2.マリア、公爵令嬢と入れ替わる


(……はあ、どうしよう)



 金箔が散りばめられた壁紙が一面に張り巡らされた、大きくて立派な部屋の中で。

 白いネグリジェを着た、淡い水色髪の優美な娘が、

 眉間にしわを寄せながら、クマのようにウロウロと歩き回っていた。


 この娘の名前は、シャーロット・エイベル。

 名門エイベル公爵家の長女であり、リベリア王国エーデル貴族高等学園3年生の16歳だ。


 そして、大変残念なことに、

 その中身は、辺境の港町タナトスにある「宿ふくろう亭」の看板娘マリアであった。


 夢かと思いきや、彼女は本当に黄泉の川で会った娘――シャーロットと体が入れ替わってしまっていた。


 原因は、間違いなく黄泉の川でもみ合ったことだろう。


 マリアはため息をついた。

 生き返ったのはいい、死ぬより100倍マシだ。

 でも、別の体に入ってしまっては意味がない。



(何とかして早く元に戻らないと……)



 宿屋は、これからどんどん忙しくなる。

 義母サラは少し前に腰を痛めているし、義父ディックも1人で仕込みをするのは大変だ。

 来週、コレットを海岸に遊びに連れていく約束をしている。


 この体の持ち主だって、きっと困っているに違いないし、

 娘の中身が、平民の小娘と入れ替わっているなんて知られたら、この家の人たちは、絶対に怒るに違いない。


 何としてでも早く戻らなければ。



(……でも、どうしたらいいんだろう)



 懸命に考えているものの、戻る手段が全く思いつかない。


 ちなみに、いつも部屋に来てくれる、ララというオレンジの髪をした明るいメイドさんによると、

シャーロットは、お茶の時間に急に倒れて、丸1日意識を失っていたらしい。



(多分、わたしと同じタイミングで倒れたのね)



 だから黄泉の川で会ったのだろうと思うものの、

 元に戻る手段を思いつくまでには至らず。


 そういえば黄泉の川で、彼女が必死に何か叫んでいた気もする、と思い出そうとするが、

 止めるのに夢中でちゃんと聞いていなかったせいか、全く思い出せず。


 結果、何の進展もないまま、部屋をクマのようにウロウロする羽目になっている、という次第だ。


 そして、「はあ、どうしよう」と何十度目かのため息をついた、そのとき。




 コンコンコン。




 ドアをノックする音が聞こえてきた。



「……どうぞ」



 素早くベッドにもぐりこみながら返事をすると、

 ドアが開いてワゴンを押したララが入ってきた。


 ちなみに、最初に目を覚ました時に見たのもこのララで、時々来ては世話をしてくれる。


 彼女はベッドに横たわるマリアを見ると、嬉しそうに微笑んだ。



「随分顔色が良くなられましたね。お加減はいかがですか」

「……大分良いようよ」

「それは良かったです。お食事をお持ち致しました」

「……ありがとう、ララ」



 ララは、手早く食事の支度をして、マリアが体を起こすのを助けると、

「また来ます」と、忙しそうに部屋を出ていく。


 そして、ドアがバタンと閉まるのを見届けた後、

 マリアは「はあ」と肩から力を抜くと、両手で顔を覆った。



(辛い……、辛すぎるわ)



 まだ2日目だというのに、マリアは憔悴していた。

 何と言うか、貴族令嬢生活が辛すぎるのだ。


 ちなみに、魂的なものだけが入れ替わっただけの状態らしく、シャーロットの記憶はあるようで、例えば、

「このメイドは誰か」と思い出そうとすれば、

「名前はララ、年齢は21歳、10歳の頃から仕えてくれている」といった答えが自分の内側から返ってくる感じだ。


 他にも、体が色々と覚えているようで、 

 テーブルマナーなどの所作も、ララから見ても違和感がない程度には真似ができている。


 言葉遣いについても、うっかり地が出そうになるものの、

 ゆっくりと思い出すようにしゃべれば、令嬢っぽい感じにしゃべることができている。


 とまあ、とりあえず今のところ、中身が入れ替わったことはバレてはいないようだが、

 この令嬢生活が非常に辛いのだ。



(そもそも、こんなに人に世話をしてもらうなんて、子どもの時以来だもの)



 上げ膳据え膳で、自分がやることは食べることくらい。


 体調が悪いことを遠慮してか、ララとお医者様以外は部屋に来ないし、

 やっていることといえば、寝るか、「どうやったら戻れるか」と考えるくらい。


 毎日宿屋で忙しく働いていたマリアには、耐えられない暇さだ。



(それに……、何かこの部屋、地味に汚れていて居心地悪いのよね)



 壁紙が金箔入りだったり、調度品の作りが凝っていたりと、

 一見豪華な部屋なのだが、棚や置物の上にはうっすら埃が溜まっているし、

 部屋の隅にはゴミが散らかっている。

 備え付けられているバスルームも微妙に汚い。


 正直に言うと、自分が掃除している宿屋の部屋の方が断然きれいだ。


 恐らく寝ているから、遠慮して掃除に入っていないのだろうが、

 こう汚れていては、気持ちよく眠れない。



(それに、この食事も何だかなあって感じよね)



 彼女は目の前のトレイに、暗いまなざしを送った。


 倒れたとはいえ、回復してもう2日。

 そろそろ普通の物を食べても良いと思うのだが、

 トレイに乗せられているのは、何ともお腹に良さそうな薄いスープと、パンと水だけ。

 宿屋の朝食の方が豪華なくらいだ。



(多分、まだ胃が弱っていると思って、気を遣ってくれているのだろうけど、そろそろガッツリ肉でも食べたい)



 もぐもぐと口を動かしながら、再びこれからどうするのか考える。

 そして、ふと思った。



(シャーロットの記憶を覗いてみたらどうだろう?)



 片田舎にある宿屋の娘であるマリアに対し、シャーロットは貴族の令嬢だ。

 もしかして、元に戻るための知識を持っているのではないだろうか。


 ――と、そんなことを考えるものの、マリアは頭を横に振った。



(……さすがに人様の記憶を勝手に見るのは、良くないわよね)



 人には知られたくないことがあるはずだ。

 それを覗き見るようなことは、自分もされたくないし、きっと彼女もされたくない。



(とりあえず、今は体力を回復して、中身が入れ替わっていることがバレないように穏便に過ごすことね)



 記憶を覗くのは、人の名前など必要最低限にして、

 バレないように静かに過ごしながら、戻る方法を探そう。

 お貴族様なら、きっと家に本とかそういうものがあるに違いない。


 そんなことを考えていた、そのとき。



 ヒヒーン



 窓の外から、馬の嘶く声が聞こえてきた。



(何?)



 トレイを片付けて窓から外をのぞくと、

 下に、2頭立ての立派な馬車が停まっていた。



(すごい! あんな立派な馬車、初めて見た!)



 よく見えるようにと、曇った窓をよいしょと開いてながめていると、

 馬車から見たこともないような美しい青年が降りてきた。

 淡い水色の髪と瞳で、上等そうな服をお洒落に着こなしている。


 あれは誰だろうと記憶を探ると、5つ上の兄、クリストファーとのことだった。



(ほえー、さすがはお貴族様って感じ)



 ぼうっと見とれていると、クリストファーがくるりと振り向いた。

 マリアの姿を見上げて、ポカンとした表情をする。


 マリアは焦った。今の自分はシャーロットだ。

 実の兄をうっとり見ているとか、おかし過ぎる。


 ワタワタしていると、続いて茶色い髪の男性が馬車を降りてきた。

 そして、ポカンとするクリストファーの視線を追って、その冷たいアイスブルーの目をマリアに向けた。


 この渋く顔立ちが整った中年男性が、シャーロットの父だと分かり、

 マリアは、とりあえず挨拶をしなければ、と声を張り上げた。



「……お、お帰りなさい、お父様、お兄様」



 兄と父親の目が見開かれ、不思議な沈黙が流れる。



(あれ? 普通にお帰りなさいって言っただけなんだけど?)



 首をかしげるマリアに、クリストファーが尋ねてきた。



「ええっと、ただいま。体の方は大丈夫なのかい?」

「……この通り、大丈夫です」



 ああ、なるほど、体調がまだ悪いと思っていたのね、と思いながら返事をすると、クリストファーが面白そうに目を細めた。



「なるほど、じゃあ、今日は一緒に夕食が食べられるね」

「……はい、もちろんです」



 彼女の返事に、クリストファーが、にっこりと笑った。



「じゃあ、夕食の時に」

「……はい。お父様も」



 父親は無言でうなずくと、楽しそうなクリストファーと一緒に館に入っていく。


 それを見送りながら、マリアは、感心したようにつぶやいた。



「はー、お貴族様ってカッコいいのね」



 お肌も女性のようにツルツルピカピカだし、顔立ちもものすごく整っている。

 あんな人たちが街に現れたら、街中の女性の目がハートになること間違いなしだ。


 そして、何だか疲れたわと思いながら、大きく伸びをすると、



(今日の夕食、バレないように気を付けなきゃだけど、やっとまともなご飯が食べれそうね)



 と少しだけわくわくしながら、そっと窓を閉めた。




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