第27話

 翌日からマオルは女子どもたちに畑の作業を教え込むことにした。なにをどうすれば良い作物が実るのか、まずシーラを中心にして引き継ぎをする。これから先、マオルがいなくても作物を育てられるようにするのだ。女子どもも食料に直結することなので必死で覚えてくれる。

 シーラは時々目を伏せがちに悲しむ様子を見せるが、他の子どもたちの手前もあるのか、見せかけだけは明るく元気に畑作を学ぶ。もともとマオルの作業を横で見ていたから、門前の小僧習わぬ経を読む状態で覚えは早い。シーラに任せていれば畑のことは大丈夫だろう。

 そして、商人に頼んでいた手押しポンプも届いた。さっそく井戸に取り付けて水汲みを楽にする。井戸は畑のそばにあるから畑の水やりもずいぶんと楽になるはずだ。

 畑をこれ以上広げるのは諦めた。マオルがいなくなったら世話をする人間が足りなくなるし、欲張って作っても効率が落ちるだけだ。代わりに針金と木の杭で獣よけの柵を周りにぐるりと巡らせる。空を飛ぶ鳥はともかく、これでイノシシなどの獣害からは守れるはずだ。

 主に作るのはとうもろこしと芋、それから雑穀を大量に。雑穀は鶏のエサになるし、もしも飢饉になったときでも雑穀なら全滅はしないはずだ。しかも世話はずいぶん簡単で育てやすいときた。万が一の場合に備えて育てておいて損はない。

「まおるさまー、ぼくにもおしえてー」

「わたしも! わたしにもおしえて」

 男女問わず子どもたちがわらわらと寄ってくる。子どもたちは皆、村の英雄たるマオル・クォの手伝いということで明るく楽しげだ。女たちも不安定な採集生活から抜け出せるのだから文句はない。一年半も過ぎれば、マオルに対する恐怖心もすっかり薄れてなくなっている。

 今日は芋を掘る。村人の主食の一つだ。子どもたちは泥だらけになって笑いあい、女たちは井戸水で芋を洗う。

「マオル様のお陰で生活がずいぶん豊かになりました。ありがとうございます」

 女たちの一人が言うと、皆が口々にマオルに礼を言い始める。いままでは日に二回食事を摂るのがやっとだった。今は一日三回、朝昼晩と十分な量の食事を摂れる。

 シーラの成長期には間に合わなかったが、他の子どもたちの身長や体重には大きな影響が出るだろう。マオルが地道にやってきたことは大きな成果を結びつつある。マオルはそれが嬉しかった。

 記憶をなくし、行くあてもなく、伝説の英雄神と間違われて村に居着いた。そんなマオルも村の役に立てている。村に溶け込み、村の一員となれている。

 いつの間にかマオルもマニ村を故郷だと思うようになっていた。記憶喪失で元いた場所がわからないだけに余計に村に対する愛着が強い。

「良かったですね、マオル……」

 いつの間にか隣に来ていたシーラが言う。最初はただの異邦人扱いだったマオルも村の一員になれた。それはとても良いことだとシーラは思う。シーラの夫と言いつつもよそ者扱いされていたのが、本当の意味で村に溶け込むことができたのだ。

 それだけに、マオルのザスート行きはシーラにとって悲しい出来事でもあった。

『全部シーラのおかげだよ、助かっている』

 マオルはノートにそう書くとシーラに見せた。シーラは喜びつつも、悲しげに目を伏せる。こうやってマオルのそばにいられるのもあと数ヶ月。つい考えてしまうのだろう。

 シーラはマオルから離れると、無理矢理笑顔を作って皆に作業の指示を出し始めるのだった。


 そして数ヶ月が経った。村の男たちが帰ってきて一時的に村が賑わう。男たちは十日ほど滞在すると、祭りを楽しんでからまた出稼ぎへと向かう。マオルはその男たちと一緒にザスートへと向かう予定である。

 祭りの日はマオルと一緒にいられる最後の日だからか、シーラはマオルにべったりだった。すでに伝えなくてはならないことはすべて伝えた。これからはシーラがラル村長の補佐役を務めて村を導いていけば良い。

 敵襲さえなければマオルの存在はもう必須ではなくなった。もちろん、マオルも第二の故郷として村には戻るつもりでいる。だがこれからは自分自身を囮にすることになる。敵にはアキラのような超能力者までいる、生きて帰れる保証はない。

 そんな夜に、マオルとシーラは祭りへと繰り出していた。マオルは覆面を脱いで、シーラとともに酒を楽しんでいる。

「明日には村を出ていってしまうのですね……」

『ことが済んだら帰って来るさ』

 シーラの呟きに、マオルはノートに文字を書いて無責任に答えた。約束をやぶるときは死ぬとき、そう考えたら無責任な約束でもシーラが安心できるならそれでいいと思った。いま大事なのは村を守ることとシーラの心のケアだ。

 それさえ優先できればあとはなんとかなる。多少の怪我をしたところでたちどころに治ってしまうのだから、マオルも簡単には死なない自信を持っている。

 去年の祭りと同じように、ベンチに腰掛ける二人。シーラがこれも定番のように、マオルの腕に絡みつく。マオルの腕に抱きつくと安心するのだと言う。ならばマオルに断る理由はない。マオルもこうして過ごすことができるのに不満はない。

「心残りは子どもがいないことです」

『すまないがその願いはまだ叶えてやれない』

「……まだ、と言うことはいつかは……ですよね?」

 シーラの言葉に咳払いをしてごまかす。そもそも獣頭人身と普通の人間との間に子どもができるのかという不安もある。できたとしてその子どもは獣頭人身として生まれることはないのだろうか? そこまで考えると迂闊な返事はできなかった。

『それもことが済んだら、な』

 マオルが歯切れ悪く答える。そもそも事が済むということは現政権が滅ぶということだ。解放軍の後押しをしたとしても、そう簡単に行くとは思えない。

「じゃあせめてキスしてください。私も十六になりましたし、結婚して二年近くキスもしない夫婦なんてありえません!」

 強い口調で迫るシーラにマオルはたじろぐ。キスと言ってもマオルは獣面である、鼻を押し付けるか舌を出して舐めるか悩む。しばらく悩んだ末にマオルはシーラの頬に鼻を押し付けた。

「違います、そうじゃなくて……もうっ!」

 シーラは説明するのももどかしいのか、マオルの口に自分の口を付けた。驚くマオルだが、まあこのくらいはしかたないか、と受け入れる。キスくらいなら変な欲が刺激されることもないだろう。

「私、待ってますから……」

 赤面するシーラにマオルが頷く。村人たちはそんな二人の様子に気がつくこともなく、楽しげに歌い踊っている。そして夜は更けていくのだった。

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