第29話

 翌日にはさっそく、マオルの試合がセッティングされた。相手は元傭兵、八百長ありの試合である。マオルがわざと負ければいいだけなのだが、それが意外と難しいらしい。不自然な負け方をすると観客からブーイングが飛び出すのだという。

(うまくやれるかな……)

 少し不安になるマオル。演技の経験などないし、闘いでわざと負ける方法がわからない。しかし試合の時間は刻々と迫ってきている。ぶっつけ本番でやるしかなさそうだ。

 とりあえずリングに上がる用意をする。マオルは虎のマスクを被った覆面レスラーという設定である。覆面を脱ぐと鏡を見ながら自分の顔に化粧品で黒い縦縞を書く。名を売るのが目的だから目立つ覆面レスラー設定はちょうどいい。

 虎はこの国でもメジャーな猛獣だし、ネコよりは強そうに見える。それに筋肉質な見た目と相まって、立派な覆面レスラーに見える。

「マオル、用意はできたか? 相手は元傭兵で強いけど普通の人間だからダメージを負うこともないと思う」

 クリムトがマオルを迎えに来る。賭けプロレスは大事な収入源だからクリムト自身が取り仕切っているらしい。マオルは大丈夫というように親指を上に立ててみせた。マオルは挑戦者として青コーナーからの入場だ。

 さっそくビルを出るとリングへと向かう。今まで強敵と闘い続けてきたから普通の人間相手に不覚を取ることはないだろうが、問題はわざと負けることである。元傭兵なら体術も学んでいるだろうし、問題はなさそうだが。

(まあ考えてても仕方がない)

 マオルは生来の気楽さで気持ちを切り替えるとリングへと上がる。リングはしっかりした作りで普通に戦う分には問題なさそうだ。

「青コーナー、話題の英雄マオル・クォ!」

 上半身裸のマオルがリングに上がると実況がマオルを紹介する。マオルが腕を天に突き上げてみせると観客から歓声が上がる。マオルは獣頭であるのも加わって強そうに見えるし実際強い。賭けは、相手が勝ってきた実績もあってか、両者拮抗状態である。

 相手がリングに上ってくるとさらなる歓声が巻き起こった。相手は少し痩せぎすではあるが筋肉質で元傭兵というのも頷ける。歳は明らかにマオルよりも上で四十代くらいだろうか。

「赤コーナー、伝説の傭兵ダニエル・クラーク!」

 ダニエルと呼ばれた元兵士は手足を軽く振りながら腕を突き上げる。いまダニエルは連勝中らしく、観客の歓声も大きい。もちろん上半身裸である。襟や袖を取られて投げられるのを避けるため、上半身裸になるのが通例らしい。

 ちなみに、ここの試合にレフェリーはいない。基本的にルール無用であるし、決着の付け方も単純だからである。唯一挙げるならば一挙手一投足を見ている観客たちがレフェリーとも言える。

「とーちゃん、がんばれー!」

 ダニエルの後ろのコーナーには小さな少女がいた。五、六歳くらいに見える少女はダニエルに声援を送っている。どうやらダニエルの娘らしい、可愛い応援団である。ダニエルは振り返ると、その少女に余裕の笑いを返す。ダニエルはファイトマネーで生活しているのだとクリムトが言っていた。結構な額をもらっている割には少女はボロをまとっているようだが。

 そんな事を考えているうちに闘いのゴングが鳴った。

 じりじりと間合いを詰める二人。そのときマオルの嗅覚が何かを感じ取った。嫌な臭いがする、どこかでかいだ覚えのあるニオイ。ねっとりと絡みつくような不快で気分を悪くさせるニオイだ。

(これ……病人臭じゃねーか、この男からか)

 マオルが嗅ぎ取ったのは病人が放つニオイだった。病気になると独特な臭いを放つと言われている。世の中では癌を探知する犬が訓練されていたりもするのだ。マオルの鋭い嗅覚で嗅ぎ取れないわけがない。そんな事を考えていると、ダニエルが回し蹴りを放ってきた。

(おっと、闘いに集中しないとな)

 マオルは回し蹴りを左腕で受け止める。ビリビリと腕がしびれた。とても病人の蹴りとは思えない強烈さだ。蹴りが防がれたと見るや、素早く組み合いに持ち込もうとしてくる。

 マオルはそれを跳ね除けて間合いを取る。負ける試合だと決まっていても簡単に負けるわけにもいかない。

 距離を取ったら次は手加減してパンチを放つ。マオルのパンチは鋭いが、手加減している分軽い。あっさりと受け流されて腕を取られる。

(やべえ!)

 そう思ったときにはもう遅かった。ダニエルはマオルの腕を担いで身体を反転させると、腰でマオルの身体を浮かせて一気に投げた。やや変則的な背負い投げである。まさかダニエルが柔道まで学んでいるとは盲点だった。

 投げられたマオルは腰をしたたかに打ち付けてしまう。追撃を恐れたマオルはゴロゴロと転がってダニエルから距離を取る。離れれば蹴りや拳が飛んできて、組み合えば投げられる。なんとなくダニエルが連勝している理由がわかった気がする。

(一回くらいこっちの攻撃も入れておかないとな……でも投げは勉強してないんだよなあ……)

 そう思いつつも、マオルは天性の才ですでにさっきの背負投げを覚えてしまった。技を受けて覚える、頑丈な身体を持つマオルに向いた学習方法かも知れない。マオルはロープ方向に走るとロープに身体を乗せて反動でダニエルの方へと走る。そのままジャンプすると飛び蹴りを放った。それもやはり威力が軽く、ダニエルには簡単に受け流されてしまう。しかし飛び蹴りはフェイントだ、本命は力任せの投げだった。

 理屈もなにもなく、マオルはダニエルを抱えあげるとそのままリングに打ち付けるように投げた。もちろん手加減は忘れない。ダニエルは苦しげなうめきを上げたが、それも一瞬のことですぐに立ち上がる。

 ダニエルはマオルに向かって走ると後ろに回り込む。マオルはこのあたりで負けていいかと思っていたので簡単に後ろを取られてしまった。そのままダニエルの頭がマオルの右脇に差し込まれ、両腕で腰を抱えられた。

 そのまま後ろに倒れ込む勢いでマオルを持ち上げ、体を捻って左後方へと落とす。裏投げである。マオルは頭から落とされたのを都合いいと考えて気絶したふりをすることにした。

「ダニエル、裏投げを決めたー! さすが伝説の傭兵ダニエル、マオルは起き上がれないっ!」

 実況の叫ぶような声が聞こえてくる。続いて観客の「うおおおっ」と言う歓声が沸き起こった。ゴングがカンカンカンと鳴らされる。試合終了の合図である。

 ダニエルは娘を抱き上げると肩に担いで、観客の声援に答える。賭けに勝った客は喜んでダニエルに歓声を送り、負けた客は苦々しい表情を浮かべながらマオルに賭けたチケットを破り捨て、あるいはマオルに怒声を浴びせる。。

 そんな中、マオルはダニエルから香る病人臭が気になって仕方がなかった。

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