第40話「グリムリーパー・サイズライム」
夜の戯画町をバイクで疾走し、俺は家まで戻る。
——とはいえ、そこは今、文字どおりの魔窟と化しており——
まだ家の周囲だけとはいえ、既に魔酒の瘴気は外に溢れ出しており、事態がのっぴきならない段階まで差し迫っていることを否が応でも理解せざるを得なかった。
唾を飲み込み、覚悟を決めて俺は——
——今ここで、家ごと破壊すればあるいは——
——そのような案が脳裏を過ぎる。だが、だがそれでは、ゲンスケさんが、そして……エリカさんが、救えなくなる。というかそもそも、既に結界が形成されつつある月峰邸を破壊するには、内側から俺の浸蝕結界を展開する他ない。
鮮凪アギトの【
——あるいはこれも、シュテン=ハーゲンの策略の内か?
極級アヤカシの案件が乱立している以上、そういった推測も過るが、実際のところはハッキリとした確証があるわけでもなく、今は眼前の極級アヤカシ・シュテン=ハーゲンに集中する他ない。
警戒を怠らず、神経を尖らせて、意識を研ぎ澄まして、俺は——魔剣【
——音がしない。家の中で、何一つ。
生活音がしないのはむしろこの状況では当然であり自然であり想定内だ。
だが——戦闘音すらしないのは、何が起こり、そして何が終わったのか。
嫌な予感、したくもない想像、最悪の状況、そういったものが俺の脳内で回転し、巡り巡って廻り続ける。
「くそっ——それでもッ!」
俺は廊下を一気に走り抜け、リビングであったはずの浸蝕された魔窟に侵入する。
——浸蝕結界【
名前が脳内で響き渡る。
それが、この空間が既にシュテン=ハーゲンの結界に浸された証明であり、これが外まで広がってしまう前兆であり、そして——最悪の場合戯画町全てを焼き尽くすトリガーとなりかねない状況そのものであった。
だが——だがこの浸蝕結界は、何かがおかしい。これまでの浸蝕結界とは、明確に何かが違う。いや、なんならむしろ、俺がやっている応用技の方が近い——
——いや、それなのだ。
やっていること自体は、俺が自分の結界を他の結界に流し込んで乗っ取る方式に近い。
これは——この世界そのものに、シュテン=ハーゲンの浸蝕結界をじわじわと流し込んでいる。そういうことなのだ。
つまりこれは、結界を展開すらしていない。
——今部屋の中心にいるシュテン=ハーゲンが垂れ流している。
なんだ? それは要は——
「——シュテン=ハーゲンお前。
お前そのものが浸蝕結界なのか?」
俺の問いに、結界の主人——いや、結界そのものであろうシュテン=ハーゲンは、見知った人の面影が残る顔で嗤いながら、
「——御名答。素晴らしいな人間。
この身体にもようやく馴染んできたわけだが、お前のその理解の早さも捨て難い。殺したら酒につけて保存して肉体ストックにでもしておこうか」
——本当に、ただただ気に障ることを言ってのけた。
「——わかってると思うが、俺はお前と喋りにきたわけじゃねぇ」
「なら死にに来たか。殊勝な心掛けだな人間」
「逆だよアホ。エリカさんの姿でこれ以上クソみてぇな勘違い発言すんじゃねぇ」
足元に結界を
「達者だな人間。だが即座の展開ではその程度。
手数がまるで足らんなァ……ッ!」
シュテン=ハーゲンが哄笑とともに、何本もの触手をぶん回しながら接近してくる。
——が、それだけではなく、周囲に流れ出しているヤツの結界液からも手のような形状をした魔力の塊が、悍ましいまでの物量で迫ってきており、つまりは挟撃されている。天井や床も含めた四方八方から!
——ゲンスケさんが姿を消して、おそらくそこまで時間は経っていないはず。であればつまり、現段階のシュテン=ハーゲンは、僅かでも余裕が生まれれば凄まじい速度で結界を溢れ出させることが可能だと言うこと——!
——ならば、一か八か、この結界を上書きする他ない——!
シュテン=ハーゲンの結界による浸蝕を抑えるためならば、例え時間稼ぎにしかならなかったとしても、俺の浸蝕結界であれば出力的にも一時的な上書きが可能。
それで地の利を得ている内に押しきる。これが現状取りうる最適解。
でなければ、結界はともかく、肉体のスペック差によって俺はなす術なく始末されてしまうだろう。
まずこの周囲から無数に伸びる魔酒の魔手。これを一々斬っていてはキリがない。既に罠の只中にいるに等しいこの状況——仮に乗り切ったとして、次に待つのがシュテン=ハーゲンの触手攻撃。あれの先端には鋭利な刃が付いており、なんならおそらく魔酒に浸した一種の毒手でもあるだろう。毒酒の毒手、なのだろう。
それすら突破してもなお——使用可能かは不明だが——仮にエリカさんの術式さえ使えるのならば、それらの攻撃と同時に【
終わりだ。このまま戦えばどう考えても詰みだ。このアヤカシ、派手さよりも堅実な勝ち筋を組み立ててくるタイプの強者だ。そうなれば経験差も含めて、いよいよ俺に勝ち目はない。
だからこそ——このタイミングで結界を展開させる他ない!
「——
【
結界を浸透させるために、まず第一段階として、このフロア全体に魔力を通す。そのスキャンにも近い行程——時間にして一瞬にも満たない刹那——その時、俺は確かに捉えた。
——ゲンスケさんの魔力を。
これをシュテン=ハーゲンが見逃すはずがない。であればやはり、ゲンスケさんが何かをして、シュテン=ハーゲンはそれへの対応をしつつあった状況——そして、このカードを、ゲンスケさんが奥の手として取っておいたこの封印カードを、俺は見たことがある。
——俺の浸蝕結界が展開されていく、その最中、それを妨害するかのように、魔酒の魔手たちが大挙して結界外殻に食い込んで染み込んで食い破ろうとしてくる!
「当然だ人間! わしがその手を読まんはずがなかろうがァ!」
切り札たる結界の展開が阻害されていく中、それでも俺は冷静だった。
それは、無数の魔手が俺ではなく結界展開の阻止に回されているから、だけではなく。
“開登。このカードに封印してる鎌はな、前にお前んとこのエリカねーちゃんと一緒に倒したアヤカシの武器なんだがよ。まぁそのアヤカシの強かったのなんの”
食い破られていく、俺の浸蝕結界が、展開途中で破壊されていく。
“そいつはだな、溶解を操るアヤカシ。まぁなんつーか溶解の妖怪って感じの、スライムが人の形を取ったアヤカシだったんだよ”
「——万策尽きたな、人間。
“——そいつの名は【
鎌に触れた対象の状態を、液体と固体とで自由に操作する、難敵だったよ”
鎌に触れた対象。つまりそれは、鎌の持ち主であろうとも例外ではなく。
魔力が残留している以上、霧散していない以上、どのような状態であろうとゲンスケさんは生きている。
「——よもや、グリムリーパーめ。わしにも能力の全貌は話しておらんかったな……!」
アヤカシ同士もまた競争相手がゆえに。
既知であったシュテン=ハーゲンでさえ、実際にグリムリーパー・サイズライムと戦ったわけではなかったがために。
その未知が、シュテン=ハーゲンに判断を誤らせた。
シュテン=ハーゲンが鎌の効果範囲に気づいた時既に——マザリギツネの装甲を纏った緑川ゲンスケが、固体へと戻ってシュテン=ハーゲンを背後から羽交締めにしていた。
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