地獄っ……!

「ハル~、一緒にお弁当───何この空気?」



 4時間目が終わり昼休みに入ると、美藍みらん春空はるくの教室に来るのはいつものことだ。


 ただ今回、教室に一歩踏み込んだ美藍みらんが思わずたじろいでしまったのは、教室内の雰囲気が異常だったから。



 ……具体的に言うと、春空はるくが壁を向かうように机を移動させ、独りでモソモソと弁当を食べており、聖羅せいらがそんな様子の春空はるくを見て、申し訳なさそうな表情でおろおろしている。


 周りの男子も同じように罰が悪そうな顔で、女子達は春空はるくを見て顔を赤らめる者やヒソヒソと話す者など様々だ。



「……なにこれ」


「あー……ごめん、春空はるくに関しては俺らのせいだ」



 美藍みらんの呟きに答えたのは、クラスメイトの男子の一人だった。



「まぁなんだ……朝の雪谷ゆきやさんの『オスっぽい』発言で春空はるくのオ──色々バレて、俺らが面白がってからかったら……」


「あっ(察し)……拗ねちゃったんだ?」


「拗ねちゃった」


聖羅せいらちゃん……発言気を付けたら?」


「ご、ごめんなさい……春空はるく君のあれ・・の匂いで、お腹の奥がキュンッてしちゃって……」


「だからぁ、そういうところなの! たった今発言気を付けてって言ったばっかりなのに! 今ので何人の男子達が変な想像をしたと思ってるのよ!」



 美藍みらんが声を上げ、威圧感のあるヘビの瞳で教室内を睥睨へいげいする。


 サッと目を逸らす男子が多数。



「…………」



 とりあえずドン引きした目を向けておいた。



「ま、まぁ……別に、男ってそういうものだとあたしも分かってるつもりよ……」


「んっ……私も春空はるく君の匂い、嫌いじゃないし……」



 聖羅せいらの発言を聞いた男子達の間に、ざわめきが広がる。それと同時、おそらく聞こえていたであろう春空はるくの肩がピクッと動いたのを、美藍みらんは見逃さなかった。



(耳が熱くなってる。これは……満更でもない感じかな?……もう一声かしら……)


聖羅せいらちゃんは、ハルにそういう・・・・気持ちを向けられたら嫌なの?」


「私? 私は……あまりピンと来ないけれど、嫌ではない……かな……」


「でしょ? 私だって別に……ハルがどうしてもって言うなら協力してあげても……」



 自分で言いながら、顔を真っ赤にして声が小さくなっていく美藍みらんに、男子達は揃って見惚れ、女子達は『きゃ──っ!』と黄色い悲鳴を上げる。


 そして、人知れず食べていた弁当を吹き出す春空はるく



「……ってことは、俺らも頼み込めばワンチャン桜庭さくらばさんがおかずの提供を───」


「はっ? 死ね」


「ゴフッ……あまりにもシンプルでストレート過ぎる拒絶……」


「結局リスちゃんだからってか? ちくしょうがっ!」

「これが格差社会か!」

「信じられるか? 俺らは画面の向こうを眺めるしかないってのに、幼馴染みにして貰える奴がこのクラスに居るんだぜ!?」

「この屈辱、ぜってぇ忘れねぇっ!」


「何よ、何か文句ある?」


「「「「「無いです、すみません」」」」」



 口々に文句を言う男子達を睨み付け、美藍みらんが一言。視線だけで人を殺せるのではないかと思えるほどの鋭い目付きに、男子達は誰一人として口答えできなかった。



(((美藍みらんちゃん、強すぎる……)))



 これ以降、このクラスの女子から、美藍みらんが『姉さん』と呼ばれるようになったのは別の話。












「ってことでハル、何も恥ずかしくは───あれ? ハル?」



 美藍みらん春空はるくの方へと目を向けるも、いつの間に席を立ったのか……そこには誰も座っていない席が寂しそうにポツンと佇んでいた。



「どこ行ったのかしら……せっかく私がフォローしてたのに」


「リスちゃんなら、さっき委員長が『手伝ってほしい』って言って連れてったよ~」



 ということらしい。


 美藍みらんはもやっとした感情を抱きつつも、仕方がないと春空はるくが戻ってくるのを待つことにした。



        ♢♢♢♢



「ありがとう、委員長」



 なかなかに重いプリントの束を職員室へと運ぶ途中、春空はるくは前を歩く学級委員長の『鷺沢さぎさわ 陽奈子ひなこ』に声をかけた。


 美藍みらん聖羅せいらさんの影響でクラス内がカオスに陥っている間に、鷺沢さぎさわさんに『プリントを運ぶのを手伝ってほしい』声をかけられ、こうして教室を離れることができたのだ。



 夢精の時点であれなのに、それが妹にも幼馴染みにも、さらには聖羅せいらさんにすら即バレなんて、それだけで憤死もの。


 その上フォローまでされるなんて……あのまま教室に居たら、俺は羞恥心で死んでいたかもしれない。



 そんなタイミングでの鷺沢さぎさわさんの申し出は渡りに船だった。



「……私はちゃんと鷺沢さぎさわ陽奈子ひなこという名前があるのですが」


「ご、ごめん……ありがとう鷺沢さぎさわさん。連れ出してくれて助かったよ」


「別に……お昼の間に終わらせておこうと思っただけですから。あなたが一人だったから声をかけ易かっただけです」


「それでも助かったことには変わらないからね」


「……お礼は受け取っておきます」



 ぶっきらぼうにそう言う鷺沢さぎさわさんは、相変わらず表情は変わらないまま。


 けど、そんな彼女がクラスの誰よりも頼れる存在だということは、クラスメイト全員の共通認識である。



 みんなが想像する通りの、しっかり者の学級委員長。それが、鷺沢さぎさわ陽奈子ひなこという人物だ。



「……ところで、有栖川ありすがわさんも、嫌ならハッキリと言った方がいいですよ」


「ぅっ……」



 クルリと振り向き、メガネの奥からこちらを見つめる目は、ハッキリと言葉にしない俺に対する不満が見えるようだった。


 鷺沢さぎさわさんも、美藍みらん並みに視線が鋭いんだよな……。



「それはそうなんだけど、事実だから否定できないし恥ずかしいしで……」


「それもありますが、雪谷ゆきやさんと桜庭さくらばさんのこともです」


聖羅せいらさんと美藍みらんの……?」


「えぇ……あの2人、あなたを見る目が普通ではないように思えますが。獣人としての特性を考えると、怖いとは思いませんか?」



 『見る目が普通ではない』というのは、美藍みらんが言っていたように、『獣人にとっては美味しそう』という視点のことだろう。



「……確かに怖いと言えば怖いんだけど……それ以上に美藍みらんは優しいし、聖羅せいらさんも、こう……放っておけないというか……。いや、2人とももっと発言に気を付けてほしいのはあるけどね」


「……好きか嫌いかで言ったらどうですか?」


「好きか嫌いかなら……まぁ、す、好きかな、2人とも……」


「……それが聞ければ十分です」



 鷺沢さぎさわさんは一言そう言うと、再び前を向いて歩き始める。


 今の会話はなんだったんだろうと、少し釈然としないまま、とりあえず何も聞かずに俺は彼女の後ろを付いていくことにした。












 春空はるくとの一連の会話を頭の中で反芻しつつ、鷺沢さぎさわ陽奈子ひなこは職員室へと向かう。


 プリントを運ばなければいけないのも、居心地悪そうにしていた彼を教室から出させるつもりがあったのも事実。


 ただそれ以上に、陽奈子ひなこには彼に聞きたいことがあったのだ。



 それは、『雪谷ゆきやさんや桜庭さくらばさんのことを、彼がどう思っているのか』ということ。


 桜庭さくらばさんと有栖川ありすがわさんが幼馴染みということは4月から知ってはいたものの、彼女はヘビで、彼はリスだ。


 そして、最近になって雪谷ゆきやさんまで彼と関わるようになり……確かに仲の良い男女と言えばそうだが、本質的にはヘビとヒョウに囲まれるリスなのである。



 同じく獣人である・・・・・・・・私にも、それが何を意味するかは分かっているつもりだ。


 それなのに、当の本人から返ってきた言葉が……『2人のことは好き』である。



(はぁぁぁぁっ? 小動物が肉食獣に恋とかてぇてぇが過ぎんか? そんなの美味しくいただかれる(意味深)に決まってるじゃん)



 しかも本人は、心のどこかで『それも悪くない』と思っているような感じが見てとれる。



(獣人なら全員が羨ましいと思ってしまう、関係の成功例・・・ね、これは……。この尊さは何とかして守っていかないと)



 しっかり者の、みんなが想像する通りの学級委員長である鷺沢さぎさわ陽奈子ひなこは、実は少女漫画的ラブコメが大好きな乙女であることは、まだ誰も知らない。

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