7.マリア、学園に行く
「はあ。憂鬱だわ……」
シャーロットの体に入って、5日目の朝。
マリアはゲンナリした顔で、公爵家の紋章の付いた立派な馬車に乗っていた。
行き先は、シャーロットが通っているという、王立エーデル高等学院だ。
窓の外は貴族街で、豪勢な屋敷がたくさん並んでいるのが見える。
それらをながめながら、マリアは思った。
貴族しかいない学校に通うなんて、憂鬱以外、何物でもないわ、と。
馬車の外をながめながら、暗い顔をしているマリアに、
同乗していたララが心配そうに声を掛けた。
「お嬢様、どうされましたか?」
「……久し振りだなと思って」
「そうですね。生徒会のお仕事が溜まっているかもしれないですね」
「生徒会のお仕事」
マリアは、思わず眉間にしわを寄せた。
(何かまたよく分からない単語が出て来たわ)
嫌な予感がしつつ、シャーロットの記憶を探ると、
どうやら学園には自治組織があるらしく、シャーロットはその役員を務めているらしい。
マリアは、深いため息をついた。
授業の内容さえ押さえていれば大丈夫かと思っていたが、
どうやらそうでもないらしい。
(時間はかかりそうだけど、いっそここ1カ月くらいの生活を、全部見た方が良いかもしれない)
そんなことを考えている間に、馬車は立派な門を潜ると、
降車場のような場所に停まった。
「いってらっしゃいませ!」
「……いってきます」
笑顔のララに見送られて馬車を降りると、
そこは見上げるような大きな建物の前だった。
学園というところは、想像していたよりもずっと大きいらしい。
(ええっと、ここからどうするんだろう)
とりあえず記憶を探ると、
いつも朝一番に、南棟にある生徒会室に行くことが分かった。
授業まで時間があるようなので、図書館に行きたいと思っていたのだが、
あまり普段と違う行動をするのも変だろう。
(ここは記憶に従うべきね)
そして、南棟ってどこだろうと記憶を探ろうとした、そのとき。
「おはよう、シャーロット嬢」
後ろから男性の声が聞こえてきた。
振り向くと、そこには馬車から降りたばかりらしい、朗らかな雰囲気の長身の男子学生が立っていた。
無造作な金髪に、楽しげな青色の瞳、整った顔立ち。
系統は違うが、見目だけであれば兄にも匹敵する美男子だ。
結構好みのタイプだわと思いながらも、マリアはとっさに身構えた。
公爵家で、父親と兄を筆頭とした、性格の悪い美男子を見たせいで、
彼女は、美男子に警戒心を抱いていた。
(……これは誰かしら)
シャーロットの記憶を探ると、
この青年は、カルロス・リズガル、18歳。
辺境伯家の三男で、同じ生徒会に所属。
年齢は上だが、年次はシャーロットと同じ3年生らしい。
カルロスは、マリアに近づくと、気遣うように尋ねた。
「体調はもういいのか? 崩したと聞いたが」
「……ありがとうございます。この通り元気になりましたわ」
慎重に答えながら、マリアはカルロスを、まじまじと見た。
真面目そうだし、悪い人ではなさそうな気がする。
シャーロットの記憶にも悪い印象はない。
(……でもまあ、あの兄も一見優しそうだから、油断はできないけどね)
カルロスも生徒会室に行くとのことで、
2人は並んで、人気がない廊下を歩き始めた。
カルロスは、女性に気を遣えるタイプらしく、マリアに歩調を合わせてゆっくりと歩いてくれる。
その横で、彼女はキョロキョロと周囲を見回した。
(何て言うか、本当に立派な建物だわ)
公爵邸のような華美さはないが、白い壁にはシミ1つないし、下に敷いてある赤い絨毯もフカフカだ。
数メートルおきに花や絵が飾られており、目を楽しませてくれる。
(お金がかかっていそうだわ。お貴族様の財力って凄いのね)
そして、しばらくして。
彼女は、ふと隣を歩いているカルロスが、
ジッと自分を見ていることに気が付いた。
何だろうと顔を向けると、さっと目を逸らされる。
そういったことが、もう1度あり、
マリアは、彼に尋ねた。
「……私の顔に何か付いていますか?」
カルロスが申し訳なさそうな顔になった。
「すまない、不躾だった」
「何をそんなに見ていたのですか?」
「いや、大したことじゃない」
そう言われたら気になるじゃない! と思って、マリアが問い詰めると、
カルロスが観念したように口を開いた。
「……まあ、つまらない話なんだが、今朝、シャーロット嬢そっくりの女性を見た気がして、つい気になってしまったんだ」
「今朝?」
マリアは首を傾げた。
「……どこでですの?」
「隣の敷地だ」
カルロス曰く、早朝に庭の森で剣の練習をしていたところ、隣の敷地から
ベーコンを焼くような香りが漂ってきたらしい。
「隣の館は長らく人が住んでいなかったから、もしかして誰か侵入したのではないかと気になって見に行ってみたら、女性が1人でベーコンエッグを食べていた」
マリアは遠い目をした。
(隣の家は盲点だったわ……)
家の人に気付かれないように、敷地の端でやったのが失敗だった。
よく考えてみれば、風向きもバッチリ隣の敷地向きだった。
(シャーロットらしく大人しく過ごそうと思っていたのに、いきなりバレてる!)
内心焦るものの、マリアは自分を落ち着かせた。
相手は年上に見えるが、実際は4歳下の18歳。
大丈夫だ。丸め込める。
彼女はにっこり笑った。
「……1つお聞きしてもよろしい?」
「もちろんだ」
「その女性を見たのは、カルロス様1人ですか?」
「ああ、私1人だ」
とても好都合ね、とうなずくマリア。
そして、彼女はカルロスの顔を見上げると、にっこりと笑った。
「カルロス様、それは
「……幻」
「はい、よくあるアレですわ。泥酔した翌日に朝ご飯を食べているつもりでいたら、枕をかじっていた、的な」
「……それは、よくあることではない気がするが」
「……」
不思議な沈黙が、2人の間を流れる。
ここは押し切るしかないと、マリアが再びにっこり笑った。
「まあ、とにかく。それは誰が何と言おうと、幻です」
「……そうなのか」
「ええ、そうです。間違いありません」
カルロスが、マリアから顔を背けると、肩を震わせて笑い始める。
そして、彼は楽しそうな顔でうなずいた。
「なるほど、そういうことなら忘れた方が良さそうだな」
「ええ、そうですわね」
勝った! と満足げに笑うマリア。
と、そのとき。
「カルロス様、よろしいでしょうか」
後ろから男子生徒が声を掛けてきた。
どうやら用事があるらしい。
「申し訳ない。先に行ってもらえるか」
「はい、ではまた」
今度から庭で何かやる時は気を付けないと、と思いながら、マリアは階段を上がった。
『生徒会室』というプレートのかかった部屋の前に到着する。
ノックをして「失礼します」と開けると、
そこは、机と本棚が並んだ立派な部屋だった。
中には、1人の女子生徒がおり、部屋の隅の机で何か調べていた。
紺色の髪と瞳の、銀縁眼鏡をかけた頭の良さそうな女子生徒で、
整った顔立ちから受ける印象は、非常にクールだ。
彼女は、シャーロットを見ると、立ち上がった。
「おはようございます。体調はもうよろしいのですか?」
「おはようございます、ご心配お掛けしました」
そう挨拶しながら、女子生徒が、バーバラ・パーカー侯爵令嬢であることを認識するマリア。
シャーロットの記憶によると、
バーバラは同じ3年生で、仕事がとてもできる女性らしい。
バーバラが、眼鏡をクイッと上げた。
「お休みされている間の仕事ですが、わたくしとカルロス様で、出来る範囲はやっておりますので、決裁だけお願い致します」
「……分かりました、ありがとうございます」
そう言いながら、記憶に従って自分の席に行くと、
大きくて立派なマホガニーの机の上には、資料が綺麗に並べられていた。
(これね、丁寧にメモまで付けてある。ありがたいわ)
そして、机の上部に目を移し、はて、と首をかしげた。
手のひらほどの分厚い封筒らしきものが、複数机の端に無造作に積んである。
数を数えると、7つ。
(これは何かしら)
椅子に座って封筒の中身を見て、マリアは更に首をかしげた。
(小麦収穫量報告書? こっちは橋の建設申請書、会議出席者の承認……?)
どう見ても学園の仕事とは思えないそれに、資料を見るフリをしながら、記憶を探るマリア。
そして、それらが、婚約者であるダニエル王子から押し付けられている王宮の仕事で、
7つの封筒の意味が「彼女が体調を崩して休んでいた日の数」だと分かり、
彼女は盛大にため息をついた。
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