9.マリア、婚約者という肩書の最低男と遭遇する

 

(ふうん、どの授業も面白いわね)



 すり鉢状況の教室の後方窓際の席で、

 マリアは感心しながら前方の教師をながめていた。


 若い女性の教師が、国の地図を指差しながら、各地の気候の特徴について話をしている。


 がんばって予習をしたお陰か、シャーロットの記憶があるせいか、マリアは意外と授業を楽しんでいた。



(さっきの算術の知識も、宿の帳簿付けに使えそうだったし、この地理の授業も、遠方から来たお客様との共通の話題になりそうだし、とても良いわ)



 元に戻った時に記憶がなくならないといいけど、と思いながら、

 シャーロットが元に戻ってきても困らないようにと、

 授業の内容を、ノートに出来るだけ丁寧にメモしていく。


 そして、午前中の授業が終わり、次はどうするのかと記憶を探ると、いつもは食堂で軽食を買って、生徒会室で仕事をしながら食べているようだった。



(生徒会室ねえ……)



 マリアはため息をついた。


 あの場所は、何だか落ち着かない。

 お昼くらいは好きに過ごしても良いのではないだろうか。


 彼女は、食堂で「肉厚ボリュームサンドイッチ」と飲み物を買うと、誰もいない裏庭の奥に向かった。


 建物から見えないように木陰に入り、木漏れ日の下でサンドイッチを食べる。



「ん~! 美味しい!」



 ディック父さんの料理を思い出すわ、と思いながら美味しく食べ終わると、

 彼女はゴロンと横になった。



(誰も見てないし、ちょっとくらいいいわよね)



 鳥の鳴く声と、爽やかな風が緑色の葉を揺する音を聞きながら、そっと目をつぶる。

 思い出すのは、港町タナトスにある「宿ふくろう亭」のこと。



(向こうは大丈夫かしら)



 こっちと違って意地悪な人もいないし、みんな優しく接しているだろうから、人間関係は問題ないと思う。

 コレットもいい子だから、きっと仲良くしてくれる。



(……でも、お貴族様が、あんな小さな宿で暮らせるかしら)



 家や家具は比較にならないほど小さくてボロいし、不便だ。


 恐らく向こうにも自分の記憶があるから、生活には困らないとは思うが、

 果たして、働いたことのないお貴族様が、宿屋で働けるのだろうか。



(いずれにせよ、早く戻る方法を見つけないと)



 マリアは起き上がると、教室に戻った。


 そして、午後の授業が終わり、

 記憶に従って、生徒会室に行くと、カルロスが書類を見ていた。



「ごきげんよう、カルロス様」

「こんにちは、シャーロット嬢」



 朝よりも親しげに挨拶を交わす。


 そして、マリアが席に座ろうとした、――そのとき。




 バタン。




 突然ドアがノックもなく開かれ、3人の男子生徒が入ってきた。


 先頭の青年を見て、シャーロットは思い当たった。



(あれ、もしかしてダニエルって婚約者じゃない?)



 薄茶色の髪の毛に、金色の瞳。

 ひと目で身分の高さが分かる、傲慢そうな美青年だ。


 後ろに立っている男子生徒も、顔はいいが意地悪そうだ。


 ダニエルは、挨拶もせず自分の机に向かうと、7つの封筒と、朝シャーロットが置いた手紙をわざとらしくながめた。


 そして、これまたわざとらしく大きなため息をつくと、見下すような目でマリアを見た。



「これはどういうことか説明してもらおうか、シャーロット・エイベル」

「……見たままですわ、殿下」



 何が分からないのか分からないわ、と思いながらマリアが答えると、

 ダニエルがまたもや、わざとらしくため息をついた。



「私は、君の存在価値のために、仕事を依頼していたのだけれどね」

「……何をおっしゃりたいのでしょうか?」



 マリアが本気で分からずに尋ねると、ダニエルがニヤリと笑った。



「私の望みは、君が存在価値を示し続けることだ」



 マリアは考え込んだ。

 つまり、自分の仕事を押し付けていたのは、シャーロットの価値を高めるためで、それを続けろということだろうか。



(何を言っているのかしら、この人。王様がダメって言っているんだから、ダメでしょ)



 マリアはダニエルをまっすぐ見て言い放った。



「……お断りいたします」

「正気か?」

「……はい、そこの便箋に書いてある通りです。国王陛下の命により、お手伝いはしかねます」

「ふん、価値を示すつもりはないということか」



 威圧するように言うダニエルに、マリアが平然とうなずいた。



「はい。国王陛下の命令に比べれば、私の存在価値などゴミ同然ですわ。ゴミを重視して陛下の命令に背くなど、私にはできかねます」



 部屋の奥で、カルロスが軽く吹き出す音がする。

 ダニエルが怒りの表情を浮かべた。



「随分と偉くなったものだな、私が望んでいるのだぞ?」

「……国王陛下の命令よりも、ダニエル様の望みを優先しろということですか?」

「そこは自分で判断すればよい」



 つまり、自分は責任は取らないから、お前が自らやれ、ってことね、とげんなりするマリア。

 なんか相手にするのが面倒臭くなってきた。


 そして、そうだ、とポンと手を叩いた。



「そうですわ、良いことを思いつきました。王妃様に相談しましょう」

「……は?」

「私には判断できませんので、王妃様に相談させて頂いて、ご指示を仰ぐことにします。幸い王妃様も、この件で何かあればすぐに相談するようにとおっしゃっておられましたし」



「王妃様がダニエル様の仕事をしても良いというのであれば、もちろん喜んでお手伝いさせて頂きますわ」とにっこり笑うマリア。

 ダニエルが、その顔を忌々しそうに睨みつける。


 すると、カルロスが、マリアの横に並んで穏やかに口を開いた。



「殿下、ご自分の婚約者に、国王陛下からの命令を無視させるように圧力をかけるのは、さすがに如何なものかと思われますが」

「……」

「それに、殿下の生徒会会長としての役割は、全てシャーロット嬢が執り行っている状態です。十分価値を示されているのでは?」



 そして、シャーロットの方を向くと、にっこり笑った。



「今日はもう終わりですので、行きましょうか」

「ええ、行きましょう」



 そして、二人は悔しそうな顔をするダニエルに一礼すると、部屋の外に出て、廊下を歩き始めた。


 カルロスが、おかしそうに笑った。



「どうしたのですか?」

「いや、面白いものを見てしまったと思ってね」



 まあ、確かにシャーロットがやりそうにはないものね、と思いながら、マリアが苦笑いする。

 そして少し不安になって尋ねた。



「……カルロス様は、これで何か不都合が起こると思いますか?」

「いや、むしろ不都合が起こらなくなったんじゃないかと思うが」



 そう微笑むと、カルロスが申し出た。



「馬車乗り場まで送ろう」

「あ、いえ、今日は図書館に寄って本を借りようかと思いまして」

「では、付き合おう」




 そして、2人は図書館に到着。

 カルロスに手伝ってもらって本を探している間に、

 先ほど王子と一緒に居た2人が現れるが、カルロスを見て悔しそうに去っていく。


 マリアは、チラリとカルロスを見た。



(もしかして、彼らが来ることが分かっていて、一緒に来てくれたのかしら)





 その後、彼女は本を3冊借り、馬車乗り場まで送ってもらうと、



「今日はありがとうございました」

「気を付けて、また明日」



 という会話を交わして、屋敷へと帰った。




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