イヌを躾けるのは飼い主の責任だよね……?♡

「……て……い——」



 遠くで声が聞こえてきて、俺の意識はゆっくりと浮上していく。


 あれ……俺は何をしていたんだっけ……

 なんだか夢のような時間を過ごしていたような気がするけど……



「……兄……きて——」



 聖羅せいらさんを手懐けるつもりで撫でたりして、お腹に顔を埋めて吸ったりして……その後どうしたんだっけ?



「お兄、起きてっ!」


「っ……!」



 千夏ちなつに声に、俺は意識を取り戻す。

 慌てて身体を起こすと、呆れた表情の千夏ちなつが腰に手を当てて立っていた。



「やっと起きたのね……雪谷ゆきやさん、もう帰っちゃったわよ」


「あっ! ご、ごめん、すっかり寝てた……今何時?」


「もう8時過ぎよ、まったく……」



 千夏ちなつが言うには、千夏ちなつが帰って来た時、聖羅せいらさんは一人でリビングに居たらしい。


 『遊びに来たけど、春空はるく君が寝ちゃった』とのことで急いで部屋に行ってみると、すやすやと寝息を立てる俺が居て……



「声をかけても揺すっても、待ってみても起きないし……結局暗くなっちゃったし、雪谷ゆきやさんには帰ってもらったのよ」


「そ、そっか、悪いことしたな……」


「ま、別に雪谷ゆきやさんは怒ってなさそうだったからいいけど……女の子を家に呼んでおいて、放置して寝落ちだなんてありえなくない?」


「うっ……」



 千夏ちなつの言葉に、俺は何も反論できず。

 なにか埋め合わせしないとなぁ。



「……で、雪谷ゆきやさんと何してたの?」


「……」



 意識を失う前の光景を思い出し、俺は口を噤む。


 ……肌色の景色しか記憶にないんだよなぁ……。他に思い出せるのは、いい匂いと暖かさと、聖羅せいらさんに対する———



「な、何もしてないよ……」


「本当に? 怪しいけど……何かいやらしいことしてたんじゃないの?」


「いやっ、してないけどっ……!?」


「そんな風に強く否定されると余計に怪しいんだけど」



 まぁでも、確かにお兄のの匂いは感じない。本番まではしていないことは分かるけど……お兄の身体に付いた甘い匂いは、獣人の女の子が発情・・したときの匂いだ。


 雪谷ゆきやさんが発情して、お兄と密着していたのは間違いないだろう。だけど……



「っ……」



 発情したときのヤバさ・・・は、私も良く知っている。欲しくて欲しくて我慢できず、どれだけ一人でシても満たされない渇きに晒されるような……


 お兄に付いた残り香だけで、ゾクッと身体が震えてしまうぐらいなのだ。当の本人が、そんな状態でお兄と二人きりになって、我慢できるとは思えない。



 人間としての何か・・が、獣人の本能を抑えるほどに強まったのか……とにかく、何があったのか気になるところだ。



「……お兄、また噛んでいい?」


「えっ!? なんだよ急に!?」


「なんかこう……むしゃくしゃして」


「八つ当たりにもほどがないか!?」



 八つ当たり……確かにそうだ。

 お兄の身体から、ユキヒョウの匂いがするのが嫌だ。

 せっかく付けた私の匂いが消えてしまっているのが嫌だ。

 お兄が他の女の子とイチャイチャしているのが嫌だ。


 お兄が誰と仲良くしていようが、彼女を作ろうが、それはお兄の勝手だから私には関係ないはずなのに。


 お兄にこっちを向いてほしくて、お兄に嫌がらせをしてしまう。



(私って、こんなに嫉妬深かったんだ……)



「女の子を放っておいて寝落ちしちゃうお兄にはオシオキが必要だもんね♡」


「ほとんど千夏ちなつがしたいだけだろっ!」



 なんだかんだ言って拒絶しようとするお兄ににじり寄る。赤くなっちゃって……結構好きなくせに……♡



 ベッドの上で後ずさるお兄に、私は四つん這いで迫る。その背中に手を回し、首筋に向けて———



「おすわりっ!」


「っ!?」


「俺だってな、やられてばかりじゃないぞ!」


「んぅっ!」



 俺の首筋に噛みつこうとしたその瞬間、とっさに出た『おすわり』という指示に、千夏ちなつはペタンと俺の腹の上に腰を下ろす。


 その隙に千夏ちなつの口に猿轡をはめ、口を開けないようにしてやる。



「ふふふ……噛み癖がついた犬を矯正するならこうだよなぁ」



 ビックリして動けないでいる千夏ちなつの首に、用意していた大型犬用の首輪を装着し、リードを着けて短めに握る。



「自由に動けないだろ? 犬の躾け方も調べておいたんだよ。これからは千夏ちなつが噛みつこうとする度にこうして———」



 ———躾けてやる。

 そう言いかけて、俺は千夏ちなつの様子がおかしいことに気が付いた。



「フーッ、フーッ……♡」



 頬を赤く染め、息を荒くし、目に涙を浮かべてこちらを見つめてくる千夏ちなつ。嫌がっているかと思いきや一切抵抗はなく、むしろそれ以上の何かを期待して見つめてくる目には、ハートマークが浮かんでいるような———


 思わず見惚れていた俺は、千夏ちなつが口の端に唾液を垂らしながら切なそうに身体を捩ったのを見てハッと我に返った。



「ご、ごめん、ちょっとふざけすぎた……」


「んぁっ……♡」



 千夏ちなつに謝りつつ、猿轡と首輪を外してやる。猿轡との間でトロッと千夏ちなつの唾液が糸を引き、ドキッとしたのは内緒だ。



千夏ちなつ、大丈夫か?」


「だ、大丈夫……と、とりあえず夕飯出来てるから、早めに食べてね……?」



 それだけ言い残し、千夏ちなつはそそくさと部屋を出ていく。


 なんだか気まずくなっちゃったな、後で謝っておくか……。でもこれで千夏ちなつが行動を改めてくれるなら、それでいいかもしれないけど。









「はぁぁぁ……♡」



 自身の部屋に戻った千夏ちなつは、身体の力が抜けてその場に座り込んだ。自分の肩を抱くようにして、身体の震えを抑える。


 兄に命令され、猿轡をはめられ、首輪で行動を制限される……それが、こんなに気持ち良いだなんて———



 雪谷ゆきやさんの発情した匂いに当てられたから?

 それとも、元々そうやって支配される・・・・・のが好きだった?


 ……分からない。

 ただ一つ言えるのは、もう一度お兄に首輪を着けてほしいと心の底で感じている、ということだ。



「私がいけないことをしたら、お兄はまた私に首輪を着けてくれる……? リードを握っていてくれる……? もしかしたら、そのまま飼い犬みたいにお散歩に……っ~~♡」



 あらぬ想像をした千夏ちなつは、その妄想の結末にゾクゾクと身体を震わせる。本当にそれを望んでいるかのように───



「ごめんね、お兄……私、悪い子になるかも……。その時は、容赦なく私をお兄のイヌにして……♡」

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