話ごし互いに自慰をしあう……電話が通話アプリに変わっただけで、やることは変わっちゃいない。ただし、相手の姿を見られるって事は、大きな進歩だと言えるだろう。
以前主流だった『スカイプ』っていう通話ソフトの頭に『エロ』を混ぜて『エロイプ』……今じゃスカイプ以外の通話アプリを使うことが多いのだろうけど、それでもエロイプって名前は生き残っている。
「で、エロイプがどうしたの?」
「……」
「えっと……。もしかして、やってみたいとか?」
ヘッドフォンから息をのむ音が聞こえた。でもそれきり、彼女は黙り込んでしまった。
「おーい。黙ってちゃ解んないよぉ」
こうなってしまっては、しばらくまともに会話ができないだろう。オコジョは、この手の話題にめっぽう弱い。あまり過激な下ネタをふると、恥ずかしがってしばらくは話すらしてくれなくなる。それだけにオコジョの口から、エロイプだなんて言葉が飛び出したことは、驚きでしかないのだ。
「……してみたい」
沈黙を破ってオコジョがつぶやく。
「マジ?」
「うん、マジ……」
心臓の音が高鳴る。まさか俺の人生において女子高生からエロイプに誘われる日がくるだなんて、夢にすら思っていなかった。
「このままする感じ?」
「……ダメ?」
「いや、ダメじゃないけど……」
さて困った。
エロイプなんて、どうやればいいか解らないぞ……。
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