第8話

 そんな気狂い少女を連れて、僕は錆びたクジラの中を進む。

 こういう、一癖ある建物をわざわざ”固定”して住んでいる人間も、有り体に言って普通ではない。よほどの酔狂や偏執持ちか、子供だ。会って話が通じるとは思い難い。

 とはいえ夢の世界で生きている人間など、みんな他人に合わせず自分勝手な連中ばかりだから、会話が噛み合わないことなんて、よくある話なのだが。


 僕はピーチクパーチクとがなり立てるお喋りな少女を連れて、クジラのてっ辺を目指した。


「錆びて淀んだ空気が重たくて構わないわ窒息してしまいそうよここは酸素を必要としない夢の世界なのに」

「そうだな、エラーガール」

「エラーガールって誰よ一体誰のことなのよってあたししかいなかったわあたしのことねあたしのことなのねわかったわあたしはエラーガール!」

「はいはい」


 いくつもの階段を上がり、ブリキの扉を開けた先に、ひとりの男が待っていた。


「ようこそ、旅人さん」


 絵に描いたような成金野郎で、僕はげんなりとその光景を見た。

 壁の周囲は、見るも見事な黄金で作られている。金のレプリカントだ。金を作れるクリエイターに頼んだのだろう。床も天井も、壁も手すりも何もかもが黄金。

 そして黄金の椅子と質の良さそうな紅色のクッションに腰かけているそいつは、真っ白いバスローブを着て、ワイングラスを片手に持っていた。

 僕は本当に理解できないのだが、無限の富を得た人間の行動とは、かくも似通るものらしい。

 濡髪に、目鼻たちがしっかりと整った、美男子らしい中世的な顔立ち。なのに”色つき眼鏡”というペルソナ的な装備をしている。そんなイケメン、絶対リアルのお前の顔じゃないだろうに。

 そして、彼が腰かけている椅子には鎖が結ばれていた。

 黄金の鎖。その先は、ペルソナさえもつけていない裸の女たちが、悲しそうに繋がれている。

 女を飼っているのだ。大方、現実世界で弱みを握られているんだろう。


「邪魔だったかな」

「いいや、退屈していたところさ。皆、ボクの魔力にあてられて、ね」

「船で聞いた声とずいぶん違うな」

「パフォーマンスさ。人間は低い声で指示されたほうがキビキビ動くんだ」

「普段はこの部屋に、人は入れないのか」

「ボクのプライベートルームだからね。本来はVIPしか通さない。でも旅人さんは特別だ。よければ酒でも飲みながら、外のお話でも聞かせてくれよ。遠慮はいらない」

「遠慮はいらないんだな?」

「ああ、何が望みだい?」

「悪の破滅だ。覚悟しろこの成金ヤロー」


 びし、と男を指さす。

 男はやれやれと、手の平を天井に向けて、大仰に呆れてみせた。

 手元のワインがちょっと零れてて、格好がついてなかった。


「君の魔力Lvはいくつだったかな」

「100ちょいだ」

「そうか。じゃあ僕は108だ。さぁ、恐怖に恐れおののくがいい」


 男が立ち上がり、ようやく詠唱を開始する。

 Lv.108か。本当だとしたら、すげー強いなこいつ。

 そのレベルの敵、そうそう敵対することはない。


 男は右の人差し指を光らせ、それを左手の指でなぞる。

 指に”スペルカード”が仕込んであるのだ。

 スペルカードとは、手放したものがすぐに消えてしまうこの世界で、効率的に相手を倒すよう考案された攻撃方法の総称だ。いわゆる簡易的なレプリカント製造機、つまるところ”魔法のショートカットキー”といえる。

 名前の通り、カード状をしていて、それを指に差し込んでおくことで任意のタイミングで発動できる。ただし、「燃えろ」という度に炎が出てしまっては日常生活に支障が出る。誤発防止のため、あるいはポエムを書きたかったのか、本当のところは僕には知る由もないが、ともかく魔法の発動には”詠唱”も必要とされている。

 これが、この世界の”スペル”。

 夢世界そのものに刻まれている、魔法なのだ。


『仰げよ仰げ、天を仰げ

 喚けよ喚け、魂よ喚け

 悪鬼よ悪鬼、なぜ嗤う

 お天道さんよ、なぜ助けぬ……』


 僕は相手の詠唱を聞いてから、後追いで詠唱を始める。

 はいはい。その魔法ね。知ってる知ってる。


『……天より力を貸し与えられねば

 我が天を作って見せようぞ

 ゆらゆらと燃ゆる陽炎を纏い

 赤光を放つ魂の揺らぎよ

 その眼にしかと焼き付けよ

 その身にしかと受けてみよ

 我の朱はあらゆるお前を焼き尽くす』

 【赤魂しゃっち】。


 轟、と眼前に、人ひとり入れそうなほど巨大な火球が生成される。それがふたつ。

 空間の大気中の大気を焼き切らんばかりの火球に、鎖に繋がれた少女たちは、めい一杯下がる。確かに、ここが現実世界ならば、この空間にいる者すべて、酸欠で死んでいただろう。

 だがここは夢の世界だ。

 ぎゅいんぎゅいん、と火の玉はふたつ相殺され、足元に抉られた跡を残した。


「……何?」

「ま、サバ読んでるよな。そりゃーな。本当はレベル70程度か」

「ふ、ふふ、面白い。ならば、最大の魔法で相手をしてやろう」


『空をも引き裂く稲光

 億の紙をまとめて破く

 大地を揺らす大轟音……』


 はいはい、という感じで、僕も彼に続いて詠唱する。


『……それは森を焼き尽くす災害だ

 人家を消し去る悪戯だ

 それを誰の仕業とす

 それを誰の所為とする

 雲の上に隠ぬものよ

 お前は何に憤る』

 【射頭奈イズナ】。


 どん、がらがっしゃんと雷の音が鳴り響き、お互いの手の平から大地を揺さぶり大気を裂く稲光が放たれる。

 雷は衝突し、億万の鳥がいっぺんに羽ばたくかのような異音を放ちながら捻じれ、入り乱れ、渦巻き、そして、無数の白い球となって消えていった。


「な……な……」

「最大の魔法ってこれか。”スペルカード戦”における三種の神器のひとつじゃねーか。知ってるか。対戦ゲームにおける強テクなんてもんはな、誰でも使えるし対策もされてんだよ。今回は真っ向勝負で打ち負かしたが」

「お前、スペルカードを使っていない……!? 詠唱文を、暗記しているのか?」

「たりめーだ。業界じゃ常識よ」


 スペルカードを装填しておくには、スロットがいる。

 普通の人は五指に宿せるので5つまで。中にはもっと差し込めるやつもいるが、基本は5。

しかし、スペルを暗記していればスペルカード無しでスペルを使用できる。

 僕は、スロットをまだひとつも使っていない。


「それにお前、俺より後に詠唱してるのに、なんで俺より早いんだよ!」

「詠唱なんてさっさと済ますにこしたことないでしょ」

「ずるい、ずるいぞ、なんだよそれ。俺に舐めプしてんじゃねーよ、タコ!」

「ってゆーか、一人称ボクとか言ってなかったっけ? お前」

「う、うるさいなぁ!」


 子供か。

 まぁ、だからといって、何をしても許されるということはないが。


「さて、これから先は応用編になるな」


 僕は右腕を広げ、それを霧状に”延ばす”。

 自分の体は自由自在。体の密度を極端に薄くし、霧状にすることだってできる。


「な、何だこれは、煙いぞ!」

「この状態で、スペルを使えばどーなると思う?」


 ああ、いつか先輩風吹かせてクシナサラに話して聞かせた内容と同じだ。

 次のステップだ。

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