第30話「ダークシトラス」
——谷間の奥に、やってきた。
穏やかな沢のせせらぎとは対照的に、見るからにおぞましい魔力圧を伴った崩落現場がそこにはあった。
周囲の空間どころか時間さえも若干歪み、それの周辺のみ——陽光や月光のローテーションが異常な速度で進行している。
それは、あまりにも膨大ゆえに——主人を失った今でさえ、崩落した今でさえ——この世界に存在し続け、凝縮され極小化した魔重力圏を発生させている
——名を、【芸都トンネル】。
パラメータを反転させる極級アヤカシ——サカサヒガンがこの世に遺した、一種のブラックホールである。
——そこに、そう、俺とゲンスケさんより先に到着していた者がいた。
その者こそ、俺たちが少し前から追っていた存在——吸血鬼ブラッドソードの眷属。
名を、自称ダークシトラス・プラウドハート。
そして本名を、崎下トオル。
加えてシャベックスのハンドルネームをサッキー。
その男は、その元人間は、俺のクラスメイトだった。
かつての肩までかかった黒い髪の毛は、今では金の長髪となって地面まで垂れており、
かつての文武両道な聡明フェイスと引き締まった肉体は、狂気の笑みと人間離れした脈動を打つ血管まみれの細身へと姿を変えており、
「——アレ? 根源坂じゃないか。
奇遇だねェ、君も花を探しにきたのかい?」
その姿を見て俺はただただ純粋に、シンプルに、脊髄反射に
「——痛ましいな。崎下」
ただそのように憐憫を口にした。
「ハァ? 何言っちゃってくれてんの根源坂ァ! 僕もうわりと事情は知っちゃってんのよ。僕をこの姿にした元ご主人様のブラッドソードが教育熱心だったんでねェ。
——お前が助けてくれなかったからこうなったんだろ?」
狂気の中に狂喜——そして隠し味程度に怒りを込めた言い様だった。
……ああ、確かにその発言は耳に痛い。俺がもっとスマートに動けていたら、崎下お前はそんな風にはならなかったかもな。それは確かにそうだ。俺にも落ち度はある。だから一言謝りたかったのだが——
「——崎下。
その引き摺ってるロープみたいなの何?」
「——何って、人の腸だけど」
何の逡巡も後悔もなさそうに、崎下はそう答えた。
——正直、それが血塗れで、なおかつハンター業の中で何度も見たことのあるものであったため、わざわざ聞く必要もなかったのだが、それでも相手はクラスメイト。何も聞かずに——という気持ちにはなれなかった。
だから一応、どういう心境なのかも含めて言葉を交わす段階に入っている。
——ゲンスケさんは黙って見守ってくれている。……そもそも、今回は念の為の控えなのかもしれないが。
「——なぁ崎下。それって、やっぱブラッドソードに脅されて殺し始めたのか?」
「いや? 僕が眷属化する直前に、アイツお前にやられたみたいだし」
「——じゃあ自分で好きで?」
「そうだよ。こうなっちゃったならやるしかないよね。食うか食われるか、野生の世界みたいだよね」
ヘラヘラと、笑いながら崎下は腸を回し始める。
「——あ、そうだ根源坂ァ。縄跳びやる? 飛んだ回数多い方が勝ちで、負けたやつ殺して良いの。どうかな————」
——気づけば俺は、脚部から魔力を噴射させて崎下——いや吸血鬼ダークシトラスへと急接近し、魔剣ナイトミストで袈裟斬りにしていた。
歯を食いしばり、怒りと悲しみとで涙を流しながら、俺はそれでも冷静に言葉を紡ぐ。
「——悪かったな崎下ァ!
お前の心がぶっ潰れる前に助けてやれなくてさァ!!」
そのままトドメを刺すべく、ナイトミストを逆手に持ち替えて心臓を突き刺そうとする——その刹那。
「使え根源坂——ッ!」
ゲンスケさんが投擲したカードが俺の眼前で光った直後、
ダークシトラスの肉体が爆発した。
漂う砂煙土煙血煙。
視界が悪く、状況は確認できない。
だが、何が起こったのかは、歴戦の経験により容易に読み取れる。
——血液を爆発させる能力。
血を吸う彼ら吸血鬼型アヤカシは、その性質上血を操る術式を獲得しがちだ。ブラッドソードはその中でもかなり一般的な血流操作能力であったと思う。当然上級なだけはあり、規模はかなりのものだったが。
そして今、崎下——いや、吸血鬼ダークシトラスが使った技はどう見ても爆発。何なら自爆。捨て身覚悟で——というか普通に自殺も同義の道連れ技。貯蓄した血液を爆発させるというシンプルすぎるがそれゆえに無駄がなく強力な能力。
当然俺だってまともに受けていたら今頃お陀仏だった。
——俺は、効果を使い終えてただのカードになったそれに視線を移す。
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『鬼傀儡-キングランドマーク』
種別:合成アヤカシ
AP:4000
【効果】
各ターンに1度、あらゆる攻撃やスキルを任意のタイミングで遮断することができる。
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「——助かりましたゲンスケさん」
あとフリードもな。流石にお礼しないとな。
「——馬鹿野郎。お前も流石に無策だとは思わねぇけど、これより良い手じゃなかっただろ」
「——はい、すみませんゲンスケさん。今後気をつけます」
そう言いながら煙が晴れるのを待つ——が、晴れた先にいたのは無傷にしか見えないダークシトラスだった。
「——お前、単純な爆発能力じゃないな?」
俺の問いにダークシトラスは笑顔で答える。
「当————然! 全然わっかんないかもだけどさァ、これが僕の浸蝕結界【
使っただけで名前も効果も割れちゃうなんてさァ……強いやつって大変だよなぁ。有名税なのかな?」
元人間のアヤカシが既に浸蝕結界を限定具現させている。その驚異的かつ脅威的な学習能力は、色んな意味で腐っても秀才と言ったところか。
だが——その浸蝕結界の能力詳細を知った俺には、新たに問いたださねばならない事柄が増えていた。
崎下の心はとっくに砕けてアヤカシのそれに堕ちてしまっている。そこに後悔はあれど最早迷っている暇もない。人を殺したアヤカシは、俺にとっては看過できない。倫理的にも生存競争的にも、その双方で、俺の中で倒す対象に入れざるを得ない。
ただ——ただその上で、俺は怒りを以て口にしなければならない気持ちがあった。
「——崎下、いやダークシトラス。
それのために何人殺した?」
「——いやさ根源坂。
お椀の中のご飯粒を毎回数えるやついるの?」
ダークシトラスは、呆れた風にそう言った。言ってのけた。
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