第3話

 夜、マオルは朝起きたときの小屋にいた。明かりは裸電球が一つ。それから地面の中心に焚き火。それでも贅沢らしく、マオルのいる小屋以外はすでに明かりが消されて寝入っているようだ。

 シーラも寝巻き代わりなのかぶかぶかのTシャツ一枚に着替えている。どうやら同じ小屋で寝るようだ。男女が同じ部屋で寝るのもどうかと思うのだがシーラは気にしていないらしい。

 村にはかろうじて電気が届いているが、それも天候によっては不安定になる上に使用には少々お金がかかるとシーラに教えてもらった。

 夕飯は普通に食べたが、マオルの昼食の残りはシーラが処理しているのを盗み見てしまった。やはり、最低限の食料すら確保困難らしい。

 黄色く頼りない明かりの中で改めてシーラを観察してみる。身長は百五十センチほど、ツヤツヤとした黒髪、日焼けした健康的な肌。決して美人とは言えないが愛嬌のある顔。あと四、五年もすれば立派な花嫁になるだろう。

「あの、マオル・クォ様。これを……」

 シーラがそう言って布を袋状に縫い上げたものを差し出してきた。覆面らしい。

「マオル・クォ様はお目立ちになるので普段はこれを被っていていただきたいのです」

 マオルは黙って覆面を受け取る。古布を綺麗に裁縫したものらしい。目の部分には大きめの穴が開けられていて、被ってみるとマオルの顔にぴったりフィットする。

 どうやらシーラは裁縫上手なようだ。村の人間には平気で獣頭をさらしていたが、村には外から商人も来るだろうし、あまり堂々としているのもまずい。それに獣頭のままでは村人も恐怖心を抱くかもしれない。

 それから、とシャツとズボンも渡された。いつの間にかサイズを測っていたらしくこちらもぴったりだ。残念ながら靴は用意できなかったらしいが。

 気に入ったことを示すためにグッと親指を突き立てて見せる。ちゃんと意味が通じたらしくシーラが微笑む。このコミュニケーション不可能な状態を打破するためにマオルは拾っておいた木の枝を手にする。幸い、小屋の床はむき出しの土の地面だ。引っ掻いて文字を書くことができる。

『歳は? 両親はどうした?』

 まず基本的なことを確認するために二つのことを日本語英語スペイン語で書いてみる。

「英語だけで十分ですよ。歳は今年で十四になります、両親は五年前に亡くなりました……」

 やはりこのあたりは英語圏らしい。日本語とスペイン語もわかります、とシーラが付け加える。ただネイティブが英語だから英語のほうが理解しやすいようだ。

『村に男がいないのはなぜだ?』

「皆、出稼ぎに出ております。中には兵士になって戦っているものもいます。それが村の主な収入源です」

 想定通りの回答だった。いくらなんでも男が少なすぎる。子どもがいるのだから最初からいないとは考えられない。貧乏村ならではの事情ということか。

『みんな文字が読めるのか?』

「私は両親の意向で学校に通っていたので読めますが、他に読めるのは村長くらいだと思います」

 なるほど、とマオルは納得する。丁寧な言葉づかいからも育ちがいいのだろうと言うことは容易に想像できた。その聡明さ故にマオルにつけられたというところだろう。

『様付けはやめてくれ、マオルでいい。敬語もいらない』

「わかりました、マオル・クォ様……いえ、マオル」

 これはマオルのわがままだったが、シーラはすんなり受け入れた。それから一番気になっている質問をする。

『マオル・クォとは何者だ? 記憶がなくてわからないんだ』

 その文章を書いた途端、一気にシーラが緊張するのがわかる。しかし、マオル・クォを名乗ると決めたからにはどういう人物なのか知らなければならない。

「記憶がないのですか……マオル・クォとは伝説にある英雄神のことです」

 シーラが震える声で答える。土着信仰の類だろうがなぜそんなに怯える必要があるのか。

 シーラはTシャツの裾に手をかけると一気に脱ぎ捨てた。下着の類は着ていない。ぱちぱちと爆ぜる焚き火の光に浮き上がるのは健康的な肢体だった。痩せてアバラが浮き出てはいるが、小ぶりな胸と少しぽっこり出ているやわらかそうな腹が目に付く。まだ十四才だと言うのに艶かしさを感じるのは気のせいだろうか。

「……一人の少女を生贄に貰う代わりに村を守ってくれる獣頭人身の守護神、それがマオル・クォ。そして私が、生贄です……あなたはマオル・クォなのでしょう?」

 マオルはシーラの身体から目が離せなかった。獣欲が際限なく湧き上がってくるのだ。まるで靄がかかったように思考が鈍る。

 ごくりとマオルの喉が鳴る。まだ未成熟ながらも女の身体。『美味そうだ』と思ってしまった。マオルの中の獣が首をもたげる。生贄ということは食ってもいいのか。そんな考えまで浮かんでしまう。そっと近くに寄る。かすかに香る汗の匂いすら、獣欲を刺激する。

 マオルの性器はもう勃起してガチガチだった。食べる、犯す。二つの欲が入り混じってマオルを興奮させる。

 鼻をシーラの腹近くまで近づけて、匂いを嗅ぐ。舌を出してへその横側をべろりと舐め上げる。『美味い』と思った、思ってしまった。興奮でぞくぞくする。昨晩の軍人二人はあまり美味くなかった。それとは段違いの美味。それと同時に思い出すむせ返るような血の匂い。

 眼の前のシーラは顔面蒼白で、肩が小刻みに震えている。怖くないはずがない。シーラは恐怖を感じながらも村のためと我が身を差し出しているのだ。

(何やってるんだ俺は!)

 はっと我に返ると同時にシーラの裸体から顔をそらす。獣欲と理性の間に挟まれて頭を抱える。食ってはいけない、もう二度と人肉には手を出さない、出したくない。

相手がシーラならなおさら手を出すわけには行かない。いま、文字を介してコミュニケーションを取れるのはシーラくらいだ。人とのコミュニケーションを断ってしまったら、それこそただの獣に成り下がってしまう。

 マオルは背後に用意されていた寝床を振り返る。わらの束の上に白いシーツを被せただけの簡易なベッド。そのシーツを剥ぎ取ってシーラの方へ投げつけた。シーツはふわりと舞ってシーラの裸体を隠すようにまとわりつく。

「食べても……いいのですよ? それが村を守ってもらう代償です……」

 シーラの言葉に、マオルは首をぶんぶんと横にふる。食べるわけには行かない。シーラを食べれば本当に獣に落ちてしまう。すでに二人殺めているがあれは事故だと思い込もうとする。

 それでもシーツを剥ぎ取って近寄ろうとするシーラ。孤児の自分を養ってくれた村への恩返しのためにマオルには村を守って貰う必要があった。政情不安でいつ兵士がこの村を襲うかもわからない。熊や猪、大蛇と言った獣も出る。何より貧困だ。マオルという男手は喉から手が出るほどほしい。

「ぐわおうっ!」

 近づいてくるシーラをマオルは威嚇した。悠長に文字を書いている余裕はなかった。第一なぜそんな一途にマオルのことを信じられる? たかが神話に出てくる人物と容姿が似ていると言うだけで? そんな不確実なものに頼って命を捧げるのか? 色んな思いがマオルの胸中を占める。

 シーラが怯んで一歩下がる。その隙を逃さず、マオルはシーラに背を向けた。精一杯の拒絶の意思である。

 その晩はシーラもそれ以上迫ってくることはなく、マオルは緊張しながらもわらの束のベッドに横になって寝た。シーツを剥ぎ取ったせいで少しチクチクした。

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英雄神の物語 田上つかさ @tagamin_zr

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