第25話 家に帰ったらまず手洗いうがい

 分厚い雲は一分の光すら通さず、太陽の存在そのものを否定するかの様に、我が物顔で大粒の涙を流している。

 そんな空模様を見ながら、オウカは紫煙を燻らせ雨音に耳を済ませていた。

 バシャバシャと一際大きな水の音が、ノイズのように聞こえてくる。オウカが音の鳴る方へ向くと、泥に塗れた3人の姿があった。

 ケンスケとニィナは泣きそうな顔でオウカを見つめる。2人の間には、血だらけのナギヨシが肩を支えられ項垂れていた。


「ハァー……厄介事持ち込みやがって。入んな。風邪ひくよ。まずは手洗いうがいだ」



⬛︎



 オウカは意識の無いナギヨシを店の奥に運び、応急処置を施した。その体には黒い斑模様が刻まれている。ジクジクと疼く傷跡は、まるで地を這うミミズの様だった。

 

「オウカさん、ありがとうございます。僕らどこに連れていったらいいのか分からなくて……」

「こんな時だ。医者もこんな馬鹿相手に手ェ割けないよ。で、何があったんだ」

「この流行病の元凶が岩戸屋に来た。カグツチって男。ナギのこと知ってた」

「こいつの交友関係どうなってるんだい。アタシまで犯罪者に間違われちまうじゃないか」

「ソイツ、ナギの……ナギの女を殺したって」

「へぇ……」


 オウカの顔が強ばる。それもそのはずだ。今まで散々『仕方がなかった』とナギヨシに説いていた出来事は、人為的に引き起こされた悲劇であったのだから。


「フン。が今流行ってるのは、偶然でも何でも無かったってことなんだね」

「……オウカさん。ナギさんに何があったんですか。ナギさんって何者なんですか!?」

「言ったろ。アタシから話すことじゃないさね」


 オウカはいつもの様に軽くあしらった。少なくとも本人が喋らないことは口にすべきでは無い。

 それが大人の世界のマナーでありルールだ。

 だが、ケンスケはわなわなと拳を震わせ大声を上げた。

 

「僕たちナギさんに巻き込まれたんですよっ!もう無関係じゃないんですっ!」

「オウカお願い。私たちはナギに救われた。だからナギののとを救いたい。だからナギのことを知らなきゃいけない……!」

「黙りな!人の隠し事チクる様じゃキャバクラのママなんざ出来やしないんだよ。聞き分けの無いガキは嫌いだよ」


 大人と子供の意地がぶつかる険悪なムードが漂う中、ピシャリと音を立て後ろの襖が開いた。


「ここは動物園ですかコノヤロー。煩くて寝てもいられねぇ」


 そこに立っていたのは意識を取り戻したナギヨシだった。


「ナギさんっ!」

「ナギ!」

「あんま騒ぐなって。傷に響く。ったく、そんなに俺の過去が知りてぇのかよ」

「……ナギヨシ。話してやんな。この子たちを雇ったのはアンタだが、危険に巻き込んだのもアンタ。この子たちには知る権利がある」

「さっきまでその事で言い合ってた癖によく言うぜ。全く大人ってヤツはズリィよなぁ……そんなおもしれぇ話じゃねーぞ」


 ナギヨシはそう言うとポツリポツリと昔話を始めた。

 異排聖戦のこと。オウカの世話になったこと。そして、勇魚ミコトとのこと。

 雨足が更に強くなる中、2人はその話をただ黙って聞いていた。



⬛︎



「――以上だ。くだらない話のご清聴どーも」


 ナギは話終えて深くため息をついた。壮大な自分語りに感想は要らない。なんなら恥ずかしくて今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。


「ナギさん、僕、ナギさんの力になります」

「あ?なんでそーなる」

「僕を助けてくれた恩人だからです」

「ナギ、私も。次は私たちがナギを助ける」

「……」


 ナギヨシは俯き、頭を搔いた。


「あーあ、だから昔話は嫌いなんだよ。やっぱり独りのが気楽だわ」

「え?」


 ナギヨシは吹っ切れた様に、ぶっきらぼうにそう言った。

 手を差し伸べた2人は、予想外の彼の言葉に思わず固まってしまう。


「勝手に背負ってるんじゃねぇよ。俺より弱いクセにカグツチに勝てるわけねーだろうが」

「だから力になるって……」

「むしろ邪魔だ。自分の女が殺されたことにも気付かず、のうのうと生きてる人間が、テメーら守って戦えると思うか?もし出来るってヤツがいたらそいつァ、随分無責任な野郎だよ。俺には出来ねぇ」

「ナギ……それでも力になりたい」

「要らねぇって言ってんだろうが!!」


 ナギヨシの怒声に、ニィナの伸ばした腕が強ばる。静かに怒られたことはあれど、怒鳴られたことは一度もなかった。

 それはケンスケとニィナにとって、完全な拒絶を表していた。


「テメーら、クビだ。今月の給料はババァに預けてある。それで縁切りだ」


 ナギヨシはそう言うと、はだけた衣服を着直してワダツミの外へ向かった。

 岩戸屋元従業員の声は届かない。ナギヨシは振り返ることもせず、ピシャリと戸を閉めた。それは、あまりにも分厚い壁として彼らの距離を隔てたのだった。

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