蒼白のリヴァイアサン

黒木箱 末宝

未知との遭遇

『ごめんなさい。君とは付き合えないの』


 去年の夏、海の見える学校の体育館裏。


 思春期の少年が勇気を振り絞ってした、小学生の頃から憧れていた一つ年上の女子への告白。


 そして、うるさい蝉の鳴き声の中で嫌に響いた、スッキリとした冷たい拒否の返事。


『あ、でも君が嫌いとかそう言うのじゃなくてさ。まだ恋とかよく分からないし、やりたいこともいっぱいあるし……それで、えーっと~……』


 憧れの存在が、爛漫らんまんとした何時もの笑顔を潜め、困った表情でそう告げる。

 こんな状況でも、彼女は少年を気遣いその行動に非がないことを伝えてくれる。


「あー……それじゃあね」


 項垂れた自分に気遣いを見せつつ、少年の大好きだった少女は遠のいて行く。


 その背に手を伸ばし、少年──南海 流児みなみ りゅうじは何かを言おうと口を開き、そして──




「待って──! ……はぁ……またこの夢……」


 あの日以来、時折見るようになった悪夢。

 時が立つ程酷くなるそれは、最早一種の精神病の様に流児を蝕んでいた。


「暑い……水……」


 端末スマホで今の時間を確認する。

 現在の時刻は朝の五時半。気温の上がり始めた時期に悪夢も合わさり、酷く汗をかいてしまった。


 ベッドから起き上がった流児は、寝癖まみれの頭を掻き、その日に焼けた肌を這う汗を手で拭うと、熱を逃がすように湿気った白いTシャツをパタパタと扇ぐ。


 ペタペタと湿気った足音が響く。足の裏に引っ付くようなフローリングの床に煩わしさを感じつつ、キッチンへと向かう。


 蛇口を捻り、水をコップ一杯に注いで一気に飲み干す。

 お陰で気分は落ち着いた。しかし、もう二度寝をするような気分ではない。


 洗面所で顔を洗う。鏡に写る顔は、寝不足か隈が浮かんでおり、くたびれて見えた。


「……散歩するか……」


 そう呟くと、固定電話の横にあるメモを一枚取り、散歩に出るという書き置きを、共に暮らす祖母へ残す。


 自室に戻って端末を手に取ると、その振動で起動したのか、真っ暗な画面に光が点る。


「ッ……!」


 起動した端末の待ち受け画面には、自身が告白し、振られた相手とのツーショットが設定されていた。


 ポニーテールの良く似合う、爛漫と言った印象の笑顔を浮かべる、日に良く焼けたスポーティーな少女。


 そんな少女に肩を抱かれ、照れ笑いを浮かべ少女を見ている自分。


 体育祭の最に撮られた集合写真を切り抜いた、思い出の写真だ。


「……ハァー……」


 未だに引きずる未練から逃げるように、寝間着の青いハーフパンツのポケットに端末を捩じ込み、流児はサンダルを履いて外へと出ていった。




 薄暗い朝焼けの中、一人家の前にある海岸を歩く流児。

 不意に波を目で追えば、珍しいことに潮が満ちており、波しぶきが歩道を濡らしている。


「……はぁ~……」


 波に足が濡れるのも気にせず、流児は柵にもたれ掛かり溜め息を吐いた。

 散歩に出てみたは良いものの、流児の心は今の海のように悩みで満ち、荒れ果てている。


(振られたのは……俺が悪かったのか……何か足りなかったのか……? ……分かんないな……)



 反省とも後悔ともつかない考えが募る──その時だった。



「──ん、なんだ?」


 一際大きな波しぶきの音が轟いた。


 それにつられて海を見ると、何やら切り取られた様に色彩の違う蒼色の海面に浮かぶ、大きな何かが見えた。


 それは浮かんだまま動いておらず、飛沫を上げる波に微動だにしていない。


 地震など起きていないので、岩が隆起したものではないだろう。ならば生き物か?

 此処は海岸も近く、鯨やイルカなどの大きめの哺乳類は近付かない筈だ。背鰭も見当たらないので、鮫とも違うだろう。

 それに、鯨やイルカや鮫ならば、あんなにピタリと停止何てできず、波に揺られている筈だ。


 だがは小揺るぎもせず、その場に留まっている様に見える。

 もしや新型の潜水艦か、何かしらの生き物の新種か、もしくは暗礁に乗り上げた海獣類の死体か。


「……」


 もし流児の考える通りならちょっとした事件だ。


 流児は何かに急かされるようして端末を取り出し構え、カメラアプリを起動し、撮影を始めた。




「……わからん……何なんだあれ?」


 暫く観察したが、結局あれが何か分からなかった。

 何枚か写真を撮りつつ、続いて映像の撮影を開始する。


 日時や天候、場所や撮影経緯を声に出して記録し、望遠機能で拡大しながら観察を続ける。


 海面に浮かぶ巨大なそれの、背中か腹のような部分を見て、流児は一つの疑問を呟く。


「……やけに綺麗だ……フジツボ一匹付いてない。なら生き物か? でも背鰭は無いし、そもそも動かない……ほんと何なんだ?」


 そうして観察していると、が一瞬沈み込み、大きく飛び跳ねた 。


「なっ──なんだっ!?」


 水平線から浮かぶ太陽に、巨大な異形の存在が照らし出される。


 深海に生息する鮫の一種であるラブカに似ている頭。

 暗夜にポツンと浮かぶ満月の様な彩光を持つ、真っ黒な目。それが片側に三つあり、それぞれが独立した動きでギョロギョロと海を睨み付けている。

 下顎から続く喉らしき部分に袋の様な器官があり、その中に光を発する白い人形ひとがたのシルエットが見える。

 顎の付け根付近から伸びる、腕のように発達した鰭の様な何かが、その光を大事に抱き締めている。


 そして身体──所々に甲殻の様な物があり、ぬめりが怪しく太陽の光を反射している。

 しかし、そのどこか見覚えのあるシルエット──まるで水中に適合するように進化した手足に尻尾は、まるで……。


「ッ!!」


 咄嗟に端末を向ける流児。


 その瞬間、撮影限界を超えたのか、端末から気の抜けた音が鳴る。


(マズッ──!?)


 音に反応したのか、異形の目がギョロギョロと周囲を確認している。すると、目の一つと流児の視線が重なった。


 感情が一切感じられない、満月の様な瞳は、周囲の黒と合わさり、魂を引き摺るような引力を感じる。

 そんな目が──片面全ての異形の目が──流児一人に向けられる。


「ッ!!?」


 咄嗟に端末を構え撮影を再開する。

 反撃するかのように──または視線から隠れ威嚇するように──端末をピッタリと異形の目を捕らえて離さない。

 あまりにも巨体な異形の存在に対する、拒否反応の表れだ。しかし、それがいけなかった。


 巨大な異形は、その全身が見える程に高く跳ねていた。そして思い出したかのように、その大きな身体は地球の重力に引かれ、蒼色の海面へと落ちて行く。


 巨体が海へと潜る。大きく沈んだ水は、反動で大きな波を生み出す。


 そして、その波は流児のもとへと迫って来る。


「──はっ、マズッ!?」


 迫り来る大きな波が、消波ブロックを越えて流児を襲う。


「っ冷たぁ~っ!? あ~もう最悪──スマホは……?」


 波にのまれる流児。

 波の勢いに押し倒され、痛みと冷たさ、濡れたことによる不快感に苛立ちを露にする。


 そして、先まで手に持っていた端末が手にも側にも無いことに気付く。


「まさかッ!?」


 慌てて起き上がり、歩道の柵の下を覗けば、波に拐われた端末が、消波ブロックの上を滑って行くのが見えた。


「ッ待て! 止まれ!!」


 叫ぶことしかできない流児。だがその叫びが通じたのか、端末は海に落ちるギリギリの所で止まったのだ。

 しかし、端末は未だに海へと落ちそうな危険な位置にある。


「あ~もう!」


 このまま端末を置いておくこともできず、流児は覚悟を決めて柵を越え、消波ブロックの上に乗った。


「っ、滑るっ……慎重に……」


 滅多に濡れない場所なのか海苔のりなどは生えていないが、先程の波に濡れた所為か、足場が少し不安定だ。


「頼むから……落ちないでくれッ……!」


 滑らないように重心を低くし、ゆっくりとした足取りで進む流児。


「よし、あと少し……」


 濡れた足場や段差を越えて、流児は端末まであと僅かな所まで来た。

 しかしここから先の部分には、普段から波に濡れているのか、消波ブロックの表面には海苔が生えていた。


「……こうするしかないか……」


 四つん這いになり、接地面を増やして安定性を上げ、慎重に進む。

 そうして、やっとの思いで端末を手に取った。その時だった。


「やった、取った──ブワッ!?」


 端末を手に取り喜ぶ流児を嘲笑う様に、再び大きな波が襲い掛かる。


「あ──うわっ!?」


 そして、海に戻る波に引き摺られた流児は、そのまま蒼い海へと落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年10月14日 07:00 毎週 日・月 07:00

蒼白のリヴァイアサン 黒木箱 末宝 @kurodukuro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ