青年は懇願する

 妙な女に絡まれてしまったせいで、俺のことをフィリアがどう見ているのかとても……そう、とても怖くなった。

 神に誓って俺は潔白である。

 あんなケバケバしい化粧と衣装に身を包んだ女性に覚えはない。


 ……いや、あんな感じの女性たちはよくいる・・・・ものだから、人として認識できていなかったというのが正しいというか……。


(同じように化粧をしていても、俺の婚約者はこんなにも美しいのに)


 妙な香水の匂いもしなければ、いつだってその化粧は薄く、彼女の美貌を引き立てる程度。

 それなのにいつだって輝いているように見えるのはきっと俺の贔屓目というだけではないはずだ。


(今日は……今日こそはいい雰囲気で話をする予定だったのに!!)


 彼女が望んでいた演目を、ボックス席という狭い空間で楽しむ時間を共有し、その感想を語り合い……正直俺には興味がないから彼女が語る感想に耳を傾けるしかできないかもしれないが、それでも有意義な時間となるはずだった。

 その後彼女が許してくれるなら、レストランに行って彼女に『名前で呼ばせてほしい』とお願いをするつもりだった。

 そのために既婚者の先輩方にいい店はないか聞いて回って予約までしたんだから!


 良い雰囲気と美味い料理、それがあれば話しやすくなるはずだ。

 どんなに愚鈍な俺でも!!

 なのに出鼻を挫かれて、俺は必死だった。


(ああクソ、セイフォート家だったか? なんてタイミングの悪い……!)


 いや俺が彼女に対してあれこれと後手に回っていたせいではあるんだ。

 まさか『お飾りの婚約者』なんて言葉が飛び出てくるだなんて思いもしなかった。


 いったい誰がそんなことを……って、どこかの貴族令嬢であることはわかっている。

 王城に出入りしている令嬢たちの誰かが俺のことを気に入ったが、すでにフィリアという婚約者がいるということで横槍を入れるには至らなかったらしい。

 ……ということを俺は貴族位にある同僚から耳にした。


 俺はフィリアとアシュリー家でいつも会っていた。

 それは彼女が寛げる場所であることと、二人きりの時間を大事にできるからであることと、そして何より他の男の目がないという点で俺がいつも望んでいたことだ。


 社交の場でも厳めしい俺が隣にいると、いつも彼女の友人である令嬢たちが近寄りづらそうにしていたからなるべく離れたところで見守っていた。


 そうした俺の行動が、まさかの彼女を遠ざけているように周囲には思われていただなんて知らなかったんだ!!


(確かにこの婚約はアシュリー家が望んだものだが、今はちゃんと俺にも気持ちがあるのに!)


 伝えてこなかった俺の失態だ。

 彼女が婚約者として怖がらないでくれたら、俺に自信が持てたら、騎士爵を得たら、そんな風にズルズルと行動を遅らせたがためにフィリアにとって不名誉な噂が出ていただなんて!!


 俺の態度を見聞きした令嬢たちが、フィリアに嫉妬の目を向けた。

 俺に愛されていない、お飾りの婚約者……そんな笑い物にしている話を、他人から聞かされた時に俺は俺を殴りたかった。

 というかその場で同僚にぶん殴ってもらった。腹を。

 顔だと目立つからな。


「キリアン、あの……」


「この店です」


「えっ、あ……そ、そうなの。素敵なお店ね」


「アシュリー嬢が気に入ってくれると嬉しいんですが。騎士団の先輩たちが、細君との記念日などに利用する店だそうです」


「まあ!」


 幸い、フィリアはあの女性については俺の言葉を信じてくれたようだった。

 だが俺の目には『お飾り』と聞いた時の彼女の表情が忘れられない。

 怒るでもなく、嘆くでもなく……静かだったあの表情が!


 ここからどうにか挽回できないか、俺は必死に頭を巡らせる。

 ああ、だが愚かな俺に策なんてあるわけがない。

 これまでの人生と同じように、俺はただ真っ直ぐにぶつかるしか能がないのだと理解するのだ。


 だから、正直にいよう。

 少なくとも信じてもらえないのだとしても、誰よりも誠実でいよう。


「……アシュリー嬢、その。こんなタイミングで言うのもなんですが」


 テーブルについてすぐ、ウェイターが下がったところで俺は口を開く。

 どうか、どうか。

 許してほしい。


「まあ、なんでしょう?」


「……アシュリー嬢、婚約者となって今更ですが、どうか俺に……貴女の名を呼ぶ栄誉をくださいませんか。今更だと詰られても仕方のないことではありますが、俺にとってこれまで貴女のことを名前で呼ぶのはあまりにも恐れ多かったのです」


「恐れ多かった……?」


 ああ、きょとんとした顔がなんて愛らしいんだ!

 そこに嫌悪の気配はなく、それだけで俺の心がどれだけ救われることか!!


「俺は騎士爵の息子とはいえ平民でした。生粋の伯爵令嬢である貴女は、俺にとってまるで女神のような人だ。……婚約者になれたとはいえ、婚約はあくまで婚約。俺が貴女の隣に堂々と並び立てる日がくるまでは……と勝手に、一人で思っていました」


「キリアン……?」


「ですがもう騎士爵を得て、今後は部下も持てるようになる予定です。貴女の夫として、不足ない人間になるために今後も精進を重ねます。だから……どうか名を呼ぶことを、許してはくださいませんか!」

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