第19話

 まずなにをするにも右手の骨折や身体の打撲傷を治さなくてはいけないのだが、添え木をして三日ほど安静にしているだけで治ってしまった。驚異的な治癒力も獣頭人身ゆえの能力らしい。村長への報告はシーラ任せだ。

 怪我が治ったマオルはまず川の様子を見に行った。放水し始めたばかりなのでまだ水は枯れたままである。

 次にマオルは井戸を掘ることにした。ショベルを使った完全手作業である。しかも水脈を調べることもできないので水が出るかどうかはマオルの野生の勘次第だ。

 井戸の場所は畑の近くを選んだ。ここなら確実に出ると勘が働いたからだ。ショベルで少しずつ掘り進め、商人に持ってきてもらったコンクリート製の土管を壁代わりに垂直にいれる。

 少し掘っては土管を埋め込む作業の繰り返しだ。三日も続けると穴は十メートルほどにまで伸びて水が染み出してくる。

 マオルの野生の勘は当たっていた。ゴボゴボと音を立てながら水が湧き出してくるのに時間はかからなかった。もちろんマオルの怪力あってこその短期間での井戸掘削である。

 普通の人間ならまず土管を素手で持ち上げることができない。それに下手をしたら生き埋めになる危険性もある。そんな危険もマオルには関係なかった。

「マオル、バケツとロープを持って来ました」

 折良く、シーラが汲み取り用のバケツとロープを持ってきた。手押しポンプを使いたいところだが、商人に聞いても在庫がないという。ないものは仕方がない。井戸の上に簡単な櫓を組んでバケツ付きロープをくくりつけたらバケツを井戸の中に落とす。これで一応汲み取りできるようになる。手押しポンプが入荷するまではこれで我慢である。

 そうしているうちに日曜日がやって来る。マオルはグラハムに拳法を習うため、シーラを留守番させて隣村に向かう。シーラの足なら三時間かかる距離だが、マオルは走り続けることで三十分もかからずにたどり着いた。早速グラハムのいる小学校を訪ねる。

 小学校は思ったよりも小規模だった。どこかの国の支援を受けて作られたものらしく、建物は頑丈だが中は狭い。そもそもこの国で子どもを小学校に入れようとする親が少ない。必然的に生徒数も少なく、それほど大きな校舎はいらないとなる。そのぶん、校舎の前のグラウンドは大きめに作られていた。マオルが多少暴れても問題はなさそうである。

「やあ、来ましたね。さっそく基礎からやっていきましょうか」

 歓迎するグラハムにマオルは頭を下げる。学校の先生であるグラハム相手なら文字でのやり取りも可能だからシーラを置いて来れた。

「まず実力を見せていただきましょうか。私はマオル君が戦っているところを見てませんから」

 グラハムがまずはとグラウンドの端っこにある木を指差す。全力で殴って見せてほしいという。マオルはそれに黙って従う。両足を踏ん張って力を込めたパンチを繰り出す。

 マオルの太ももくらいの太さの木だったがあっさり折れて地響きを立てながら倒れてしまった。

「……話には聞いていましたがすごいですね。マオル君は手加減することも覚えなくてはなりませんね」

 そう言いつつグラハムはマオルにまず基礎知識を教える。拳法は正式名を神極拳というらしい。中国の奥地に伝わるものすごくマイナーな拳法だそうだ。

 実際使い手もグラハムを除けば、グラハムの師匠くらいらしく絶滅寸前である。大切なのは気の使い方だ。いわゆる気功法というものを覚えなければならないらしい。グラハムも今は先生なんかをやっているが拳法家としても天才肌なようだ。

 最初に教えられたのは調息という呼吸法だった。まずあぐらをかいて座り、目を閉じたら息を整える。鎮魂行とも言うらしく、本当は道訓なるものも覚えるらしいのだがグラハムはそのへんは忘れたという。いわば心得のようなものらしいから実際の訓練には不要である。

 初日は調息の訓練だけで日が暮れた。マオルは調息を意識しながらまた走ってマニ村へ帰る。そのころには川にも水が戻ってきていた。

 村に戻れば、次の日からはまた畑仕事に精を出すことになる。もちろん畑仕事の間も呼吸法を意識して維持する。暇ができれば木を敵に見立てて手加減する練習だ。

 いままで手加減するという意識がなかったので、あらためて手加減するとなるとこれが意外と難しい。何本もの木がマオルのパンチで倒れた。

 次の日曜には足運びと体捌きを教えられた。右足を半歩引いて、膝は軽く曲げる。足は大きく踏み出すのではなく、すり足で移動する。正中線を意識して、相手の攻撃は身体全体を使って半身でかわす。

 ギリギリでかわすことによって反撃のチャンスが増えるのだ。それに体を大きく崩さないよう意識することで、攻撃にも威力が乗る。かわして攻撃するカウンターを意識する、後の先というやつだ。

 この二つの基礎が大事だということで二ヶ月間は基礎の反復練習に励む。反復することで動きを体に染み込ませる。

 もちろん畑の方も手は抜かない。休み無しで特訓と畑仕事をこなしていく。畑仕事のときはなるべく力を抜いて手加減を意識する。今までパワーだけでクワを振り回していたが、身体の使い方を工夫することで少ない力で効率よく耕すことを意識する。

 マオルの学習能力は高かった。常人ならこの基礎だけでも数ヶ月から下手すれば数年かかるところを二ヶ月で習得してしまった。

「ふむ、覚えが早いですね。次は気を練って体中に循環させることを意識してください、ゆっくりでいいですよ」

 グラハムが次の段階へ進むよう促す。気という捉えどころのないモノをコントロールするのは難しい。だが習得してしまえば気の力だけで人を吹き飛ばすことができるのだという。それこそが神極拳の極意であり、唯一の特徴と言っても良かった。しかし極意と言うだけあってマオルにも覚えるのが難しい。

 それと同時に基本の拳や掌底、蹴り、受け流しの型なども学んでいく。ここからはいろんな技術を同時に学んでいく必要がある。マオルの学習能力が高くてもこれは一朝一夕にできることではなかった。

 どのタイミングでどう避けてどの攻撃方法をとるか、あるいは受け流して反撃の機会を作るか。これは経験から学ぶしかない。できるだけたくさんの戦闘経験を積んだほうが良いのだが、今相手できるのはグラハムだけだ。

 それもかなりの手加減を要する。マオルが本気で暴れたらグラハムは一瞬で吹き飛んでしまう。これは力比べではなく技術の習得なのだからそれでは困る。

 手加減の練習ついでにサンドバッグを購入して畑のかたわらにぶら下げて、暇なときはこれを打つ。本気で殴ったら簡単に破れるので手加減の練習にちょうどいいのだ。

 これは気を放つ練習にも良い。うまく使えれば、強固な外皮を通り抜けて、内臓にまでダメージが通るとの話である。皮膚の硬い獣頭人身と戦うには必須とも言える技能だ。

 そんな生活を半年も続けていたら、マオルはいつのまにか強くなっていた。さすがに気功うんぬんはまだまだ修業が必要だが、ある程度の型は覚えてしまった。

 天性の才とでも言うのだろうか、マオルには格闘家としての素質もあったようだ。

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