第24話

 村についてシーラの様子を見せると、さっそくラル村長が医療用の湾曲した糸付きの針を取り出した。もちろん滅菌済みだが、この村では治療用の小屋などない。ラル村長の家で治療するしかないのだ。ラル村長は医療の心得があるらしい。


 シーラを村長に預けるとマオルはその場に座り込んでしまった。無理矢理体を動かしていたが、両腕両足を複雑骨折しているのだ。そもそも立てていたのがおかしい。

 シーラの治療は村長任せで、マオルはマオルで治療が必要である。村の女たちがマオルに駆け寄ってくると、洗った布でマオルの体を拭き始める。治療しようにも血まみれでどこに傷口があるのか、血を拭い取らないとわからないのだ。


 マオルはうめきながらもそれを受け入れる。傷は体中にあったが、幸いなことに見せしめに嬲られていたせいでそれほど深い傷はない。それぞれの傷口を消毒すると、女たちが包帯を巻き始める。

 打撲や骨折の方は村では治療のしようがない。添え木を当てたらあとはマオルの奇跡的な回復力に任せるしかないのが現状である。せいぜい寝て休むしかないのだ。


 一時間ほどしてラル村長がマオルのもとへとやってきた。


「手は施しましたが……血を失いすぎています。あとはシーラの生命力次第ですな」


 この村に輸血のシステムはない。この国ではザスートのような都市部まで行って金を出せば輸血してもらえるかも知れないという程度だ。片道二日の行程を怪我人を連れて行けるはずがない。マオル自身の治療もままならないのだ、あとはシーラ自身の生きる力に賭けるしかなかった。


 マオルはラル村長にシーラを頼むと伝えたくてノートの入っていたポケットをまさぐる。しかし、中に入っていたノートはずたずたに切り裂かれていた。アキラにやられたときに切り裂かれたのだろう。仕方なく、マオルは口を開く。まだ完全ではないが多少は喋れるようになっている。


「村長、しーらヲ……タノム」

「わかりました、あとは任せてマオル様も休んでください」


 マオルはラル村長の返事を聞くと、自らも傷の痛みゆえか失血ゆえかそれとも両方かその場で気絶してしまうのだった。


 ━◆◇━◆◇━◆◇━


 マオルはただひたすら歩いていた。周囲は真っ暗で音も聞こえない。しかしいくら歩き続けても景色は変わらない。出口もなければ天井もない不思議な空間。かといって星が見えるわけでもなく地面には草木一本も生えていない。


(なんだここは……?)


 マオルは疑問に思いつつもさらに歩き続ける。マオルの瞳なら暗闇も見通せるはずなのになにもない。あるのはただただ深い闇だけだ。次第に闇の中からささやき声が聞こえてくる。聴覚も鋭敏なマオルでさえ聞き取れないような小さな声。それと同時に妙なニオイも充満してくる。腐った血のような匂い。


(死にたくない死にたくない、生きていたいぃ……)

(足……俺の足はどこだ……)

(頭が、なくなった頭が痛いいいぃぃ)


 だんだん声が大きくなり、マオルを包み込むように響き出す。ニオイもますます強烈になって、頭がガンガンと痛むのを感じる。痛みはそのうち全身に広がり、鼓動に応じてズキズキと痛む。


 ぽたり、と空? からなにかが降ってきた。腕についたそれは血だった。ぽつぽつと降ってくる血。それが地面に広がり赤い染みを広げていく。

 思わず後ずさるマオル。しかしマオルは何かに足を掴まれた。真っ赤に染まった地面から腕が生えている。腕はマオルの足を掴んで離さない。振りほどこうとするのだが、まるで万力で締められているように力強く掴まれており振りほどくことができない。


 そうしていると今度は背中をなにかに蹴られた。振り向いてみると空中から足が生えている。足は血まみれですごい臭気を放っていた。血の腐ったニオイがさらに強くなる。


(体中が……痛い)


 痛みに耐えきれずその場にうずくまるマオル。地面からさらに何本もの腕が生えてきてマオルの腕を肩を首を、所構わず掴んでくる。


(俺の腕を返せぇぇ……)

(……食うなぁ……足を返せ……)

(腹、俺の腹があぁぁ)


 聞こえてくるのは怨嗟の声。マオルに殺され、喰われた者たちの恨みの声。亡者たちがマオルを責め立てる。手はマオルを掴むだけではなく叩きつねり締め上げてくる。地面がガバッと開き血がとめどなく溢れ出してくる。良く見ればそれは引き裂かれた腹だった。


 さらにその中から二つの目がこちらを睨んでいる。腹から出てきたそれは人の頭だった。その頭はマオルの前に伸びてくると恨めしげにマオルを睨みつける。


「やめてくれ……やめてくれ!」


 マオルが叫ぶが状況は変わらない。それどころか地面や空中から生える腕や足が増えていく。腕はマオルの身体を掴もうと伸び、足はマオルを責めるかのようにどんどんと地面を踏み鳴らす。

 やがてマオルの身体は暗い地面へと引きずり込まれていく。深く深く、暗い地面のそこへと……。


 ━◆◇━◆◇━◆◇━


 マオルはがばっと跳ね起きた。周囲はすでに明るく、村人たちが朝の用意をする音が聞こえてくる。ハァハァと荒い息を吐き、汗を拭って息を吐く。調息は高ぶった神経を落ち着かせるのにも役立つ。マオルは数を数えながら息を整え、心を落ち着かせる。


(夢か……ひどい夢だ)


 あれから一週間が経っていた。案の定、マオルの身体は驚異的な回復力で、複雑骨折もものともせずにすでに歩くくらいはできるようになっていた。と言ってもさすがに一週間では全快するには短すぎるらしく、全身がまだ痛い。


 シーラはラル村長が抗生物質や消毒薬、点滴などを取り寄せてくれたり、解放軍の協力があったり、村の皆が面倒を見てくれているおかげで感染症にかかることもなく少しずつ回復していると聞いている。今は会えないが、ラル村長を信じて任せるしかない。


 マオルは事件の日の記憶があやふやだった。特にシーラが傷つけられて以降の記憶が靄がかかったようにぼんやりとしている。それでも自分がなにをしてしまったのかはわかっていた。


 また人を喰った。あれほどもう人は喰わないと誓ったのに喰ってしまった。シーラを傷つけられた怒りで感情が沸騰してしまったとはいえ、誓いを破ってしまった。その事実が、そしてシーラを守れなかったことがマオルをさらに追い詰める。


(俺は……きっかけがあったら人喰いの化け物になってしまうのか……)


 憂鬱な気分は怪我の治りにも影響しているようだ。あの事件からずっと暗く黒い感情に苛まれている、不安感に包まれている。ただひたすらに落ち込むマオルだった。

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