第25話

 さらに一週間が過ぎた。マオルの身体は驚異的な回復力でほぼ治ってしまった。まだ少し痛みはするが、傷跡すら跡形なく消えている。もちろんその間、拳法の修行はお休みである。

 できるのは坐禅を組んでの精神修養ぐらいだ。クリムトやグラハムには無線で連絡しておいた。特にクリムトにはマニ村まで敵兵が来たことを伝えておく必要があった。


 そんな中、やっとシーラと面会することができるようになった。今までは感染症対策でラル村長の家には一部の村人しか入れなかったのだ。

 ベッドの上で半身を起こしているシーラと目が合う。なにかあったときのために村長の家に一台だけ設置されているベッドだ。シーラは大怪我のせいで少しやつれたようで、顔色もまだ青白い。だがマオルの姿を見るなりニッコリと微笑んで迎えた。


 それを見て、あれ以来不安に沈んでいたマオルの心が少し落ち着く。シーラの笑顔には癒やしがある、少なくともマオルにとっては。


『シーラ、回復したようで良かった』

「マオルも……不手際で人質になんてなってしまってごめんなさい」


 謝るシーラの頭を撫でる。村を空けていた自分にも油断があったとマオルは思う。女子ども老人だけの村にシーラを置いていっていたのが間違いだった。マオルがベッド脇の椅子に座るとシーラがマオルの手をとる。マオルは静かにその手を握った。


「本当にマオルの怪我は大丈夫なのですか?」


 シーラが心配そうに聞く。傍目から見てもマオルの怪我は尋常ではなかった。なにしろ全身から血が吹き出ていたし、骨の折れる音も響いていた。いくら頑丈な身体とは言え心配になるのも無理はない。


『大丈夫だ、もうほとんど治ってしまった』

「それならいいのですけれど……マオルは無理をしそうで心配です」


 シーラの言葉に、マオルはいまシーラこそ無理をしているだろう? と返したいのをぐっと堪える。せっかく気を使ってくれているのだ、無碍にするようなことは言えない。


『もう食事は取れるのか?』

「はい、食欲も戻ってきてますしすぐ元気になります」


 シーラの言葉を聞いてホッとする。シーラは病気なのではなく怪我だ。まだ感染症のリスクはあるが、食欲が戻ってきているのなら一安心である。点滴で過ごすような必要もなくなる。まだしばらく投薬や傷口の消毒は必要だろうが、あとは順調に回復するのを待つだけだ。

 そこにラル村長が現れた。手には消毒薬や包帯、ガーゼなどを持っている。


「マオル様、今日はそろそろ……」


 シーラにあまり無理させないようにと、ラル村長がマオルに退出を促す。まだ傷がふさがり始めたところで無理をさせてはいけない。マオルはラル村長に頷くと、『また来る』とシーラに伝えて小屋をあとにするのだった。


 ━◆◇━◆◇━◆◇━


 小屋に戻って落ち着くとマオルは自分が涙を流していることに気がついた。いつから涙を流していたのか、シーラの前で挙動不審ではなかったかと不安になる。

 色んな感情が湧き出してくる。シーラを守れなかった後悔、自身の迂闊さ、アキラに翻弄された悔しさ、理性を失って暴れてしまった自分への苛立ち、そう言った感情がないまぜになってマオルに涙を流させていた。


 そしてマオルはあらためて気付く。マオルはいつの間にかシーラを好きになっていた。シーラを愛している。その事実に気がついたとき、マオルはシーラが生きていてよかったと心底からそう思った。


 しかしマオルは何も言えない。いまさら愛していると言えるのか? 獣頭人身の記憶喪失の男が、十五の娘に? この国では十四、十五で子を生むのが当たり前とは言え、それはマオルの常識とはズレていた。


 自分の持つ常識をまだ破壊できないでいる。愛してると言えばシーラは喜んで受け入れるだろう。クリムトやグラハムだってシーラを受け入れろと勧めていた。マオルは、でも、と考え込んでしまう。


 マオルは未だ自分の感情に向き合うことができないでいる。シーラはあくまで生贄だ、今はどうだかわからないが当初はマオル相手に怯えていたはずだ。自分の意志でマオルのもとに来たのかなんてわかりはしない。


 そんな状態で好きだ愛してるというのは自分の立場を利用しているようで嫌だった。言葉にできないわだかまりがまだ残っている。


(精神修養しているはずなのに、俺の心はちっとも落ち着かないな……)


 マオルは心のなかで独り考える。何度か深呼吸して息を整えると、上着の袖で涙を拭う。今後どうするにしてもシーラがちゃんと回復したうえで、もっと落ち着いたときに考えたいと思う。

 そして、シーラにはこんな姿は見せられない、強い『英雄神』でいなくてはとあらためて思った。


 マオルがシーラに弱い面を見せたとしても、シーラは受け入れるだろう。だとしても、そう言う面は見せたくないと思った。シーラに心配をかけたくない。つまらない自尊心かも知れないし、そんなにこだわる必要はないのかも知れないがそこにこだわるのがマオルという男である。マオルだって男だ、格好くらいはつけたい。

 いまマオルの頭の中はぐちゃぐちゃである。いい加減、考えるのはやめようと藁のベッドに横になるのだった。


 ━◆◇━◆◇━◆◇━


 さらに二週間がすぎると、シーラはすっかり元気になっていた。もちろんマオルも全快している。そろそろグラハムのところでの修行を再開しようと思ったが、シーラを村に残しておくのは不安だ。

 仕方なくマオルはシーラを背負って行き来することにした。常に一緒にいれば安心だし、シーラを背負うことで多少なりとも自分の体に負荷をかけることができる。鍛錬にはちょうどいい。


「重くないですか……?」


 シーラが尋ねるがマオルは首を横に振る。重いどころかこんなに軽かったのかと再認識させられる。シーラは初めて出会ったときからほとんど成長していない。どうやら成長期は終わってしまっているようだ。


 シーラは傷跡が引き攣れるのか、時折痛そうにしているがそれは我慢してもらうしかない。村に置いていてまた人質に取られても困る。グラハムのところに着いたらシーラは木陰で休んで、マオルは修行である。


「マオル君もフェンテ君もひどい目にあったとか。元気になったようで何よりです」


 無線で話を聞いていたグラハムが労う。マオルはもうすっかり回復しているが、シーラの傷はまだ完全に癒えたとは言えない。


「この軟膏を塗りなさい、少しは引き攣るのがマシになるはずです」


 グラハムがシーラを気遣って塗り薬を渡してくれる。傷が背中なので塗るのはマオルの役目である。事件から一ヶ月、マオルとシーラは普通の生活に戻りつつあった。

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