第35話

 マオルは引き渡された三人とブラックローズ一派の処遇をクリムトに丸投げしてしまった。自分が一人で闘う分には何も考えなくていいが、人が増えると厄介事も増える。

 そもそも解放軍は雑多な人間の寄せ集めである。素人同然の村人たち、南部の港から入り込んできた密航者、援助してくれる外国勢力が雇った傭兵などなど。いまさらマフィアが三百人増えたところで扱いは変わらないのである。ならば扱いに慣れているクリムトに任せたほうが良い。

 引き渡された三人にしても司法に任せるなら、軍政を敷くトップのクリムトに引き渡してしまえば話が早い。どうせ人を殺してしまったのだから、余罪がないとしても銃殺になるだろう。最前線であることを考えると、懲役囚などという重荷は少ないほうが良い。

 そんなわけでマオルはエディスの相手をすることと、賭けプロレスのことだけを考えていればよかった。ダニエルから教えてもらった技の数々、それを自分のものにするには実戦を重ねていくしかない。

 幸いにも挑戦者はいくらでもいる。今日もまた、他所から来た新しい挑戦者がマオルを待っているはずだ。

 マオルはエディスを連れてリングの近くに待機する。エディスはダニエルが死んでから不安定で、マオルのそばを離れようとしない。他に親戚も知り合いすらも居ないこの土地でエディスを一人にするわけにも行かず、マオルは懐かれるままにエディスの相手をしていた。

 そんなマオルの近くを通る影があった。全身をローブで覆い顔も見えないが、嗅いだ覚えのある匂いがする。

(この匂いは……マージェリーが付けていた香水か。まあ香水なんていくらでも売られてるしな……)

 マオルは気にはなったが、まさか敵であるマージェリーがザスートに来ているとは思わずに最初から人違いだと思ってしまった。後にそれが間違いだとわかるのだが、先入観とは恐ろしいものである。香水に気を取られて、もう一つの匂いに気が付かなかった。獣頭人身のニオイだ。その正体はすぐに分かることになる。

「青コーナー。挑戦者、熊頭のロック!」

 マオルはその姿を見たときに、正確にはその体臭を感じたときにあの夜のことをまざまざと思い出した。シーラを人質に取られ、アキラに嬲られたあの日。平和な生活はあの日に奪われてしまった。いまさらどの面を下げてマオルの前に現れたのか。

 目的はマオルの抹殺か? もしそうだとしたら、マオルの名前を売る作戦は功を奏したことになる。少なくともマニ村が襲われることはなくなるだろう。

(びっくりした……俺は何を焦っているんだ、計画通りじゃないか。これは喜ばしいことだ)

 マオルは内心で焦る心を落ち着けて、護衛の兵士を何人か呼ぶ。エディスを守るために常にブラックローズ一派から何人かが護衛についてくる。熊頭のロックに襲われればおしまいだが、そっちはマオルが抑えればいい。気をつけなくてはならないのはエディスを人質に取ろうとするマージェリーたちの方だ。

「赤コーナー……どうしたマオル・クォ、まだ姿を表さない!」

 実況の声にハッと我に返る。マオルはエディスを護衛たちに預けるとリングへと続く階段へと向かう。

「まおる、がんばれー!」

 エディスの声援を背に受けながら、颯爽とロープを飛び越えてリングへと降り立つ。相変わらず虎頭の化粧を施しているが、ロックにはニオイで正体がわかるはずだ。そして、マオルの前に立つ挑戦者は紛れもなくあの熊頭のロックだった。ロックのセコンドにはローブを纏った女の姿がある。順当に考えてマージェリーだろう。

 リング上のロックが目深に被った帽子とコートを脱ぎ捨てると、観衆からどよめきが沸き起こる。マージェリーとロックのコンビは共和国支配下にあったときに何度も民衆に見られている。熊頭の人間などロック以外にそうそう見るはずもなく、民衆たちの脳裏には支配の象徴として染み付いている。

「まさか……共和国軍が戻ってきたのか?」

「また戦闘が始まるのかよ……」

 民衆の不安も当然だ。マージェリーと解放軍が闘ったときはマージェリーの気遣いから民衆に被害はなかった。それどころか両軍にも被害は少なかった。しかし、マージェリー以外の人間が共和国軍を率いてきたら?

 悪名高い共和国軍のことだから、解放軍と民衆区別つけることなく殺戮を行うだろう。

「皆、安心シロ! 共和国ノ野望ハ、コノまおる・くぉガ打チ砕ク!」

 マオルがリップサービスとばかりに声を張り上げた。少なくともロックはレスラーとしてマオルに挑戦してきている。ならば今すぐ軍隊同士の戦闘にはならないだろう。それに、軍隊が近付いていたらまっさきに解放軍が動くはず。解放軍側からなんの連絡もないということは共和国軍は近付いていないということだ。

「虎頭のマオル・クォ、雄叫びを上げるぅーっ! ダニエルに続く英雄の誕生かーっ!?」

 凍りついた場を盛り上げるように実況が叫ぶ。もし観衆がパニックを起こせば試合どころではないのだが、当然ながら実況もクリムトが雇った人間である。そのへんは心得ていて、ちゃんと観衆の心理をついた実況をしてくれる。

 八百長で何度も負けているとは言え、マオルの実力は観衆たちが間近で見てきている。中にはアランのように、マオルとロックの闘いを建物に隠れて見ていたものもいるだろう。

「まおる・くぉ……オデ、今日ハ正々堂々、勝チニ来タ! 負ケナイ!」

「対する熊頭のロックも負けずに言い返す! これはザスート攻防戦の再現だーっ! 今日勝つのはマオル・クォか、それとも熊頭のロックか! 世紀の一戦、盛り上がり間違いなしだっ!」

「俺はマオルを応援するぞー!」

「俺はロックに全財産を賭ける!」

 実況がますます観衆を煽り立てる。それに応えるように声を上げ始めたのはクリムトの仕込んだサクラだった。しかしそのおかげで、最初は不安そうにしていた観衆たちも実況の煽りとあわせて興奮したのか歓声を上げ始めた。集団心理など、うまくやれば簡単に操れるものだと思い知らされる。

(正々堂々、か。今日は久しぶりに手加減なしでも良さそうだな)

 マオルがそう思いながらファイティングポーズを取った瞬間、闘いのゴングが鳴り響いた。

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