第33話「ファム・ファタール」
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誰かの独白/あるいはポエム
無垢というのは恐ろしいです。
恐怖もなければ罪悪感もなく、
ただただ純粋に、純真に、
己が欲望に忠実で。
己が好奇心にまっすぐで。
ある意味微笑ましいですね。
幼子が時折見せる残虐性というのも、
きっとこれの類例なのでしょう。
ほら、羽をむしられたトンボ。
ほら、切断されたアリ。
ほら、鱗粉も羽もバラバラのアゲハチョウ。
これをした子どもに、
悪意などおそらくありません。
これをした子どもにあったのは、
胸いっぱいの好奇心と、
——ほんの少しのいたずら心。
怖いですね、恐ろしいですね。
でもそれは、
物事の分別がついた今だからこそわかること。
事の重大さ、深刻さ、残酷さに気づくのは、
残念ながら少し大人になってからなのです。
——ああ、その時に知っていれば。
その罪深さを知っていれば。
私はきっと、やらなかっただろうに。
後からならなんとでも言えます。
でも、まだ精神的に子どもだった時の行動は、
悲しいことに、起きるべくして起きるのです。
——一寸の虫にも五分の魂。
そうなのです。
なんであれ、
命は弄んで良いものではありません。
それを知って、人は大人になるのです。
小さな虫さんたちの儚さを知って、
命の重さを知るのです。
——ではアヤカシは?
——そして、■■である私は?
……もうどうにもなりません。
ほんの一瞬の気の迷いで、
その過ちは為されました。
彼はきっと——断罪するでしょう。
私はそれを、ただ————
幕間、おわり
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かつての友である崎下トオルが変質してしまったアヤカシ、ダークシトラス・プラウドハートを超重力の穴に突き落とし、俺は穂村の待つ戯画高等学校・図書室へと歩を進めようとする——その寸前。
——背後、つまり超重力地帯であるところの【芸都トンネル】から爆炎が轟き上がる。
「————!」
驚きつつも魔剣を具現化させ、臨戦態勢でトンネルを超視力で睨む。そこには——
「崎下——いや、ブラッドソード……!?」
炎に包まれしその体躯は、先刻のそれより変貌し変革し変生し——どこか機械的な金属感の漂う鎧を身に纏った吸血鬼——ブラッドソード・プラウドハートとなっていた。
ヤツは死んだはず。死んだはずなのだが——
「——根源坂。魂の浸蝕だ。上級以上のアヤカシ——その主従特有のな」
ゲンスケさんが、資料で読んだことのある特殊現象を口にした。
——魂の浸蝕。
それは上級以上のアヤカシが、自身の眷属、或いは従属させた他のアヤカシなどに対して刻む事のある術式であり、それはそこまで高い成功率ではないものの——成功すれば自身の死後に、対象のアヤカシの体内に存在する自身の魂の断片を起点にして魂を浸蝕するというものであった。
その際、術式は肉体に宿るものが残存するのだが、それはつまり————
「——ブラッドソードお前、爆発と再生を繰り返してここまで這い上がってきたのか?」
燃える肉体はその証左。その苦痛に歪む相貌は、歪んだ時空における、永劫とも一瞬とも取れない——悠久にして刹那の脱出劇を物語っている。
「——根源坂。ありゃ浸蝕結界が崩壊してんな。なんせあれだけ時空の歪んだ超重力圏だ。たとえ無限に再生できる術式であろうとも、座標や時系列のラグによって、少しずつ魔力も肉体も抉れていく。それでもなおここまで這い上がってきたその執念には驚くばかりだが——だが、あれはもう倒せるぞ」
——討伐可能。
そう宣告されたブラッドソードの肉体は未だ燃え続け、それでも燃え盛る魔槍を引き摺りながら迫ってくる。
——ああ、あれはもう、どうやったって倒せてしまう。万に一つの確率で復活した上で、億に一つの確率で超重力圏から這い出してきて。
その上で、俺かゲンスケさんによって即座に倒されてしまう。
それはもう変えようのない事実、変えようのない事象。
この状況で、ヤツを——ブラッドソードを逃走させる理由などない。
だが——
「——根源坂。後は俺がやる。お前、まだ行くとこあんだろ」
言いながらゲンスケさんが、カードを取り出して戦闘態勢に入る——それを、俺が手で制止した。
「おい根源坂。どういうつもりだ? アイツに情でも移ったか?」
「そんなんじゃないです」
怪訝そうなゲンスケさんを制止したまま、俺はある一つの懸念を払拭すべく前へ、燃え盛るブラッドソードへ進む。
「……また貴様か、小僧、
槍を俺へと向けながら、憤怒と怨嗟をむき出しにしてブラッドソードが吠え立てる。
俺はそれに臆する事なく、ただただ冷静に、目標達成のために動く。
「——ブラッドソード。お前、惚れた相手に会いたいんだろ?」
「——————……!!」
ブラッドソードは、瀕死のブラッドソードは、苦悶の表情を僅かばかり和らげて、
「——そうだ。少し前に目にした、あの女に、我はまた会いたい」
「お前に入れ知恵したっていうヤツか?」
“——悪いが、これでも惚れた女には弱いのでな。それを話すことは、決して有り得ぬ”
「……言いたければそう言えば良い。
だが彼女は、私にとって
「——駄目だ。お前はここで俺が倒す。
だが伝言ぐらいは聞いてやる。
だから教えろ、そいつの名前を」
——超重力圏での長い旅路の果てに、ブラッドソードは死に至る。彼自身もそれを理解していたのだろう。
ゆえにこそ、彼も少しは素直になった。なっていた。
「——あぁ、もう良い、わかった。
……であれば、伝えてくれ。或いは同族であったかもしれない彼女に。我が想いを——」
雨が降り始め、森を、葉を、土を、アヤカシを、俺たちを、濡らしていく。
そして、その秘めたる想いを吐露したアヤカシは最期に——
——遠雷が轟く。その間に。
——最期にその名を口にして、ブラッドソードは灰と消えた。
「……ゲンスケさん」
その名を聞いた俺も、ゲンスケさんも、どこか胸にぽっかりと穴が空いたような心持ちで——
「——いや、たぶん誰もが、薄々、いずれこうなるって思ってただろうさ。
だが、それでも彼女のことを思って、黙認していた。
……お前だけじゃない、そもそも来歴を考えれば、あの行為を庇えるわけねぇんだから。だから黙認していた俺らにだって咎がある。
そこまでしてまでも、彼女を殺したくなかったからな。それじゃ報われねぇからな。
……だがそれで白咲ちゃんを危ない目に遭わせた。危うく死なせるところだった。
——おそらくもう、手遅れだったんだ」
◇
——俺との一戦目で傷を受けたブラッドソードが、凶行に走る際に白咲を攫った……あの一件。
——その入れ知恵をしたアヤカシがいる。
いやおそらく——そもそも一戦目自体、そのアヤカシによって仕組まれていたのであろう。
ブランク明け直後の俺が、将来的な脅威となる前に始末しようとした、そのアヤカシによる計画的殺人事件。いや未遂ではあるのだが、とにかくそれは、俺を狙って行われた。
そのアヤカシは、その時点では戦う力を減衰させており、俺を倒すことは不意打ちでも困難だったのだろう。
だから——隙を見て、策を打っていたのだ。
——そのような独白と共に、俺は、人払いの結界が張られた夜の戯画高等学校、その校舎内を歩いている。
目指す場所——図書室は目前。
俺はただ、ある一念を胸に扉へと手をかける。
そして————
「——先輩。どうして……なんで来ちゃったんですか?
私はあなたの宿敵なんですよ。不完全とは言え、【確率魔性】ラプラスなんですよ? そんなヤツ、もう無視して、先輩はちゃんと先輩のことを好きな人のところへ行けばいいんで————先輩!!?」
堪えきれず、俺は彼女——穂村まりんの両肩を掴んで——強く掴んで、泣きながらそれを口にした。
「——穂村、俺はお前の気持ちに応えられない。今のお前が決して言わない本心、それには応えられない。……そんなヤツの、そんな身勝手な俺の、願いを聞いてくれ……頼む、穂村————俺と一緒に来てくれ……っ!
——一緒にエリカさんを倒してくれっ……!」
「——え? エリカさん、を……?」
「困惑するのはわかる! けど——けど、そもそも、そもそも——エリカさんは既に——既に——極級アヤカシのシュテン=ハーゲンに魂を浸蝕されていたんだ……ッ!」
——ただの、激戦の代償だと思っていた。思いたかった。
だから誰もがそう願い、そう信じ、それでも
事実、酒類の摂取で前後不覚に陥る以外の異常は見受けられなかった。
——違ったのだ。そう見せかけていただけなのだ。
だというのに俺は都合よく受け止めて、酒類の摂取を見逃していたし、どうにも協会側も、彼女の精神面を鑑みて黙認していたようだ。
シュテン=ハーゲンの罠に引っかかっていたことにも気づかずに。
——だがもう終わりだ。
ブラッドソードがその名を口にした時点で——事実あの晩酒に酔っていたエリカさんを見ている以上——俺は責任を持ってあの人を止めなければならない。息の根を止めなければならない。
——姉のように慕う、月峰エリカを殺さなければならない。
ゲンスケさんは、その重荷を背負おうとしている。あの人は「大人だから」と、俺からそういったものを引き受けようとする。
でも——でもこれだけは、俺がやらないといけない。こればかりは、俺が——————
「——先輩」
穂村の優しい声と、少し指先の冷たい手が、俺を包む。顔を向けると、微笑を浮かべた穂村が俺を穏やかに見つめていた。
その顔に——黒紫あげはを幻視する。
「——先輩。
ちゃんと私に向き合ってくれてありがとうございます。……結果フラれちゃいましたけど、でもやっぱまだ、先輩のこと忘れられないです。
——だからこれは私の意思です。先輩の苦しみは、事情を知る私が一緒に受け持ちましょう。
ふふ、なんだか不倫みたいでインモラルですね。白咲先輩に殺されないように気をつけないと」
徐々に普段の口調へと戻っていく穂村まりんにホッとしつつ、俺は立ち上がる。
……状況は重苦しいが、それでもコイツといる時は、バカな会話もしたくなってくる。そういう空気で、少し気分を晴らしたくなる。不思議なもんだが、それが穂村まりんってヤツの凄さなのかもしれないなと、そう思う。
「——ありがとう穂村。復帰直後のバディがお前で、本当に良かった。俺にとってお前は、あげはでも、ラプラスでもなく——おもしれーバディの、穂村まりん——なんだからな」
「先輩——それ聞けただけでも、生まれてきた甲斐があったってもんですよ……」
「そう言ってもらえると俺も嬉しいよ。
あ、でもなんでそこで白咲の名前が出るんだ? アイツはあくまでも幼馴染であって、確かに、ただの人間とは言えサカサヒガンが刻まれた存在だけど、それでもアイツは幼馴染でしかなくてだな——痛い!?」
脳天に穂村まりんのチョップが炸裂! なんで!?
「先輩はアホですか? ドアホですか?? 白咲先輩がただの幼馴染で終わるわけないでしょーが!
いや確かに白咲先輩の言い方もメチャクチャめんどくさくてわかりづらいですけど! でもあの態度どう見たって先輩のこと大好きでしょーが!! 生まれたてのアヤカシである私にすらバレバレの感情なのになんで貴方がわからないのかこれが私にはさっぱり意味がわかりません!!」
「えぇーーーーー!?」
白咲俺のこと大好きってマジ!?!?!?!?!?!?!?
「——ってちょっと待ってください。
今さっきサカサヒガンって言いませんでした!?」
「え、言ったけど。もうお前のことちゃんと信頼して話しておこうかなって思って。
アイツは小さい時に事故で死んで、たまたま近くにいたサカサヒガンによって生き返ったんだよ」
「えぇーーーーー!?
白咲先輩サカサヒガンで生き返ってたんですか!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
似たような驚き方をする俺たち。
恋人にはなれなかったけれど、たぶんきっと、今より更に良いバディにはなれそうだなと、そう思えた。
——物語は終局へ。
この盤面で、最後に立つのは誰なのか。
人か、或いはアヤカシか。
絡み合い混ざり合う、螺旋の様な混迷する状況の中で。
しかして、最後の戦いが今、始まろうとしていた。
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