第24話

 じゃり、とクシナサラが砂利の上に降り立った。

 器用に股を広げて座り、手をだらりと下げている。

 僕らを逃がさないように、今度は退路を断ちに来た。

 その目はどんな目をしているだろう。

 前回は痛み分けで終わったことを、幽王組の戦闘員を殺されたことを根に持っているか、それともそういう怒りとか簡単な感情じゃなくて、もっと複雑なものなのかもしれない。

 なぁ、クシナサラ。

 それが、君の正義なのか。

 彼女は自分の手の甲に指を添え、スペルを詠唱する。

 彼女はルーキーだ。スペルを暗記していない。スペルは、スロットにある分しか使えない。


『めら、めらと燃え広がる

 触れることのなかった温もりに触れた

 あれは誰だ、どこの誰だ……』


 クシナサラが唱えるよりも早く、僕は詠唱する。


『凍てつく氷が私を包む

 焼けつくような痛みも過ぎれば

 私は白く長い吐息を吐く

 至福のゆりかご 安堵の檻

 とても心地よいんだよ

 だからあなたも、お入りよ』

 【アイスドーム】!


 氷の壁を生成し。


『……すべてを捨てて燃やして見せよう

 浸食する赤い毒は空へ舞い……』


 クシナサラはまだ詠唱途中だ。

だが、もっともっと早く。


『分厚くそびえる鋼鉄よ

 守り給えよ礎よ

 なにゆえに礎を守るのだ

 守るためにあったはずなのに

 いつか守るものになってしまった

 触れるなよ

 守るために重ねよう

 何層にも、何層にも、何層にも、何層にも、何層にも

 それは大事なものだから』

 【アイアンウォール】!


 鉄の壁で補強し。


『……深い悲しみは絶望を生む

 焼けよ』

 【フレム】。


 クシナサラが唱え終わるころには。


 『凍てつく氷が私を包む

 焼けつくような痛みも過ぎれば

 私は白く長い吐息を吐く……!』

 もいっちょ【アイスドーム】!


 三発の魔法が完成していた。


 背後の事務所まで飛び火しそうな豪炎が、まるで炎の大津波のように押し寄せる。

 対して、氷の壁に鉄の壁の重ね掛け。

 一発で勝てないなら、連弾で。

 ぢりぢりと鉄の壁が、バターのように溶けていく。

 耐えろ。耐えろ耐えろ耐えろ……!

 氷の壁は完全に蒸発しきり、足元の水たまりはぐつぐつと沸騰し、溶けて赤熱している鉄が徐々にねずみ色に戻りつつあった。

 しかし、防いだ。

 自分よりも10倍以上強い相手と、魔法を相殺させた。

 肌がヒリつく。一手先に死が突きつけられている、戦場でのこの緊張感。

 本当、本当に、嫌なものだ、これは。


『空をも引き裂く稲光

 億の紙をまとめて破く

 大地を揺らす大轟音……』


 芸のない。

 またイズナか!


『ここは野の果て地の果てか

 大地がひび割れ田は荒れる―――』


『……それは森を焼き尽くす災害だ

 人家を消し去る悪戯だ

 それを誰の仕業とす

 それを誰の所為とする

 雲の上に隠ぬものよ

 お前は何に憤る』

 【射頭奈イズナ】。


『―――ぽつりぽつりと大地が残る

 見ずとも走るそれを待て―――』

【南雅怜(ナガレ)】!


『―――小児の訪れるそれを待てれば

 この地は再び栄えよう』

 【南雅怜(ナガレ)】!


 ならこっちは、三発分の水魔法で応戦だ。

 水は雷を弾き飛ばしながらクシナサラに押し寄せ、さすがの彼女も退いて、電柱の上に両足と片手を付けて着地する。

 電撃は、絶縁体の水の中でのたうち回り、駄々をこねたウロボロスのように周囲一帯を焼き、僕の頬も焦がす。

 魔法でできた電荷は崩壊することなく残留する。

 退いちゃ駄目だ。

 攻める。攻めて攻め切る。

 僕はポケットからコインを取り出し、がじりと噛んだ。

 いつの日かヤマトから貰ったレプリカントの回復コイン。

 押して、勝つ。

 僕は、人差し指に装填されたスペルカードをなぞった。指先から、青白い光が漏れる。

 スペルカード。久しぶりに使ったな。

 なぞるだけでスペルが頭の中に浮かび、それをなぞるだけで詠唱できる。

 音読とも違う、詠唱。

 どんな音読が苦手な人間でも、スペルカードがあれば噛まずに唱えられる。


『コーヒー色に広がる夜空に

 コンクリート色の月が浮かぶ

 消味期限切れの老いた人間が

 白煙をぶら下げた俺にこう言うんだ

 朝が来ない、ミルクを寄越せ

 だから俺はこう返すんだ

 時期に熱湯が降る、それを使えばいいさ』

 【リキッドサーファー】!


 盗まれた新魔法。これは聞いたことがないだろう、クシナサラ。

 最高に地味だが、最良の殺人魔法。

 指さした方向に4発の熱湯の柱をぶつける魔法だ。

 熱湯って地味だな。でも、僕ら人類は、いや有機生命体は、水と共に生きてきた。摂氏百度の水の中で生きていられる生命体は、この宇宙上で”生命”と定義づけられていない。

 それを叩きつけるというのだから、末恐ろしい魔法だ。

 地味だけどな。


 クシナサラは、当然それを避ける。

 まぁ、大洪水の後に、打ち出す魔法じゃないな。

 クシナサラは水たまりの上に、ばしゃりと着地しながら、腕に手斧を作り出した。

 柄の部分がぐにゃりと変形した、遠心力を生かせそうな、凶悪な手斧。

 体を自由自在に作れる夢の世界。手元から離さなければ武器も作れる。

 あのクシナサラが。

 人を殺そうと思い、作り出したであろう武器。

 まぁ、正解だ。僕が得体の知れない魔法を、しかも高速で撃ち出してくるのであれば、物理戦で抑えたほうが効率的だ。 

ひゅ、とクシナサラが駆け寄り、手斧を振ってくる。

 魔力Lv.1872の一撃は、物理戦でも無類の膂力を誇る。

 斧が風を切り、頬を掠め、服を裂く。

さすが運動部。夢世界では、男性と女性で肉体的な有利さはない。運動の心得がある分、文化部の男子よりよっぽど力強い。

 しかしこちとら百戦錬磨。

 スペルカードがない時代から戦い続けてきた身だ。

 避けられる。

 僕は手刀で手斧の動きを封じながら、詠唱を完了させる。


『それは重く圧し掛かる

 容易に人を踏み潰す像のように重く

 水に沈む鉛のように沈み込む

 髪をかきむしっても逃れられない

 喉を、腹を、腕を、かきむしっても払えない

 思えば思うほど重く、重く、圧し掛かる』

 【エアプレッシャー】!


 頭上から空気の圧力をかけ、一定範囲内の人間の動きを抑える魔法。

 しかし、クシナサラの魔力出量は半端なものではない。

 この程度のプレッシャーでは、足止め程度にしかならないか。


 なので、立て続けに魔法を詠唱する。

 クシナサラが息着く間もないくらい、早く。魔法を唱える。


『廃れ果てても彼を待つ

 垂氷が解けるように

 風が吹く

 葉をそんなに尖らせて

 凍て付くのは心か君か』

 【青襲あおがさね】!


 氷の刃がクシナサラを襲い、それを高重力下にもかかわらず紙一重で避けながら、手斧で反撃しながら詠唱を始めている。

 さすが元バレー部。運動神経も肺活量もハンパねーな。

 ばきん、ばきんと足元の氷を砕きながら、クシナサラが走りながら詠唱する。


『空をも引き裂く稲光

 億の紙をまとめて破く

 大地を揺らす大轟音

 それは森を焼き尽くす災害だ

 人家を消し去る悪戯だ

 それを誰の仕業とす

 それを誰の所為とする

 雲の上に隠ぬものよ

 お前は何に憤る』

 【射頭奈イズナ】。


 クシナサラの、ゼウスの雷みたいなやつが詠唱準備に入る。

 これは一回受けている。

 まともに食らって、生き残れるものはそうはいないだろう。

 だが、今はあえて。


『空をも引き裂く稲光……』

 【射頭奈イズナ】。


『大地を揺らす大轟音

 それは森を焼き尽くす災害だ……』

 【射頭奈イズナ】。


『……雲の上に隠ぬものよ

 お前は何に憤る』

 【射頭奈イズナァ!】。


 一発で勝てないのなら連弾で。

 相手が一発の雷を打つ間に、僕は三発の雷撃を打つ。

 がきゅん、と相殺時特有の異音が鳴り、互いの魔法が無力化される。

 白い燐光が周囲に散らばり、ぱりぱりと足元の水たまりに流れる。

 当然、打ち勝てると思っていたクシナサラは呆気に取られる。

 そうだよな。シリム量で圧倒的に勝っている君が、三発連弾した程度で僕の魔法と相殺されるとは思っていなかっただろう。

 しかし、今この空間には、先の電撃魔法が連発された影響で、電荷が溢れ出している。

 つまりは、ちょっとした励起状態に入っているのだ。

 僕程度の魔力レベルでも、より強力な魔法が使えるような状況が、整っている。


 そして、相殺できたなら、次に唱えるのは僕のほうが、絶対に早い。

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