異界の海へ

(────ッ! 冷た~ッ!!)


 海の冷たさに頭が冷え、完全に目が覚めた流児。

 掴み損ねた端末を探すため目を開ける。


(──なぁッ!?)


 そして飛び込んできた驚愕の光景に、流児は思わず息を漏らした。

 口から溢れた泡消えた先に見えたものは無数のビルの廃墟。そして流児の住んでいた地域には存在しない筈の、温かく華やかな南国の海だった。


 そんな驚き固まる流児の側を、鮮やかな体色の魚が過る。


(あれは……確か沖縄の大衆魚グルクン──だよな……何でこんな……)


 あり得ない光景に驚愕しっぱなしの流児。


(これは……日本なのか?! ……でも、日本に居ない南国の魚もいるし……しかも棲息地を無視して泳ぎ回ってる……何なん──)


「ゲホォッ!?」


 驚きすぎて口を開けっ放しにしていると、掃除屋の小魚ホンソメワケベラに口内をつつかれて噎せてしまう。


(マズッ息がっ!?)


 息を吐いてしまったことに焦る流児は、一旦観察を止め、酸素を求めて水面へと急ぐ。


「ブハァ! はぁ……はぁ……──えぇ……?」


 海面へと飛び出し、酸素を補給しながら顔を拭う。そして周囲を見て、流児は呆然とする。


 何故ならそこは、無数の廃墟の天辺が飛び出しているものの、周囲に陸地一つ無い海のど真ん中だったからだ。


「えっ……はぁっ!?」


 何処を見ても廃墟しか見えず、廃墟の無い方角も水平線しか見えない。


「……なんで……太陽は──真上!?」


 現在位置を確認して元の場所に戻ろうと考えた流児は、顔を上げて太陽を確認する。

 しかし、先程まで水平線を登り始めたばかりだった筈の太陽は、いつの間にか真上まで登っていた。


(──おかしいっ! そんな長時間気絶してる訳じゃない筈なのに、時間が跳んでいるッ……!?)


 ──遭難、タイムスリップ、異世界転移。


 頭に過った単語達を拒絶するかのように、流児は必死になって泳ぎだした。




(おかしい、おかしいっ! 何処を見ても廃墟しかない、陸地が見えない、波も穏やかすぎるっ!)


 廃墟の中で一番高いビルを駆け上がり、その屋上で周囲を確認していた。

 今の流児の状況と反するように、海は波一つ無い穏やかな様子だ。

 そんな不気味な海が、流児に“自分は変な所に迷い混んだのではないか”と“もしや、もう元の世界に帰れないんじゃないか?”と思わせる。


(クソッ、クソッ! 見付からないッ陸地が見付からないッ……!!)


 必死に周囲を見回し陸を探す。しかし、何も見付から無い。

 その事実が突き付けられる度に、流児の思考が絶望に呑まれて行く。


「そうだ、空ッ!」


 飛行機を探すため空を見れば、ビルの隙間には雲一つ無い青空と太陽が輝いている。


「ッ~~なら船は……!」


 船を探すため周囲を見回せば、変わらぬ廃墟と水平線が無情にも事実を叩きつけてくる。

 耳を澄ませたところで、エンジン音も波を切る音も聞こえない。


「ハッ──ハッ──せ、潜水艦とか……」


 すがるように海底を覗けば、廃墟を泳ぐ様々な魚達と、それを蹴散らして泳ぐ異形の存在が見えた。


「……はぁ……はぁ……あぁ……」


 化物に見付からないよう息を潜め、それが見えなくなって漸く一息ついた。


「助けてくれ……」


 屋上の隅で膝を抱えて踞る。

 救助が来るまで、せめて体力を無駄にしないようと抵抗しているのだ。


 しかし、幾ら時間が過ぎようとも、この絶望の状況に変化は訪れない。

 それどころか地震が起きたのかビルが揺れ、挙げ句崩れはじめたのだ。


(……いっそこのまま……)


 崩れるビルから逃げることもできず、流児はそのまま海へと放り出されてしまった。


 奇跡的に無傷で着水したが、巻き起こる海流に飲まれてしまい、体力が尽きた流児。


(誰か……助けて……)


 そんな願いも届かぬまま、流児は絶望と共に海底へと流されて行くのであった。




 海流に流された流児は、暖かい光が照らす、廃墟の海へと流れ着いた。


 僅かに残っていた希望にすがり、再び海面へと向かったが、結局何一つ変わらない廃墟と海が世界が広がっていた。


 そうして暫く、流児はアスファルトの上で胡座あぐらかき、うつむいている。


 小魚が髪に巣くっても、胡座の中にタコが収まろうとも、ワタリガニが肩に乗り頬を突付こうとも、流児は一切の反応を示さなくなった。


 目の前まで泳いできたホタテをすがるように握りしめた流児は、何かが起こるその時を──もしくは、自身の終わるその時を──只々ただただ海底に座って待っていた。


(──……眠い……もう疲れた……)


 疲労とストレスから心を痛め、無気力感と眠気に襲われる。

 限界が近いと感じ、いっそ眠ってしまおうかと目を閉じようとした──その時だった。

 視界の端に、ヒラヒラと舞う白い布地と、そこから覗く白い脚が視界に入ったのだ。


(……布……脚?)


 目の前にある脚を伝い上を向くと、一人の白い少女が流児を見下ろしていた。

 

「えっあ、あのっ──痛っ、うわっ!?」


 驚き慌てて立ち上がる流児。

 急に流児が動いたことで、小魚が髪に絡まりつつ逃げ、タコが炭を吐き、ワタリガニが落ちる。


「ああ、もう! ごめん、えっと──」


 持っていたホタテで扇いで墨を払い、少女を見る。


 波に揺れる、真珠の様に白く長い髪。

 現実離れした、古代ギリシャの服に似た様相の白いワンピース。その裾から伸びる白く細い脚。

 宝石アカサンゴを思わせする、紅く美しい瞳が、流児を見上げている。


 その自身と比べて頭一つ分は小さい、神秘的な姿の美しい少女に、流児は思わず見惚れてしまっていた。


「──?」

「…………あ、あの──あれ、息が……え、喋れてる!?」


 自身を見て動かなくなり、首をかしげる少女。

 そんな少女に何か言おうとした所で、海の中で息が出来て喋ることも出来ると気付く。

 なんなら視界も良好で、水の中だと言うのに音がこもらずハッキリと良く聞こえる。


 現実の水中では有り得ない現象に流児が一人混乱してると、少女が心配するように首を傾げた。


「あ、えーっと、俺は流児。南海 流児……それで、出口とか──あ、スマホ! ……あー、何から言えばいいんだ……?」


 自己紹介、出口や端末の在処ありかの質問。一斉に飛び出ようとする言葉が溢れ、混乱する。


「……そもそも伝わるのか?」

「──はい、伝わります」

「うわっ!?」


 突然聞こえた鈴の音の様な綺麗な声に、思わず驚いてしまう。

 少女に「ごめん」と謝る流児。その時に見た少女の様相は、どう見ても同種の存在とは違うと理解できる程に無機質だった。

 取りあえず会話が可能と理解した流児は、身振り手振りを交えてコミュニケーションをとることにした。


「スマホを探しててさ、こんな感じで持って使う、幅はこれくらいやつで、それで──」

「──すまほ……?」


 手に持っていたホタテを使い、形と厚みを示して“スマホを探してる”と聞いてみる。

 しかし少女は、ホタテを見て首を傾げる。


「伝わらないか……うーん……」


 どうにかして意識を伝えることができないか。そう考えた流児は、何かしらのヒントを探るため、改めて少女を観察する。


 腰程まである、真珠のように白く光を反射する髪。前髪は眉に掛かる程の長さ。眉も睫毛も白く、サラサラと波に揺れている。


 瞳も紅く、宝石──赤珊瑚のよう。カラーコンタクトでも付けていなければ目にすることが無い色だが、そんな物を付けている様には見えない程に自然な目。


 肌も白く、動いていなければ人形と見紛う程に美しく、汚れや傷一つ見えない。


 純白の布地の服は、所々に付けられた金等の宝飾品と特徴的な形状と合わせて見ると、まるでギリシャ神話に出てくる神か王族の様だった。


 そしてその裾にローマ字の様に読める、途切れ途切れの角張っ模様の何かしらの文字が刻まれていた。


「……ZIEBBA──あ、そうか! SIERRA──君はシエラって言うのか!」

「──しえら……?」

「あー、えーっと……?」


 会話が通じているか分からない様子のシエラに、流児はほとほと困り果ててしまったのであった。

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