青年は新たな覚悟を決める 1

 キリアンは急いでいた。

 フィリアから珍しく・・・誘われたというのに、仕事終わりの際に場内でちょっとした揉め事があって駆り出され、遅れてしまったのだ。


 彼女のことだから、仕事で遅れたと告げればそれを疑うことなく彼のことを労ってくれるだろうし、気にしないでいいと笑ってくれるだろう。

 今まではそのことに対し、なんと寛大で理解ある婚約者に恵まれたことかと感謝の念を抱いていたキリアンだが――今は少し異なる。


 その寛容さも、理解も、以前は好意の上に成り立っていたものであった。

 しかし今はそれが〝諦め〟から成り立つものであるなら、それはいっそう諦めの気持ちを強めるものにしかならないとキリアンは理解していた。


(まずは誠心誠意謝って、それから彼女と少しお茶をして、次は……)


 そんなことを脳裏に描きながら急ぐキリアンが店に足を踏み入れたところで、上階から駆け下りてくる少女の姿が視界に入る。


(……セイフォート嬢?)


「あっ……」


 キリアンが彼女に気づいたように、彼女もまたキリアンに気づいて気まずそうな表情を浮かべた。

 そしてやや遅れて、もたついた動作で淑女の礼を取る。

 しかしながらそれは幼い頃から磨き上げられた貴族令嬢に比べて、やはり野暮ったさが抜けない付け焼き刃の印象を与えた。


 セイフォート家は、やや・・裕福な部類に入る程度の商家だ。

 決して貴族たちを相手取って同等の、あるいはそれに準じた扱いをしてもらえる程ではないとキリアンはすでに調べて知っている。


(……セイフォート家の商会の持ち主は、カンダターレ侯爵家だったか)


 そこのご令嬢が自分を応援してくれていたらしい・・・ことも、キリアンは知っている。

 らしい・・・というのは、あくまでそこのご令嬢から品を直接いただいただとか、声をかけられたということがないからだ。

 そう、ないのだ。一切。


 とあるご令嬢が応援ついでに『高位貴族のご令嬢たちも、たとえば、そう、カンダターレ家のご令嬢も気にかけていらしているとか』だとかそんな感じで遠回しに言われたことが何度かあった程度でキリアンの記憶に残るものではなかったのだ。

 ではなぜ今キリアンがそれを知っているのかと言えば、それこそフィリアと婚約した際にそうした遠回しのアピールをしてきた令嬢たちの方が申し込んでくるのかと思っていたと先輩方が笑っていたからだった。


 キリアンにはフィリアしか見えていなかったし、直接的に好意を伝えられたこともない人々が残念がる理由は今ひとつ理解できなかったものの、そうした人がいたんだなということはそれで知ったのである。

 彼は自他共に認める朴念仁だ、剣の道以外興味を持てなかっただけのつまらない男であった。


 だからこそ、ご令嬢たちのその迂遠なアピールなど理解などできるはずもなかったが、のちにアレンに教わったことによれば、それは貴族社会の中で『遠回しに愛を伝えることこそが純愛』のような、よくわからない(アレンもそう言った)流行のようなものなのだそうだ。

 

『といっても本当にごく一部で、貴族の間でもせめて遠回しなら遠回しで贈り物にカードで自分の名前を記すよ。じゃないと誰からわからないってのも、逆に怖いだろう?』


 そう、カンダターレ家の紋章がついていたわけでもないし、手紙で無記名のものなどはやはり信用に足りないというか、なんというか。

 それでいてフィリアと婚約したら裏切られたかのように詰られる手紙を送られるのも、うんざりだったのだ。


 それがカンダターレ家のご令嬢かどうかはわからない、が、セイフォート嬢がカンダターレ家のご令嬢に招かれた茶会の後、面識のないフィリアにあのような暴挙に出たのだからキリアンがそこを結びつけたとしても、誰も咎めようもなかったのである。

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