第32話

 その日、マオルは試合で覚えた技をいろいろと試そうと思っていた。相手は普通の人間、おそらく食い詰めた鉱山労働者だろう。格闘に関してはただの素人である。もちろん今日も虎柄の化粧は忘れない。


(何回技に耐えてくれるかな……)


 勝つか負けるかではなく、相手が自分の技にどこまで耐えてくれるのかが心配になる。試合に出場さえすれば最低限のファイトマネーはもらえるので、たまにこういう食い詰めた男がやってくることがある。


 大人しく鉱山で働いていればそれなりの稼ぎにはなるのに、賭けプロレスに注ぎ込んだ挙げ句に無一文になり、自分がレスラーとして参加せざるを得なくなるのだ。

 せっかく参加したのだから、マオルは技の実験台になってもらうことにする。もちろん調息や気を巡らせることも忘れない。


「赤コーナー、噂の英雄神マオル・クォ!」


 マオルがリングに上がると、実況がマオルを紹介するように大声を張り上げる。クリムトによると試合はラジオで中継されているらしい。ならばなおさら張り切って目立たなくてはいけない。


 いつも通りに闘いのゴングが鳴る。先手必勝と思ったのか、対戦相手がダッシュで一気に間合いを詰めるとパンチを繰り出してくる。しかしその拳は大振りで動きも大雑把、マオルは難なく受け流す。


 それと同時に相手の首に腕を回し、股間から手を突っ込んで持ち上げると反転するように投げた。まず相手の突進力を利用するパワースラムを食らわせる。

 対戦相手は受け身も満足に取れないようで、背中をしたたかに打ち付けると痛がってゴロゴロ転がる。こりゃたいして練習できないなと思いつつも、相手が立ち上がるのを待つ。


 相手も金がなくて追い詰められているのか、しっかりと立ち上がってファイティングポーズを取る。


(根性だけはあるみたいだな)


 マオルも態勢を整えると、相手の攻撃を待つ。こちらから仕掛けてもいいが、相手は素人、どんな動きをするかわからない。相手の動きを見極めてから技をかけたほうが双方にとって安全である。


 相手は最初のパンチを軽く受け流された動揺からか、ますます攻撃が大雑把で単調になる。右手左手また右手とパンチを繰り出してくるが、ことごとくマオルに避けられる。


 マオルは相手のパンチをかがんで避けると、相手の両足を取って手前に引いて倒す。双手刈、見た目は単純な技だが、受け身を取れない相手だと後頭部をぶつけて危険な技だ。マオルはそのままコーナーポストに向かうとトップロープへと登る。


「おっと、挑戦者手も足も出ない! マオル・クォ、トップロープに上がって何をするのかっ!」


 実況が盛り上げる中、マオルはコーナーポストからバック転してムーンサルトプレスを食らわせた。横たわった相手と飛び降りたマオルの身体がぶつかり合う音が響き渡る。それだけで相手はもうフラフラである。


 しょせんは格闘などかじっていない素人だ。ここらが潮時と考えて、マオルはケリをつけにかかる。相手を無理矢理引きずり起こし、リング中央に立たせると頭突きを食らわせてさらにダメージを与えておく。


「挑戦者はもうフラフラだーっ!」


 実況の声を背に、マオルは挑戦者の前に立つと相手に向かってジャンプする。そのまま挑戦者の頭辺りまで身体を浮かせると、足で相手の首を絡め取ってぐるりとバック宙する。着地したときには相手の頭はマオルの両足に挟まれたままリングへと叩きつけられた。


「フランケンシュタイナーだあっ! マオル・クォ、フランケンシュタイナーを決めたっ!」

(この実況やけに詳しいなぁ……)


 脳天をリングに叩きつけられた挑戦者は確認するまでもなく気絶していた。もう少し強い相手ならもっと技を試したかったところだが、気絶されてしまっては仕方がない。それに受け身も取れない素人では事故が起こる可能性もある。試合の決着を知らせるように、マオルは両腕を天に突き上げると咆哮を上げた。


「「マオル! マオル!」」


 観客の歓声がマオルを包み込む。短い試合だったが、マオルは観客の心をつかむことに成功していた。それもこれもダニエルが教えてくれた技のおかげである。もしマオルが拳や蹴りの打撃オンリーで戦っていたなら、ここまでの盛り上がりはなかっただろう。やはりショーに特化した技の数々は偉大だ。


 マオルは担架で運ばれる挑戦者を横目に、観客の声援に応えながらリングから降りていく。

 そこに走って向かってくる小さな影があった。エディスだ。


「まおるー! とーちゃんが、とーちゃんがああっ!」


 エディスは泣きながらマオルに縋り付いてくる。いつもエディスをそばから離さないダニエルの姿はない。彼に何かあったのは確実だ。


「案内シロ!」


 マオルはエディスに手を引かれるまま駆け出した。


 ━◆◇━◆◇━◆◇━


 現場には血溜まりがあった。血溜まりの中に倒れたダニエルの姿がある。マオルは駆け寄るとズボンが汚れるのも構わずに膝をついてダニエルの手をとる。


「ようマオル……試合には勝ったか? ……げぼっ」

「とーちゃん! 血がいっぱい出てるよぉ……ぐすっ」


 ダニエルが血を吐きながら軽口を叩く。どうやら銃で撃たれたらしく、右胸から大量に出血している。エディスもマオルの隣に膝をついてダニエルに泣き縋る。


「やつら、また金を取りに来やがった……」

「喋ルナ、医者ヲ呼ブ」

「無駄だよ……わかってるはずだ、俺は末期癌なんだ……どうせ近い内に死ぬんだよ……」


 ダニエルが血を吐きながら語る。末期癌を宣告されてから一年、残されたエディスが不自由しないように借金を返し、金を貯めてきた。あとはエディスの面倒を見てくれる人を探すだけだった。

 そんなときにマオルが現れた。獣頭人身ではあるが人の良さそうなマオルは、思った通りエディスと仲良くなってくれた。しかも解放軍とつながりがある。これほどの人材はなかなかいない。


「へへ……技を教えるのは下心があったのさ……エディスのこと、頼めるか……?」


 ダニエルは卑怯だと思った。こんな状況で頼み事を断れる人間がそうそういるだろうか? たった三ヶ月とは言え、いろんな技を教えてくれた恩人である。


「任セロ」


 マオルがそう答えると、ダニエルは安心したように微笑む。


「エディス、マオルを頼れ……ずっと一緒にいてやれなくてすまん……」


 そう言ってダニエルはエディスの手をぎゅっと固く握りしめる。あたりはシンと静まり返り、エディスの泣き声だけが響き渡った。

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