幕間6

たとえ冬が訪れてしまっても

 紅葉を終え街路樹は丸裸になり、空から雪が降り始める。

 天逆町に冬がやってきた。

 そして私の人生にも。

 私は今、病院のベットでしんしんと降る雪を眺めている。

 数週間前、私は血を吐いて倒れていたらしい。その際に頭を打ったショックなのか、前後の記憶が曖昧だった。

 直前に誰かが岩戸屋に訪れた気がする。

 けれどそれも、「気がする」の範疇に過ぎない。を犯人に仕立て上げるには些かこじつけが過ぎる。

 

 謎の奇病。それが今私を蝕んでいる。

 ウィルスの形は普通の風邪と変わらない。けれど既存の薬じゃ対処できない。

 極めつけに私の身体には黒い斑模様の痣がどんどん広がっている。

 つまり前例の無い症状。

 更に言えば、不治の病だ。

 

 入院してからというものの、毎日の様にナギくんが顔を店に来る。正直、強がれる程の元気は無いので嬉しい限りだ。

 でも、仕事ほっぽり出して来た時は流石に怒った。


「なーに泣きそうな顔してんの」

「だってさぁー、ミコちゃんがこのまま治んなかったらさぁ……」

「顔情けなッ!?グシャグシャじゃん!初日はいいけどさぁ。もう入院してからだいぶ時間経ってるんだよ?」

「でもさぁー……」

「でもでもだってだってうるさいなぁ。人はそう簡単に死にません!私だって死ぬつもりないし。ほら、ナギくんワダツミで仕事あるでしょ!行かなきゃダメだよ。面会時間も終わりだし、ね?」


 ナギくんは渋々とした顔で私から離れる。まるで保育園に預けられる子供の様だ。

 

「……ミコちゃん、愛してるよ」

「うん、私も」


 彼は別れを惜しみ、いつも愛の言葉を伝えて病室を立ち去る。

 言葉は伝えられる時に伝えろと言うが、伝え過ぎても過ぎても安くなってしまうんじゃないだろうか。

 私はそれが怖くて、最近は『愛してる』という言葉を伝えることが出来なくなっていた。


「あーあ、酷い身体になったもんだ」


 私の身体を蝕む赤黒い斑点の正体は分からない。けれど、まだ顔に及んでないことは幸いだ。

 人は内面と言うが、私も女だ。醜い姿を最愛の人に見せたくはない。


「もっとやりたいこと、きっといっぱいあるんだろうなぁ」


 自分の身体のことだ。良くならないことは分かっていた。それを彼に言ってしまうと悲しい顔をすることは分かっている。

 だからこそ、独りになった時弱音を吐くのだ。


「私が存在なくても、ちゃんとナギくんには笑ってて欲しいなぁ」


 私の死は呪いの様にナギくんを縛り付けるだろう。それが幸せな時を過ごす対価だ。

 その対価は、重すぎる私の可愛い人にとっては、より深い傷になる。彼には「時間だけが解決する」なんて気休めの言葉にもならないだろう。

 いっそ嫌いになってしまおうか。


「それは……私が哀しいよ」


 けれど私は我儘なのだ。

 ナギくんのためにナギくんを嫌いになる。その勇気があれば、とっくの昔にそうしている。

 心にも無い嘘をついて、ナギくんに楽に生きてもらう。

 そんなこと私は許せない。

 私は彼に覚えていて欲しい。

 苦しんで欲しい。

 ずっと愛していて欲しい。


「ほんと最低だな私」


 私は自分の嫌な側面に頭を抱えた。

 前に進ませるどころか、彼に停滞を望んでしまっている。

 

「ナギくんには私だけを思っていて欲しい」


 死人になれば口も無くなる。

 文句も願望も泣き言も言えなくなるのだ。今くらい許されるだろう。

 きっとナギくんには辛い思いをさせる。私が死ねば後を追いかねない。

 それでも、私は最後まで、平坂ナギヨシに愛されていたいのだ。


「ゲホッ!?……あー、これ、やばいかも……」


 突如私の身体は生に拒否反応を示す。

 力を振り絞り、ナースコールに手をかける。

 私の意識は黒い波に引っ張られる。次の目覚めが終わりの時。何故かそうなる気がしていた。

 だからこそ意識は妙に冷静で、私は最期に彼へかける言葉を考えていた。

 彼を縛り、ぐしゃぐしゃにしてしまう言葉を。

 それでも前に進んで欲しいと願う二律背反の心を。

 

 「そうだ……これがいい」


 ――――どうか素敵な日々を。

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