第30話

 マオルは朝食代わりに屋台で肉の串焼きを買ってかぶりつきながら、試合を観戦していた。少しでも投げ技や寝技を覚える必要があるからだ。特に投げ技は試合を盛り上げるために必要だ。


 拳や蹴り、寝技に比べてプロレスの投げ技は花形とも言える。神極拳の修行も半端な状態で、少しでも技術を学ぶならば試合を見て覚えるしかない。

 マオルは覆面をつけずに素顔のままである。ザスートは人が多くてマオル一人くらい埋もれるし、覆面レスラーということにすれば獣頭人身の一人や二人いても見咎められたりはしない。そもそも目立つことが目的だからそう言う意味でも覆面は不要である。


 試合を見ていれば、どうやって盛り上げるか、どういう流れで試合を進めればいいか勉強になる。レスラーたちは自分への掛け金に応じてファイトマネーが支払われるので人気取りに必死なのである。

 それに自分で自分に賭けることもできるからファイトマネーを増やすために試合を盛り上げ、そして勝つのが大事なのだ。


(また技を教えてくれる人探すか……?)


 マオルは肉を咀嚼しながら考える。技を覚えたいのなら誰かに教わるのが一番だ。しかし今はそのあてがない。いっそクリムトに頼んで専属レスラーに教えてもらえるように取り図ってもらうか。

 そう考えもするが、専属のレスラーに誰がいるのかも知らない。人に教えられるだけの人がいるのかどうかわからないのだ。


 しかしだからと言って投げ技寝技を学ばないという選択肢はない。試合を盛り上げて人気を獲得し、できるだけ多くのファイトマネーを得る必要がある。多ければ多いほどマニ村に仕送りできる額も増える。金があればあるだけシーラたちの暮らしが楽になる。


 どうしたものかと考えるうちに試合は進み、いつの間にかリング上にはダニエル・クラークが立っていた。相手は名も知らぬ貧相なレスラーである。マオルはダニエルという男がどうにも気になって仕方がなかった。

 漂ってくる病人臭、その原因を本人が気付いているのかどうか気になる。幼い娘もいるようだし、金は十分稼いでいるだろうから治療できるなら病気であることを伝えたいとも思う。たった一試合一緒に戦っただけの相手を気遣うとは、どこまで行ってもマオルはお人好しである。


 ダニエルの投げ技は見事というほかなかった。相対したレスラーの首を股に挟んで腰から持ち上げた反動で背中から落とす、パワーボムが決まる。分厚いベニヤ板と鉄骨で作られたリングの床は硬い。そんなところに叩きつけられたらダメージが半端ない。続けてダニエルはフラフラになった相手の後ろに回り込むと腰を両足で捉えて首に腕を回して絞める。裸絞めだ。


 それであっさりと相手は落ちてしまう。意識を失った相手を解放するとダニエルは腕を突き上げて観客の声援に応える。

 ダニエルの試合は何試合か見物したが投げ技も寝技も使えるし、動きはスムーズだしでその技術を盗めたらと思うくらいだ。マオルが今確実に使える技は力任せのボディスラムくらいで、あとはダニエル戦で食らった一本背負いと裏投げを試せるかどうかと言ったところだ。寝技に至っては一つも使えない、はっきり言って手札が少なすぎる。これから先、試合を盛り上げるためには打撃だけでは物足りない。


(ダメ元で頼んでみるか!)


 マオルはそう考えると、リングを降りていくダニエルの跡をつけることにした。


 ━◆◇━◆◇━◆◇━


 ダニエルの家はザスートの最外周、スラム街にあった。金はあるはずなのになぜこんなところに住んでいるのか不思議である。ダニエルが娘を連れて路地に入り込んだ時、声を掛ける者がいた。


「ダニエルさん、返済のお時間ですよ。今日も稼いできたんでしょう?」

「……借金は全額返したはずだが?」

「へへ、そーもいかないんすよ。借金には利子ってものがつきものでしてね……」


 路地から出てきた若くてチャラい男三人がダニエルの前に立ちはだかる。どんな事情かわからないがダニエルは巨額の借金をしていたようだ。なるほどそれで金がなくてスラム街になんて住んでいるのか、とマオルは納得する。


「失せろ。契約書にもない利子を払う気はない」


 ダニエルは冷たく言い放つと三人を追い払おうとするのだが。そんなことで怯むくらいなら最初からダニエルに喧嘩などふっかけないだろう。男たちは懐から拳銃を取り出すとダニエルとその娘に銃口を向けた。


「ダニエルさんがいくら強くても銃にはかなわないっすよ? しかもそんな子供連れで……へへへ」


 身構えるダニエルを馬鹿にするように男が言い放つ。ダニエルがいくら強いと言ってもやはり普通の人間である。拳銃の弾丸にはかなわないし、自分の身を守りながら娘も守れるほど強くはないだろう。ダニエルと男たちの間に緊張が走る。


 そんな銃を持った三人の男の前に立ちはだかるものがいた、マオルである。恩を売れば技を教えてもらいやすいとか、そういう打算ではなくただ銃で脅すというやり口が気に入らないから前に出た。

 シーラを人質に取られたときのあの嫌な感覚が蘇る。マオルが手を貸す理由はそれだけで十分だった。


「あんたはこの間の……」

「手ヲ貸ス」


 ダニエルの問いかけに短く答えると、マオルはまず先頭に立つ男の拳銃を蹴りで弾いた。手を蹴られた激痛に男がうめきながらうずくまる。手加減したとは言え腕が折れているのだから当然だ。


 残る二人がすかさず発砲するが、突然出てきたマオル相手に狙いが定まらない。銃弾はマオルには当たらずに後ろに逸れた、と思ったがマオルは手で銃弾を受け止めた。後ろにはダニエルとその娘がいる。流れ弾で傷つけるわけには行かない。

 マオルは手加減しつつも、一人にはパンチを見舞って鼻を折ると、続けてもう一人の腕を取って後ろに捻り上げる。それだけで銃に頼ろうとする男たちを撃退するには十分だった。


「お、覚えてろよ!」

「待ってくれよ兄貴ぃっ」


 腕を折られた男は定番すぎる捨て台詞を吐いて他の二人を連れて走って逃げていった。あとにはマオルとダニエル、そしてダニエルの娘だけが取り残された。


「ありがとう、助かった……弾丸を受け止めたように見えたのは錯覚か?」


 ダニエルは素直にマオルに礼を言うと同時に問いかける。いくらダニエルが強いとは言え、銃を持った三人相手に勝つのは難しかった。最悪の場合、金を渡して切り抜けようと思っていたところを救われたのだ。ここで虚勢を張るほどダニエルは馬鹿ではない。ダニエルの問いにマオルは手に握った銃弾を見せた。


「共和国軍相手に闘ったマオル・クォ、噂には聞いていたが銃弾を受け止めるなんてすごいな……ところでなんでこんなところに? あんたは解放軍のレスラーだろう?」


 マオルの噂はザスート全体に広がっているようだ。ダニエルが率直に疑問をぶつけてくる。解放軍のレスラーなら、中央近くの宿舎に住めるはずだ。好んでスラム街に来るものなどまずいない。マオルがいる事自体が不思議なのだ。

 マオルはノートを取り出すとサラサラと筆を走らせる。


『喋るのは苦手だ。はっきり言おう、投げ技や寝技を教えて欲しい』


 ダニエルはノートを見てしばらく考え込む。マオルはさっき見たとおり強い。金目的の強盗のような輩が徘徊するスラム街では、そばに置いておけば用心棒代わりとしても役に立つ。


「伝説の英雄神の師匠になるのか、ハハッ、そりゃあいい。オーケー、俺で良ければ教えよう」


 話は簡単に決着がついた。こうしてマオルは新しい師匠を得たのであった。

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