第31話
ダニエルという師匠を得て、マオルは本格的に投げ技寝技を学ぶことになった。とは言っても、この街に興行用以外のリングはない。必然的に練習は硬い地面の上でやることになる。マオルなら硬い地面に投げつけられても怪我はしないがダニエルはそう言うわけには行かない。
それにスラム街には練習に適した広さの場所がない。仕方なく街の外まで出て、少し開けた場所を見つけてそこで練習することになる。ダニエルの娘、エディス・クラークは常に一緒だ。家に置いておける年齢ではないし、スラムに巣食うギャングのような連中の手にでも落ちたら大変である。
マオルはまず、自分がわざと投げられることにした。いくら地面が硬くてもマオルなら大した怪我はしない。技をかけられることでどこにダメージが入るのか、どういうタイミングで技をかければ良いのかなど理解が深くなる。
「どこの流派か知らないが、身体のさばき方はできてるようだな……じゃあ次は受け身を覚えてもらおう」
ダニエルが言って受け身の取り方を解説する。受け身は頭部を保護するのが基本だ。後ろ横前と、方向によってやや差異はあるが基本的に腕や足を先に地面につくことで頭を守る。
少し特殊な受け身として前回り受身もある。前方に手をついて転がることで身体を守る受け身だ。どんな格闘技でも大事な基本である。
「マオルは俺の裏投げを受けた時、頭から落ちただろう。あれじゃ危険だ、しっかりと受け身を覚えてもらう」
マオルは受け身など取らなくても頑丈な身体で平気なのだが、もし相手が獣頭人身だったら、と考えるとダメージを軽減する方法は覚えておいて損はない。一通り説明をすると、ダニエルはマオルを突き倒す。
胸を押されたマオルは自然と後ろに倒れ、そこで受け身を取る。横や前に対しても同じく受け身を取る。これを身体に染み込むまで繰り返した。
もちろんマオルが頑丈だと言っても痛みは感じる。失敗すれば硬い地面に頭を打ち付ける羽目になる。しっかり覚え込むまで約一ヶ月。その間、レスラーとして試合に出場してはわざと投げられて受け身の練習をする。二、三日に一回は試合に出場するのだからけっこうな練習量になる。
ついでに八百長以外の試合に勝ってマオルの名を売っておく。共和国軍の目をマニ村からザスートに向けなくてはならないし、名を売ることでファイトマネーも増える。マオルにとって試合は一石三鳥の手段なのである。
その間、ついでと言っては何だが、エディスとも仲良くしておく。今年で六歳になるエディスはとても素直で、父であるダニエル大好きな良い子である。練習の際は常に一緒なので仲良くなるのに時間はかからなかった。
マオルも人間関係で変なストレスは受けたくない。六歳児とは言え仲良くしておいて損はない。
「とーちゃんがんばれー、ついでにまおるもがんばれー!」
と、ついででも応援してもらえる程度には仲良くなった。マオルも余分なお金は少しでもマニ村に送りたいが、ほんの少し余裕があるときはエディスにお菓子を買ってあげたりと努力は欠かさない。師匠の娘である、仲良くしておけば奥義みたいなものも教えてもらえるかも知れないと言う下心もある。
そんなこんなで一ヶ月すぎる頃には次の、本格的な投げを教えてもらえることになった。
「投げはいろいろあるが、基本は相手の重心を崩して倒す。ジュードーの技はちょっと工夫しないとあそこじゃ使えない。派手なプロレス技も覚えなきゃな」
そう言ってダニエルはまず投げを教える。柔道は道着を着て戦うスポーツである。リングの上で上半身裸で戦う場合は襟や袖を取れないので少々工夫が必要になる。しかし、長年試行錯誤されてきただけあって柔道技は実践的で役に立つ。襟や袖を取れないならいっそ腕や肩を掴んでしまえば良いのだ。プロレス技の方は使える場面が限られていて、臨機応変に使うにはいまいちだが単純に派手で観客の受けが良い。
柔道技はどの技も基本的に相手の腕を取って引き込んで足を払ったり、逆に押し込んで突き倒したりと言った方法が基本になる。膝車や大内、大外刈りなどがそれに当たる。マオルは何度かそれぞれの投げを受けて覚える。
マオルの戦闘に関する学習能力は高い。基本の投げは簡単に覚えてしまった。
(俺って闘いに向いてるっぽいな……生まれつきか後付されたものかわからないのが不気味だ)
今さらながら、マオルはそう思う。今まで何度も命のやり取りをやってきたがそのたびに切り抜けられたのはその戦闘能力あってこそのものだと実感する。半端に神極拳ぐらいしか学ばずに戦ってこれたのは天性の才と言ってもいいだろう。
しかもかけられた技もあっさり覚えてしまうのだから、その才能は天才的、異常な成長スピードと言ってもいい。シーラの件で悩まされなくなった分、今度は自分自身のことで悩むようになってしまった。
柔道技の基本を学んだら次はプロレス技だ。ボディスラムも力任せのものではないちゃんとした型を学ぶ。バックドロップや各種スープレックスなどなど覚えるものは多い。
ついでにいくつか必殺技になりそうな候補を教えてもらう。投げだけではなく空中殺法も交えて、とても派手で目立つやつだ。どの技も隙が大きいが、実戦はともかく試合では役に立つ。
そんな訓練の最中、何度かダニエルが席を外すことがあった。たいてい、具合悪そうにしているときである。やはり病人臭は間違いではなかったらしく、ダニエルの身体を病が侵しているのは間違いないようだ。しかしダニエルはそれをひた隠しにしているので、マオルから声をかけることは憚られた。
そんなときは手が空くのでエディスの相手をするのが通例となっている。マオルは手加減の練習も兼ねて木彫りの人形を作ってエディスにプレゼントしたり、一緒に歌うことで発声練習代わりにしたりと子供相手でも退屈することはなかった。
「待たせたな……続きをやろう」
ダニエルがそう言って現れるときは例外なく血の匂いを漂わせていた。吐血でもしているのだろう、顔色も悪い。そんなときはいつもマオルが何かと理由をつけて練習を打ち切る。とうとうマオルは我慢できなくなって病気の話を切り出した。
「だにえる、前カラ思ッテイタガ……病院ニ行ッタホウガイイ」
「気づかれてたか……いいんだ、行っても無駄だよ」
「シカシ……」
「いいんだ! この話は終わりだ」
マオルの提案をダニエルは強く拒絶した。治るものなら解放軍の援助を受けてでも病院に連れて行くべきだと思って聞いた。日に日に強くなる病人臭。すでに吐血までしていることを考えれば、手遅れなのは間違いない。
だとしたら、今はダニエルの思う通り一日でも長くエディスのそばに居させるのも良いのかも知れない。
「じゃあ続きはまた明日、次は寝技の練習も加えようか」
マオルが柔道技の基本を覚え、プロレスの投げ技もいくつか覚えた頃、ダニエルは次の段階に進もうと提案してくる。寝技の中でも特に絞め技は相手を確実に戦闘不能に追い込める。相手の戦意を失わせるか、戦闘不能にすることで決着が付く試合では重要な技である。
寝技の方は地面に打ち付けたりするわけではないので、実際に受けるだけでなくダニエルの身体に掛けての練習が可能だ。柔道の寝技にプロレス技も加えてダニエルの知る限りの寝技を教えてもらう。これもマオルは乾いた地面が水を吸うように、どんどん吸収して覚えていく。
そんな修行を繰り返しているうちに、マオルがダニエルの弟子になってから三ヶ月が過ぎようとしていた。その間にもダニエルの容態は刻一刻と悪くなっていった。
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