第39話「本音で話せ」
——戯画町の外。隣町どころか、隣の市との境界線上の山。その中継地点の休憩所に、俺と白咲はいた。そこまでの標高ではないがそれでも坂道を少し登った場所なので、バイクは麓の駐車場だ。
俺はそこで——
だが——
「……それで、根源坂くん。
話って何? わざわざ深夜帯にこんな人気のない場所まで連れて来て、それで大した話じゃなかったら……私でも、この『仏の顔が十回も!?』と称されている私でさえも、怒るわよ? そう、十度目ではなく一度目にして」
「お前が一度たりとも十回耐えたことがないであろうことはよくわかった。実際俺は一度たりともそこまで我慢されたことがないからな」
——俺が思わせぶりなことを言ってしまったためであるが、白咲彼岸が俺を帰してはくれなかった。
ちょっとしばらくここにいてほしい——そう言ったはいいが、流石に押しが弱すぎたのか全く納得してもらえず、どうしたものかと考えていたところ先ほどの発言が飛んできたのだった。
「ええそうね。根源坂くんにはそういう遠慮は必要ないかなって。私はそう思っているわけよ、そう、常日頃、日常茶飯事と言った感じで、もう何度も怒りからかおへそで茶を沸かすって状況に陥りまくっていたわけなのよ」
「はらわたが煮えくり返ったの間違いじゃないか?」
「そうとも言うわ。この期に及んで随分と冷静なことね根源坂くん」
「そうとしか言わないんだよ。あと冷静なのはお前の天然ボケがあまりにも無軌道に暴れ散らかす毎日だから自然と体に染み付いてるからだよ」
「あら言うじゃない。それはまるで私が結構な頻度で言い間違いをしているかのようじゃないの。義憤って感じだわ」
「憤慨って言いたかったのか?」
「良い度胸ね根源坂くん。敦盛でも舞うかしら?」
「その気はないな。五十と言わずあと百年待ってほしいね」
バチバチと、見えない火花が俺らを照らす。この言い合いも慣れたもので、思えばここ数年ずっと、顔を合わせるたびにこのようなわけのわからん舌戦を繰り広げていたわけなのだが——果たしてどういう心境で、どっちから言い始めたのか。もうそこらへんも覚えていないのだった。
ただ、まぁそのなんだ——こういう言い争いをしている時というのは大体何かしら抱えている物事があって、それと向き合うのがしんどい時で、それでもなんとか向き合わねばならない——でもそのための元気が足りない、そんな時である。
俺は大概そういう時で、当然今もその最中で、戦いの只中で。
でもアイツと——白咲彼岸と話している時だけは、少しどころかかなり大幅に、大胆に、大っぴらに、そういった不安が霧散していく——俺の中の霧が晴れていく——そのような心持ちでいられる。それは紛れもない事実であり、なくしたくない心の拠り所である。
「百年? そんなに待てるわけないでしょうが。あなたが死ぬのにそこまでかかるのだとしたら、私はそれまでどうしていれば良いのかしら? それまでずっとあなたと特にこれ以上何するでもなく、ただただ毎朝家の前で顔を合わせて、『あら』『うわ出た白咲』みたいな会話をして喧嘩して、そのくせ私についてくる——そういう生活をするというのかしら? 仕事とかきっと別のところだと思うのだけれど、それでもなお、今のような関係を続けるつもりなのかしら?」
相変わらずのマシンガントークで俺を圧倒する白咲。今思えば、これは少しばかりサカサヒガンの影響を受けているのではないかと思わなくもないが、まぁそれは良い、それは置いておいて、なんとなくだが——今彼女は何かを伝えたがっているような、そんな気がする。気がしてならない。穂村まりんに「嘘だろ」みたいなことを言われた俺だが、それでも流石になんとなくは察するものがある。だからきっと今、白咲は俺に何か本心のようなものを言おうとしている——のだと思う、思われる。
正直言って自信がなかった。俺も大概素直じゃないしめんどくさくてナイーブなところがあると思う。
だがきっと白咲はそれ以上だ。なんというか話し方の節々から『伝われオーラ』をひしひしと感じる。穂村に言われた以上、そこらへんにも気を付けてみたのだが、なるほどこれは確かに、彼女は——白咲は、だいぶ面倒で婉曲的な言い回しをしているように思われる。正直どうやって俺が素直な返答をすれば良いのか、これが逆にわからなくなるレベルだ。
しかしそうも言っていられない。こうしている間にも、エリカさんは、ゲンスケさんは、そして穂村は、危険な目に遭っている。その可能性が高い。特にエリカさんは————悔しいことに、助けられないかもしれない。
だから、ああだからこそ、俺はここでウダウダやってはいられない。いられないというのに、なのに——どうして俺は、
俺は、それでも白咲彼岸を第一に考えているのだろう。
この状況、どう考えたって適当な理由をこねくり回して作り上げて、つまりは捏造して、そこまでして、そうまでしてまでも——白咲を騙してでも、彼女をここに退避させた状態で、俺は戦線復帰しなければならない。一刻も早く、戦いに戻らなければならない。だというのに、ああ、ああ俺は——
「……ああそうだな。俺はいつだってお前とのその意味わからん口喧嘩を、なんか知らんけど楽しみにしているところがあるよ」
「えぇ……それちょっと変じゃない? なんだってストレス発散なのかストレス発生なのかわからないような言い争いを楽しみにするのよ。私はこれっぽっちも、ミジンコサイズすらも、そんなこと、きっと、たぶん、全然思ってもいないのだけれど。だというのにあなたは、根源坂くんは、私との喧嘩が楽しいって、そう言いたいの?」
「…………そうさな、俺も本当に意味わからんのだけど、きっと本当に楽しいんだと思う」
——俺は、本当のことを言えずに死闘へ赴くことを、いつの間にか恐れてしまっていた。
アヤカシハンターとして、それは本当に駄目で、失格で、情けなくて——ああ、だというのに俺は、俺は——なぜだか涙が出てきて。思わず彼女の両肩に手を乗せて、少し体重をかけてしまって、
「——あぁクソ、俺さぁ、もうさぁ、ダメだわ。
俺さぁ——なんか、お前と離れたくなくなっちゃったわ……」
そんな、優柔不断な、弱腰の言葉をボロボロ吐き出してしまっていた。
「……ちょっと根源坂くん。
いやその、あんまり家では深く考えたことなかったけれど、私これでも一日あったことを色々とね、寝る前に反省するタイプなのよ。意外かもしれないけれど」
白咲は白咲で、若干前後の文脈につながりがあるようでないような、しどろもどろな言い回しで、何かを言おうとしている。俺は涙を抑え、鼻をすすりながらも、どうにか落ち着いて耳を傾ける。
「——私だってそりゃ、全然話すの得意じゃないし、全くこれっぽっちも素直じゃないし、そういうところ可愛くないなって、そう思うけど。
それでも、いつだって私、『明日こそは上手く話そう、素直になろう』って、一日のことを思い返しながら反省会してるのよ。で、そういう時にいつも、本当になんとなくだけれど——
——根源坂くんが、何か隠してるなぁって。そう思うこともまぁ、それなりにあるのよ。あったのよ」
「——————」
……あぁ、まあそりゃそうだよな。
いくら違和感が反転している状況下だと言っても、限界寸前のサカサヒガンの術式で、しかもそのほとんどを白咲の蘇生と俺への能力起動に当てたわけなので、白咲が抱いた非日常への疑問——その全てを反転させて霧散させることなどできないのだ。できなかったのだ。
——潮時。そのような言葉が過ぎる、過ってしまう。
もう隠し通せない。もう、彼女を平穏の中に置いておくことなどできない。
俺には、もうできない。なら、もう、俺には守れない——。
崩れ落ちそうになる膝。漏れ出すそうになる嗚咽。ごめんサカサヒガン。俺はもうこれ以上、彼女を平穏なままにはできな——
——抱擁、あるいはハグ。
誰に? 他でもない白咲に。
誰が? 言うまでもなく俺が、根源坂開登が。
状況判断が覚束ない中、俺の首元に吐息がかかり、少しして彼女が話し始めた。
「——でもね。別に良いかなって」
「——ぇ」
「……だってね、根源坂くんが何か隠していたとして、それはきっと私を傷つける意図とかじゃないって、それだけは信じられるから。
……根源坂くん、あなたも大概素直じゃないけれど、それでも私に酷いことはしなかったから。だから今も、あなたがクソ真面目で良い人なこと、信じられるから」
言いながら白咲は、少しずつ顔を離していって、いつしか眼前に移動していて。そのまま彼女は、
「——そうね、そういうわけだから、あなたがいつか打ち明けようかなって思えるまで、五十年でも百年でも、一緒に暮らしたいなって。
あなたと一生過ごしたいなって。
——あぁ。やっと素直に言えました」
照れ笑いで、そう言った。言いきった。
俺を好きだと、そう言った。
……あぁ情けない。俺は本当に情けない。
素直になれずにここまで来て、どっちつかずで泣きながら。
ならせめて。ダサいなりにも、カッコつけよう。
「——白咲……いや、彼岸ちゃん」
「——わ、久々に聞いた」
「——俺だって、本当は彼岸ちゃんのこと大事でさぁ! どこにも行ってほしくなくてさぁ! こんなにダッサい俺だけどさぁ!
それでもさ……好きって言ってくれたからさ、俺絶対戻ってくるからさ。
——頼むから、ここで帰りを待っててください。俺を信じて、待っててください」
もうほとんど祈るかのように、彼女と俺の無事を願って、俺は彼女にそう返した。
彼女は、少しだけ噴き出してから、
「……ぷふ。やっぱ本当はちょっと締まらないのよね根源坂くんって。
でもそれで良いの。それなら『次はもっとカッコよく決めよう』って思えて帰って来れるでしょ? だからまだまだダサいままでいて。
代わりに今は、私が超絶美少女として、素敵に決めてあげるから、ね——」
——ちゅ。
口元に柔らかい感触が一つ。いや唇は上下なので正確には二つ。
混乱する中で、それでも俺は、彼女の想いに応えた。
戦いの刻限は差し迫っている。だからいつまでもこうしてはいられない。けれど、ああけれど——
もう少しだけ、あと少しだけこのままで——。
長年の想いを込めて、俺は——十数年ぶりに、彼岸ちゃん絡みの我儘を通したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます