第38話「反転識亡・白昼霧」
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幕間/回想
——幼き日の俺が提案に乗った結果どうなったかと言えば、極級アヤカシ——【反転概念】であるところのサカサヒガン・リバースリリィは、まんまと、思惑どおり、狙いどおりに、白咲彼岸の肉体に乗り移った。元の、最早残骸に等しい——宙に浮いた逆さまの彼岸花だったサカサヒガンは今、幼き日の白咲彼岸の肉体を浸蝕していた。
ガキの頃の俺が純粋すぎたゆえの失態、失策、失敗。取り返しのつかないミス。俺はまんまと、罠にかかり、誘導され、白咲彼岸——その肉体をサカサヒガンに奪われたのだ。
だが——彼女が既に亡骸であることを、サカサヒガンは魂を浸蝕させた後に気づいた。
「——小僧。お前、この娘が死んでいるからアタシに寄越したのか? アタシがその程度で受肉をし損じるとでも思っていたのか? いやそれ以前に——アタシの機嫌を損ねたら、お前が死ぬだけだと気づかなんだか?」
詰められている、詰問されている。今の俺ならわかることだが——当時の俺にそこまでの詳細事項を理解できるほどの経験値はなく、ただよくわからない怒られ方をされているとしか思っておらず、いや、なんなら——
俺は、白咲が死んだことすらわかっていなかった。
ただ寝ているだけだと、頭の怪我が痛いから、我慢するために寝ているのだと。
かつての俺はそう判断していた。
車が炎上でもしない限り、頭から血が溢れ出た程度では、人は死なないと——当時の俺は信じきっていた。というより、肉体の損壊というものの重大さを見誤っていた。理解していなかった。幼少ゆえの世界への無知が、ただ単純に、悪い方へ作用しただけだった。
だから俺は、ただただ純粋に、「彼岸ちゃんは死んでないよ」と、大真面目にそう答えたのだ。
あの時の、呆気に取られたサカサヒガンの顔は——今でも忘れられない。
「——あぁ、得心がいった。
小僧、お前はアタシが思っていたより小僧で、純粋で、まっさらなのだな。
——それでいて、孤独な迷子だ。
アタシの新たな器たる娘の記憶も読んだ。……このアホめ。お前たち、もう頼る者もいないではないか。そういうのを天涯孤独と言うのだ、たわけが」
——炎上のビジョンを見たのだろう。いやそれ以前の、もしかしたら、俺にはわからなかった家庭環境のことをサカサヒガンは理解したのかもしれない。
いずれにせよ、今更掘り下げることもできない過去ゆえに、俺にとっても白咲にとっても実のところそこまでの影響を及ぼさない過去。
とはいえ、俺と白咲がこの時点で、サカサヒガンと遭遇した時点で、二人とは言え事実上の天涯孤独となっていたのは事実であり、加えて言えば、この時白咲は死んでいたため、間違いなく俺こと根源坂開登は天涯孤独であった。
それらを、白咲に残留した記憶から垣間見たのか——サカサヒガンはしばらく口をつぐみ、ため息のような呼吸を続けていた。
気づけばいつの間にか、【芸都トンネル】の外では雨の音がサーっと静かに鳴っていた。霧雨である。
「——たわけが。こんなもの食えるか」
しばしの沈黙の後、サカサヒガンがようやく口にした言葉がそれであった。そこには苛立ちと、どこか憐憫の感情が乗っていたように、今では思える。
薄まった記憶による、都合の良い脚色かもしれない。けれど、そうであっても——そう呟いたサカサヒガンの表情は、当時の白咲がしたことのない、憂いを帯びたものであった。
「……お前に言ってもしょうがない話だがな。アタシ、いや、アヤカシという存在はな、ただこの世界に根を張りたいだけなんだよ。
アタシたちだって、どうして結界を通してこの世界を浸蝕しているのかなんてわからんさ。
でも確かに、アタシたちは、安住の地に焦がれているんだよ。
一人で結界の中に誕生して、一人でそれを拡張していって、誰がつけたかも知らん【芸都トンネル】などと言う名称のこの結界を大きくして——本当は【
何を言っているんだろう。俺の正直な感想がそれで、とは言え、(この人にも何か大変な事情があるのだろう)ということだけは理解できていた。
この時のサカサヒガンの発言だって、正式な結界名が出ていたことで脳裏に刻まれたために覚えていたに過ぎず、当時の俺にそのような事柄を理解する余裕も経験もなかった。
「——なぁ、小僧」
白咲彼岸の身体で、彼女がしないような表情で、サカサヒガンは言葉を続ける。
「……アタシもな、天涯孤独と言えば、まぁそうなんだよ。帰る場所もなく、それでいて、お前たちの世界をあたかも帰るべき場所かのように取り違えて、アタシたちは勝手に望郷の念を抱いてこの世界に来ている。
最初の目的など、アタシたちにはもう残されていない。お前たちの望む答えなど、アタシは持ち合わせていない。
だからお前たち人類にとって、アタシたちは災害のようなものだろうさ。ただ立ち向かうしかない障害だろうさ。お前にとってはよくわからん話だろうがね」
アヤカシハンターたちが長い年月をかけて知ったであろう情報を、サカサヒガンは惜しげもなく幼少期の俺に語る。その表情は、なんなら慈愛の色すら垣間見えるほどであった。
「——でもな、だからこそなのかな。
アタシには、お前たちを蔑ろになどできない。取って食らうことなどできない。浸蝕の足がかりになど、できない。
勝手で悪いがな、お前とこの娘は、アタシなんだ。同じ境遇なんだ。
同じ目に遭っている、それも子供を。アタシは、捨て置けない。……バグかな、バグかもな。でもどうしてもアタシに重ねてしまう。この娘の記憶を読んだからかな、アタシはなんというか——その時点で、お前たちに負けたのかもしれん。口惜しく、意味もわからんが、とにかくそうなんだ。だから——」
言いながら、白咲の肉体から、逆さまの彼岸花が姿を現した。
「——ほれ、約束どおり娘は助けてやったぞ。
娘の死を、アタシが反転させた。
そいつの頭部出血は有耶無耶になり、生き返って今はただスヤスヤ寝ておる。
でだ。アタシはそのせいで、ついに花の形態を維持するのも難しいほどに、もうほとんど術式だけの存在になってしもうた」
そして逆さまの彼岸花は、ふよふよと浮遊して俺の方へと向かって来て、
「——この力をお前にくれてやる。
精々強くなれ。それでその子を守ってやれ」
——これが事の顛末。
白咲彼岸が生き返り、俺がアヤカシの力を得た経緯。
これを以て【反転概念】サカサヒガン・リバースリリィは滅び去り、超巨大浸蝕結界【芸都トンネル】もとい【
この時の魔力激震を感知して、俺たちを発見したのがエリカさんだったわけだが、それはまた別の話。
とにかくこれ以後、俺は紆余曲折ありつつも、無事人間であることを認定されアヤカシハンターとなり、その間ずっと言い張り続けていた
「——俺が彼岸ちゃんを守るんだ」
それが、サカサヒガンとの約束ゆえなのか、それともそれ以前からの気持ちなのか、今の俺には、もうよくわからなくなっていた。
……それも近いうちにハッキリするだろう。
エリカさんがシュテン=ハーゲンの手に落ちて、いよいよあらゆる物事を白咲に隠し通せなくなっている今、俺は——
自分の本心が不明瞭であろうとも、俺は——根源坂開登は、白咲彼岸と向き合わねばならないのだ。
幕間、おわり。
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