第33話 私は少し大人になった

 別にキリアンは悪くなかった。

 それは総合して私が思ったことだ。


 でもそれと私の感情は別物で、納得できるかと言われたらできない。

 恋心は砕けたとしてもまだこの胸の内にあって、彼を前にするとときめく心もあるし、他の女性をその目に映して欲しくないという独占欲だってある。


 けれど同時に『この人はきっと私のことなんて見ない』と思ってしまったあの気持ちもまだ燻っていて、いくら彼が私と夫婦になるのだと言われたからって『それが何?』と思ってしまうこの気持ちだって本物だ。


 相反する気持ちは、私の未熟さを表すようで自分自身好きになれないけれど……それでも、これが私だと思う。


「……それでもよろしいですか?」


「それでも俺はフィリアと結婚したい」


 約束通り後日、キリアンと時間を取った。

 大事な話をするにあたって、我が家に来てもらって、室内にはナナネラだけで人払いをして。


 そして私は正直な気持ちを、彼に打ち明けたのだ。


 以前のような恋心は持てないこと、好いてはいても信じ切れない気持ちでいること。

 期待できずにいて、これまでは家庭を第一に考えようと思っていたが子ができるまでは家庭教師ガヴァネスとして一つでも多く仕事をしたいと思っていること。


 キリアンにとっては面倒くさいだろうなと思うのだ。

 なんだかんだすれ違っただけと言われればその通りだし、そのすれ違いだって大きいものかと問われたらそうじゃないと私だって思う。


 けれど、問題が大きいか小さいかの問題ではなく、それを私は受け入れられない。

 狭量だと言われればその通りだと思うし、それで嫌われても……そう思ったのにキリアンは即答で私と結婚したいと言ってくれた。


 そのことに、心が満たされる。

 こんな気持ちは初めてだった。


「……がっかりしないんですか?」


「先に俺が貴女を失望させたんだ。……がっかりなんてしない。むしろ、フィリアが……そうやって俺に不満をぶつけてくれる方が、大事だ」


「……」


 言われて、少し驚いてしまった。

 あれっそういえば私は彼に不満を打ち明けたことがあったかな? って。


 これまでの私はキリアンかっこいい、キリアン素敵、キリアンに嫌われたくない、好かれたい……そんな感じで行動していたと自覚している。

 その中で『こうしてくれたらいいのになあ』とか『こうしてほしい』と呑む込むことやお願いすることはあっても、いやだと思ったことを打ち明けたことはなかったかもしれない。


 いやでも、好きな人にそんなことを言って我が儘だと思われたくなかったという可愛い乙女心だと言ったら、笑われるだろうか? 今の私なら笑っちゃうかもしれない。


(私って本当にどうしようもないほど、子供だったのね)


 いいえ、本当に小さな子供であればもっと素直だわ。

 全身で喜怒哀楽を表現し、時には相手を思いやったり自分を守るために嘘つくことはあっても……体面を気にして偽る今の私よりもずっと素直で、可愛らしいもの。


 私は外側だけ淑女の皮を被ってしまったから、素直に彼と向き合い切れていなかった。


「……キリアンも私を許さないでいいですよ」


 一方的にこんな、理不尽な要求を突きつけているんだから。

 私は確かに傷ついたけど、それは私の感情であってキリアンに伝えてこなかったからという要因もあった。


 理解してくれなかった、察してくれなかったことには傷ついた。

 だけどキリアンがそれを理解することなんてできなくて当たり前なのだ。

 私が彼の葛藤や、努力に気づいていなかったように……お互い、口にしなければわからないのだから。


 私は傷ついた、その事実は変わらないし許せない。

 けれど何も言わずに察しろと、それを押しつけてしまった私のことをキリアンは許さなくてもいいと思うのだ。


(……そう思えたのも、キリアンが『許さなくていい』って言ってくれたからだなんて皮肉だわ)


 きっと自分たちはどこまでも未熟で、結婚するなんて言いながらそれに適さないほどに幼かったに違いない。

 だけれどもう結婚することは決まっていて、今更反故にするほどの理由はない。

 なんだかんだ想い合っていて……それでもすれ違った溝は埋まっていないというちぐはぐさは残るものの、概ね世間から見たら『よくある話』で済まされちゃうんだろうなと思うのだ。


 だから私は繰り返し、彼に言う。


「キリアン、私を無条件で許さないで。私もそうするから。……これから夫婦となって、きっとこれまで以上にわかり合えないところがあって、ぶつかって。そして傷つくんだと思うわ。だから、話し合いましょう」


「……フィリア」


「何もかもを明け透けに話をしなくてもいいわ。秘密があったっていいと思うの。だけれど、今回みたいに乗り越えていかなきゃいけない〝二人のこと〟は話し合わなきゃいけなかったのよ。私たちは自分たちだけで解決なんてできないのよ。だって二人のことだもの」


 キリアンに好かれるためにって一人で動いて、傷ついた私。

 察してくれなくて、勝手に私の幸せを願って、私の望むことをしなかったキリアン。


 お似合いだと思うわ。どちらも愚かで!


 だからこそ、私たちは今回のことを戒めにできるはずだ。

 少なくとも私はそうしたい。

 でもこれだって私がそうしたいってだけで突っ走ったらいけないの。


「どう思う? キリアン」


 九つ目。

 何事も、相手の意思を確認する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る