第8話
カラス頭と戦ってから三ヶ月がすぎた九月。マオルは他にすることもなく村で働いていた。
まず朝起きたら発声練習。言葉が話せるようになるまでの道程は遠い。昼間は新しい畑を作るために木を引っこ抜いて土地を耕す。クリムトからもらった五百ドルは畑のための肥料や作物の種、当分の食料に消えた。
このあたりでは焼畑農業が当たり前だが、それでは土地が保たない。いずれ耕すべき土地がなくなってしまう。そう考えてマオルは継続的に農業を続けられる土地を作ろうと決めた。怪力の持ち主にふさわしい仕事にも思えた。
そのためには金も必要になるが、金を稼ぐ方法はあとあとのんびり考えるつもりである。今は元手も何も必要なくできることをやっている。
引っこ抜いた木々は村を守る防柵にした。頼りない柵だが、解放軍と共和国が争っているしカラス頭の例もある。なにもないよりはマシだろうと思えた。
ときには森に踏み入って獣を狩ってきたりもした。強靭な肉体を持つマオルにとってそれはとても簡単な仕事だった。たまには肉を食べさせないと村人の間でタンパク質が不足する。
そこまでマオルがする必要はないのかもしれないが、そんなことでもして疲れなければ自分の獣性を抑えつける自信がなかった。なにしろ、相変わらずシーラはマオルと同じ小屋で寝起きしているのである。しかもTシャツ一枚という無防備な姿。最初の日に感じた獣欲が湧かないとも限らない。
それになぜかシーラはマオルの妻を自称して、マオルに妙に懐いてくる。距離を置きたいのにうまく行かない、まったくもってやりにくい。
三ヶ月の間、情報収集も欠かさなかった。
まずわかったのはマニ村も含めた南方は解放軍が実効支配していること。戦闘自体は散発的で膠着状態に陥っている。
村の男達が出稼ぎで稼いだお金はラル村長のもとに送られて平等に分配されている。中には兵士として働き行方不明になる男もいる。そんなときは決まってクリムトが村を訪れてラル村長に報告をしていく。ついでにいくらかのお金も置いて。
解放軍のバックには外国勢力がついているらしく、資金や武器食料には困らないらしい。逆に共和国につく外国勢力もあるらしく、それが膠着状態に拍車をかけていた。
情報はほとんどシーラから得た。シーラ自身の事も色々と聞いた。なぜそんなに情報に詳しいのか。
聞けばシーラの両親はいわゆるエリートであったが、政争に敗れて都落ちしたそうだ。そんな境遇でもシーラの教育だけはしっかりと行ったようだ。だからこそ聡明で情報通に育ったらしい。村長のラルともよくいろいろな相談事をしている。十四の少女とはいえ立派に村の一員として働いているのである。
コミュニケーションが、マオルが文字を書いてそれにシーラが答えるという形なので三ヶ月かけてもまだまだ聞いてないことはいっぱいある。
(しばらく村を守ることになるし、ゆっくりでいいか)
マオルは漠然とそう考えていた。あれ以来、獣頭人身の敵は現れないし、のんびりとした時間が流れていてマオルもその空気に慣れてきていた。もちろんあんなものがそうそう現れてくれても困る。村を守るのは構わないが、そのたびに犠牲が出るのは嫌だ。
マオルが畑仕事に精を出しているとシーラが駆け寄ってきた。手には食べ物でも入ってるのだろう籠を持っている。
「マオル、商人が来ました。頼んでいたものが届きましたよ」
シーラは耕されてがたがたになっている地面をおぼつかない足取りで歩いてくる。マオルのそばまで来てよろけるのをマオルが支えてやる。
「ごめんなさい」
シーラはそう言うとさっと離れた。懐いている割には少し距離があるように思う。意識してやっているわけではないようだが、おそらく最初の晩の恐怖がまだ残っているのだろう。
最近は昼ごろになるとシーラが簡単なとうもろこしのパンを持ってくるようになった。クリムトのお陰で少しばかり食料も調達できた。質の良いものではないが村人の腹は膨れる。それにマオルの場合、腹を満たしていないといつどこで獣欲が首をもたげるかという不安もある。金はかかるがパンで満たされるならばそのほうが断然良い。
マオルはシーラを連れて横倒しになった木の上に座る。近頃はこうやって昼食を取るのが恒例になっている。もちろん、シーラにもパンを食べさせる。自分一人で食べる気はない、でなければ村を良くしようとする意味がない。せめて皆が普通に食事できる村にしたいと思っている。
「暗い話題ですが……獣頭人身の化け物を見たという話が伝わってきています。幸い、銃で仕留められたそうです」
シーラがうつむきながら言う。同じ獣頭人身だとしても強さは個体差が大きいらしい。マオルなら気合を入れれば銃弾くらいは跳ね返しそうだ、実際ナイフを突き立ててみたらナイフのほうが曲がった。
他の獣頭人身が銃で仕留められたというのは個体差だろう。カラス頭も銃弾を弾いていた。あるいは弱点になる目や口の中を狙ったか。
マオルはパンを食べながら頷く。詳しく聞きたいところだが、筆談するには時間がかかる。頼んでいたものが届いたということはノートと鉛筆も届いているはずだからまたあとで聞けばいい。地面に木切れで文字を書くよりも長文が使えるようになるし、いつでもどこでも筆談が可能になる。まだ話せないマオルにとっては必需品だ。
「ところでマオルはバナナは好きですか?」
唐突にシーラが問いかける。会話が成り立たないので最近はシーラがイエスかノーかで答えられる質問をしてくることが増えた。果物ならりんごスイカ梨などと一つずつ丁寧に根気よく訪ねてくる。マオルはバナナの味を思い浮かべて首を縦に振る。問題は好き嫌いよりもこの顔では食べづらいという点なのだがそれは置いておく。
シーラが良かったと笑顔を浮かべる。少し北に行けばバナナを栽培している地方もあるらしく、わりと安く手に入るのだそうだ。
他愛のない質問ばかりだがマオルは少し嬉しかった。まともにコミュニケーションが取れない自分とコミュニケーションを取ろうとするシーラの態度が嬉しい。マオルは他地域に出た獣頭人身のことを考えながら、シーラの質問に答える。
いま、村は平穏と言っても良かった。
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