第十三話 元勇者と聖女の憂鬱
帝国の辺境の辺境にある静かな村、その村のさらに外れにある小さな家。
そこに先代の勇者、レオンの祖父であるナイトハルトは住んでいた。
齢は八十を超え、全盛期の面影は微塵もないが一般的な老人とは比べ物にならないレベルで壮健であった。そもそもこのような年齢まで生きれるのが珍しいのだが。
(茶が美味いのぅ……)
茶をすすりながら、元勇者はくつろいでいた。
勇者を辞めた途端に帝国のド辺境に飛ばされて半ば軟禁状態にされても、娘とその旦那が若くして死んでも、唯一の肉親たる孫と喧嘩して家出されても、どうしようもなく身体は健康であった。
そんな緩慢な時間を過ごしていると、激しく玄関の戸を叩く者があった。
「勇者様! 勇者様ァ!! 大変ですだ!!」
「なんだなんだ騒々しい……」
戸を開けると、村の農夫が顔面蒼白といった様子でぶるぶる震えていた。
「あぁ……勇者様! 大変なんですだ……!」
「もう勇者じゃないと言っとろうに。何だ、わしゃ茶の途中ぞ?」
「お孫さんが……!」
「ッッッ!? レオンがどうした!? 帰ってきたんか!!?」
「いえ……ですけんども、とにかく大変なんですわ! 村の集会所まで来てくだせぇ!!」
「ええい、皆目わからんが相分かった!」
農夫を押しのけて、ナイトハルトは走り出した。
八十歳の老人とは思えぬ速りを見せるナイトハルト、彼よりかなり若い農夫も出遅れたとはいえ追いつけない程だ。
(くッ……! レオン、レオンよ……! ワシの言葉が足りんばかりにお前を傷付けちまった……! 帰って来いとは言わん、せめて、せめて無事でいてくれよ……!)
張り裂けんばかりの思いを胸に、ナイトハルトは集会所へとたどり着いた。いくらすこぶる健康な肉体とはいえ、やはり老人である。息も絶え絶えに集会所の掲示板にできていた人込みを搔き分け進む。
「はァーッ、はァーッ……どけぃ、どいとくれ!!」
「あ、勇者様だ!」
「勇者様、勇者様!」
(ええい人の気持ちも知らんで能天気な連中だわい!)
掲示板へと辿り着いたナイトハルトが見たものは、一枚の手配書であった。
「……ッ!」
そこに書かれていた内容は以下の通り。
『国家反逆の大罪人、ヴィオランテ・ヴァイオレント・ヴィオレットとその子分レオンハルト・ノットガイル』
『現在魔境都市バイエルラインより逃走、行方不明』
『捕らえた者には帝国から多額の報奨金を出す』
『男の方は生死は問わない』
一息に読んでナイトハルトは絶句した。
可愛い孫があろうことか帝国のお尋ね者になっていて、殺されるかもしれないというのだから、仕方のないことではある。
「あの大馬鹿モンが……! 何をやったらこんなんなるんじゃあ……!?」
ナイトハルトは頭を抱えた。村に事実上の軟禁状態の自分には何もできないし、何より元勇者という肩書きは孫を救うには不十分である。
彼にできることは、何とか孫が無残に殺されぬよう祈ることだけだった。
……まぁ、その祈りは確かに叶えられることになるとは彼は知るよしもないのだが。
「もし! 先代勇者、ナイトハルト殿であられるか!」
自分を呼ぶ精悍な声がした方を見ると、こんな辺境には珍しく帝国軍の騎士が数人いた。鎧の華美さから見ると上級騎士だ、さらに珍しい。
「いかにも、ワシがナイトハルトである。帝国からの使者とお見受けするが?」
「流石ですな、話が早くて助かります。……皇帝陛下から詔を頂戴しておりますので、読み上げさせて頂きます。」
騎士は羊皮紙を開くと、姿勢を正して大声で読み上げた。
「先代勇者、ナイトハルト! 帝国に火急の危機あり! ついては至急宮廷に参上されたし!!」
「何ィ? 皇帝陛下が? ワシを??」
「はい、私たちはお迎えを仰せつかっております。早急にご同行を、馬車はあちらです」
「随分急な話だが……皇帝陛下の詔と聞いては仕方あるまいて、分かった行こう」
「助かります。ではこちらへ」
ナイトハルトは騎士たちに案内されるがまま歩きながら、このいきなりの勅命に考えを巡らせていた。
(皇帝の奴め……今更この老骨に何をさせようっていうのだ……?)
馬車に乗ろうとするナイトハルトに、村人たちが歓喜の声を上げる。
「勇者様がまた冒険に出かけられるぞ!」
「無事に帰ってきてくださいね!!」
呑気なものだ、とナイトハルトは苦笑する。
しかしまぁ、これも己がもたらしてしまった仮初めの平和のせいか。
そんなことを考えながらナイトハルトはドカッと馬車の座席に腰かけた。
「……老体に馬車は堪えるのでな、あまり揺らさんでくれよ」
「心得ております……ハッ!」
御者の騎士が鞭打つと、馬は嘶いて走り出す。
(さぁてロクでもないことなのは確か……鬼が出るかのう、蛇が出るかのぅ……まぁええわ、何でもしてやる代わりにレオンの保護でも頼んでやるわい)
ドナドナドナと馬車は帝国へと進む。
ナイトハルトはこれからの事とレオンの無事を案じながら、しばし眠りにつくのであった。
◆ ◆ ◆
……さて、場面は切り替わり帝国首都グラズヘイム。
その本拠地たる城の一室で黄昏る女が一人。今度はこちらの視点から物語を進めよう。
◆ ◆ ◆
「……ふう」
あらこんにちは、あたしアンナ・ベッカー。
ちょっと前に神様の声が聞こえて、そしたらあれよあれよという間に「聖女」ってことになってたごく普通のパン屋の娘よ。
……誰に自己紹介してるんだろ? これも神様の意思なのかな?
そんな風に部屋でちょっと黄昏てると、誰かが部屋のドアをノックする音がした。
あの人かな、多分あの人だと思うな。
「入ってもいいかい?」
「シャルル様! どうぞお入りください」
走り寄ってあたしがドアを開けると、純白の華美な衣装に身を包んだ美男子が疲れた様子で入ってくる。
この方はシャルル・ハイドリヒ・フォン・ケーニヒヴェーク様。
この帝国の王子様で、継承権的に次期皇帝になるお方で……私の婚約者。
「あぁありがとう、アンナ」
「どうされたんですか? だいぶお疲れのようですけれど……」
「あの女の事後処理が忙しくてね……全く大人しく処刑されていればいいものを」
「あの女って……ヴィオラ様のことですか?」
「……アンナ、奴はもう貴族でもなんでもない只の逆賊だ。敬称なんてつけるなよ」
「も、申し訳ございません……」
「あんな奴と婚約していたなんて……思い出しただけでも怖気が走る」
ぴしゃりと言われて心がキュッとしてしまう。
でもヴィオラ様はあたしのせいであんなことになってしまったのに……。
「だいたい君はあいつに虐められていたじゃあないか。何を義理立てする必要がある?」
……違う、それは違う。
まぁ確かにイジめられてたけど……それはあたしにとっての”光”だったんだ。
◆ ◆ ◆
────15歳の時に聖女になってから、あたしの人生はガラリと変わってしまった。
神様の声が聞こえて家に帰って、お父さんとお母さんに会ったら……2人がニコニコ笑ってた。
いつも無口で職人気質なお父さん、いつも元気で豪快な姉御肌のお母さんが……まるで別人のような作り物みたいな顔で笑ってたんだ。
心底ぞっとした。
それから、周りの人がみんな、その笑顔であたしに接してくるようになった。
「聖女様」「聖女様」「聖女様」「聖女様」「聖女様」……って。
────あぁ怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!
帝都に連れてこられて魔術学院に入っても同じだった。同じ笑顔の同じようなことを言い、私の言うことは何でも妄信して実行してしまう人形みたいな人が増えただけ。
多分だけどこれが「聖女」の力なんだ。人々を束ねる為の力────でも、それがこんなモノだったなんて。
……何であたしがこんな思いをしなきゃいけないの?
あたしは普通の家で、普通の生活をして、普通に恋をして、普通に年をとって、普通に死にたかっただけなのに!!
でも、学院を卒業して、何故かシャルル様の傍に置かれることになって王宮に入った時、あたしはヴィオラ様に出会ったんだ。
「あんたが聖女サマ? 随分と田舎臭い女だことねぇ?」
そう言われて、あたしの死にかけた心に光が差した。
あたしを「聖女」じゃなくて一人の「人間」として見てくれている。
そこにあったのはもしかしなくても悪意だったけれど、それでもあたしにとってはこの世界で唯一の人間と呼べる存在。それが、ヴィオラ様だった。
……そんなヴィオラ様を、直接的にではないけれどあたしが追い出してしまった。
これから何を頼りにして生きていけばいいの……?
「アンナ……どうしたんだい? ボーっとして、気分でも悪いのかい?」
「あ……いえ、なんでもないです」
「ならいいんだが……そうだアンナ、今日もパンは焼いたのかい? 忙しくて何も食べていなくてね、腹ペコなんだ」
「あ、はい。ただいま……」
あたしは何もすることがない時は王宮の厨房を借りてパンを焼いている。
こうしてパン作りに没頭することで、あたしはあたしを保っている。これだけが、私が聖女ではなく普通のパン屋の娘だという証だから。
棚から今日焼いたパンの入ったカゴを取り出して、ソファーに腰かけたシャルル様の前に置く。
「どうぞ」
「ありがとう……あぁ、やっぱり君の作るパンは美味いな。帝国で一番の出来だよ」
「ふふ、恐れ入りますわ」
愛想笑いを浮かべながらも、私の心は死んでいた。
私にとっての光はもう無い。それを取り返す術も私には無い。だって
……だって、あたしはただのパン屋の娘なんだもの。
勇者の孫は勇者になりたかった 犬吠崎独歩 @inubousaki4545
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