青年は新たな覚悟を決める 2

 挨拶をされたからには無視できない、だが親しく挨拶をする仲でもない。

 キリアンは彼女に向かって軽く頷いてみせた。

 同じ平民同士であればともかく、今のキリアンは騎士爵にある身だ。


 親しい間柄でもない、しかも商家の主ではなくその娘であればその程度でいいだろうと彼はすぐに視線を外す。

 何よりフィリアを待たせているのだ、そちらの方が彼にとって重要であった。


「……あの、キリアン様!」


「名前を呼ぶことを許していない。礼儀を弁えてくれないか」


「……ッ、申し訳、ありません……ウィッドウック様……」


(……強く言いすぎたか?)


 反射的に拒絶の態度を示してから、少しばかり大人げない対応をしてしまったことに反省したキリアンは気まずさを覚えて少女を見る。

 ふと、泣きそうな顔をしていることに気づいてハッとした。


「……近く、あたしは嫁ぐことになりました。お嬢様・・・はあたしの全部でした。憧れだったんです」


「……? 何を」


「あの人は言いました。男女の恋情がなくても、愛情は確かにあるって。あの人は恋をしているって」


「セイフォート嬢?」


「今、すごく……心細いと思います。あたしが言える立場じゃないけど」


 支離滅裂な言葉に、キリアンは困惑する。

 だが少女はぺこりとお辞儀をしたかと思うと――キリアンから見て、不格好な淑女の礼より余程好感が持てたのは、何故だっただろうか。


 ともかく少女は勢い良く頭を下げて、そのまま店の外に出て行ってしまった。

 それを呆然と見つつも、少女の言葉を反芻して思わず階段を駆け上がる。


 そこには――フィリアがいた。


 諦めと、疲れたような表情を浮かべた愛しい女性の姿にキリアンは胸が締めつけられる。

 遅れてしまった。そのせいで何かあったに違いない。


 謝ろう。誠心誠意、心を伝えていこう。

 キリアンはそう誓う。


 彼女はもう諦めてしまったのだ。

 そこにいくら言葉を投げかけても、今更愛を囁いても、きっと今のフィリアには届かないことをキリアンは直感で理解していた。


(それでも、何もしなければ始まらない)


 そもそも始めることすらできていなかったのだ。

 結婚をする相手、そのせいでフィリアは自分と離れることもできないから諦めた。


 なら、これからでいいとキリアンは己の不甲斐なさを噛みしめて、彼女の名前を呼んだ。


「フィリア!」


「……キリアン」


 名を呼べば、ハッとしたように振り向いたその目が自分を映してくれる。

 それだけでも、キリアンは泣きたくなるくらい嬉しいのだ。

 彼女を傷つけたのも、労れなかったのも、そしてこれからの未来も手放してやれない狭量さも、すべて自分のせいだから。


 せめてこれからの未来で、少しでもフィリアにもう一度・・・・恋してもらえるように、心を砕いていこう。

 その想いを込めてまずは謝罪からだなとキリアンは大股で彼女に近づいた。


 そして周囲の視線に気がついて、彼もまた周りを見回しながら席に着く。


「すみません、仕事が長引いて」


 違う、謝罪からだろうが!

 自分の心の中でそう突っ込みつつも、言葉は既に飛び出ていた。


 言い訳が飛び出す内はまだまだだな……なんて父親が高らかに笑う姿が脳裏をちらついて、キリアンはまたまた己の不甲斐なさに拳を握りしめるのだった。

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