第2話

 僕はぱちりと、目を覚ます。

 ベッドの上で、布団の中の温もりを感じつつ、カーテンの隙間から零れる朝日と光の柱みたいに浮いている埃と猫の毛と、自分のにおい。

 不思議な気分だ。僕は目を覚ますたびにそう思う。

 寝る直前のことさえ覚えちゃいないのに、目を覚ますと、さも当たり前のように自分の脳みそは記憶を繋いで動き出す。

 実は人間は眠る度に死んでいて、記憶を継いだ新しい人格が動いているだけだ、なんて学説が発表されても、僕は納得してしまう気がする。

 なんて、思春期特有の妄想かな。

 僕はシャワーを浴びて歯を磨いて、高校指定の学ランに袖を通す。

 朝はパンとバナナ。牛乳で流し込む。

 行ってきますなんていちいち親には挨拶しないけど。

 ちりりんと鈴の音を鳴らしながら、一匹の猫が僕の元に駆け寄ってくる。

 青みがかかった灰色の毛並みをした、金色の目をしたスコティッシュフォールド。


「行ってくるよ、スミレ」


 スミレを撫で回す。ぶちゃいくな笑顔。だからスマイル。「Smile」から取って、スミレと僕が名付けた。

 この子には、挨拶をしておこう。


「ぶにゃー」

「よしよし」

「ふしゃー」

「なんでキレんだよ」


 もふもふの毛玉。スミレに引っかかれながら、僕は家を出た。

 トカ田舎、という名称がしっくり来るような、都会でも田舎でもない中途半端な街並みが続く。皆ここで仕事をしているわけじゃなく、ここに寝に帰っている。だから不便なことに、近くに学校はないので、自転車と電車で通学する羽目になっている。

 海辺の町でもあるので、駅に近づくにつれて潮の香りが強くなる。

 長く退屈な通学路を乗り越えて、ようやく辿り着くのは築40年なのにピカピカではない校舎。

 ガラガラと建付けの悪い扉を開けて、教室に入る。


「おはよー」

「はよー」


 賑やかな挨拶が交わされるが、僕にはされない。

 部活にも入っていない。勉強もできない。スポーツができるわけでもなければ、容姿に秀でているわけではない。が、別に何かに劣っているわけではない。

 そんなパッとしない、フツーの生徒なのだ。僕は。

 ところが、まぁ人間なにかしらの部分で自分を表現したくなる生き物なわけで。

 僕にも当然、誇れる特技のひとつやひとつ、うん。ひとつくらいはある。

 クラスのみんなは、誰も知らない。


(僕が、実はめちゃくちゃ早口言葉が得意であることを……!)


 まぁ披露する場なんてないから、意味ないんだけど。

 そう、僕は、早口言葉がめっちゃ得意なのである。

 しかも実は夢の世界ではヒーローなのである。

 現実ではパッとしない陰キャ男子。しかし、実は早口言葉が得意で、夢の世界では悪事を裁くヒーローなのだ。えへん。

 そう思えば、現実の退屈な時間も、劣等感に悩まされることなく過ごせる。

 スマホで放置ゲームを周回させながら、僕はダラダラと朝の時間を使い潰した。


「ねぇ、チクタク」


 凛、と鈴を転がしたような軽やかな声で。

 そんな僕に、珍しく声をかけてくるやつがいる。


「チクタクミだってば」

「8割合ってるじゃん。お昼一緒に食べようよ」

「女子とふたりで会話は角が立つ」

「あ、逃げんなって」


 僕はため息交じりに立ち上がり、場所を変える。

 後ろの少女はついてくる。

 首筋の辺りでパッツリ切られたおかっぱ頭に、女子の割には鋭い目、背丈は女子の割にはすらりと高く、凛とした佇まいがピッタリの、クールビューティと呼ばれるような女子高生。

 左目の下にはほくろがついている。天然のアクセサリー。白い肌によく似合う。

 これがまた、頭脳明晰、スポーツ万能、不愛想という三種の神器を兼ねそろえている。しかも休み時間は本を読んでいるような、ザ・高嶺の花子さんが僕なんかと話しているのが周知されたら、僕の安寧が一夜にして崩れ去る。

 僕はこっちの世界じゃ目立ちたくないんだ。

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