第29話「氷解」

「——乗りな」


 俺がカードショップ『黒緑』前に着くと、既に緑川ゲンスケさんが四駆の自動車を準備していた。

 すぐにでも現場に向かう——そういうことだろう。



「——で、実際のところどうなんです?」


 市街地を走る車、その助手席で俺は問う。


「——何って?」

「そりゃサカサヒガンですよ。……もうあるはずないんですけどね」

「そりゃごもっともな意見だ。あのアヤカシ、お前が食ったんだもんな」


 ——そうだ。

 サカサヒガン。通り名を含めた正式名称を【反転概念】リバースリリィ・サカサヒガン。

 そのアヤカシの能力を受けた存在は、


 反転するパラメータはサカサヒガンが指定可能で、対象に対する能力の回数制限も特にない、そのような規格外の能力だった。


 それゆえに、出現と能力の解析が行われた後——当時のアヤカシハンターたちによる総力戦が行われ、どうにか本人の浸蝕結界【芸都トンネル】への封印に成功した——そのような経緯があった。明治のことだそうだ。


 その後、まぁ色々あって、封印状態で超弱体化していたサカサヒガンを俺が食らった——そういう流れだったわけだが、だとすれば……そう、だとすればもうそこにサカサヒガンが残留しているはずもなかったのだ。


 サカサヒガンはダンジョン内に自生している植物ではなく、極級アヤカシであるのだから、俺がその残存魔力ごと食らい尽くした以上、もう存在しないはずなのだ。


「——大体、エリカさんたち解析班もサカサヒガンの反応をもう検知していないわけだし、そもそも、鮮凪アギトも特に言及してないんですよね?」


「——おっと、アギトの話も出るとなると、俺が最近までアイツと一緒にヨーロッパ行ってたことも知ってるみたいだな」


「知ってますし、鮮凪アギトが緑川さんを連れ回しているらしい状況から察するに、貴方がそれなり以上に信頼されていることもわかりますよ」


「——ん、そう言われると悪い気もしないな。

 ……ただ、」


 信号が黄→赤になりゆく中、緩やかにブレーキ。

 止まった車の中で、ゲンスケさんがチラリと俺の方へ視線を向ける。


「ただ、なんか別件を聞くために外堀埋めてんな? 穂村まりんのことか?」


「————おっと、やっぱさすがっすね、緑川さん」


「当たり前よ。俺があの子のこと知ってた上で黙っていた——そう考えてんだろ?」


 ——図星といえば図星。とはいえ、俺だって別に車内を険悪ムードにしたいわけではなく、ただただ純粋に、シンプルに、かつ合理的に、事の仔細を潤滑に円滑に滞りなく進めたいだけなのだった。


「別に疑ってたりはしませんよ。

 ただ——鮮凪アギト……さんからも『図書館』って伝言? みたいなものを、斬月さん経由で伝えられたんで——緑川さんも何か知ってたら教えてほしいって、そう思っただけです。それ以上の思惑なんて、本当に何もないですから」


 ——信号が青に変わり、アクセルが踏まれる。

 車の加速とほぼ同時に、緑川さんは話し始めた。


「——そうさな。まぁ、誤解のないように言うとだな。

 ……俺は確かに、発生直後の穂村まりんへの情操教育——それにちょっとは協力したよ。主に俺のスタンスやら、人間社会での倫理観とか、なんかそういう方面でな。

 けど、その時点で——つまり、一月ちょい前か——その時点ではまだ、そいつが穂村まりんであるとは知らされてなかったよ。ブラインド越しだったからな。だからてっきり俺はパソコンとかAIとかを模倣したアヤカシが発生したのかと、そう思ったわけだ。ブラインドの向こうにはなんかモニターしかありませんでした、みたいなな」


 ——なるほど。情操教育、ね。人間社会に馴染めるように、そういうことなのか。


 発生直後のアヤカシに対してそのような対応をして、そのまま協力者になってもらうパターンはなくもない。だが、上級クラス以上のアヤカシに対してそれが成功したのは極めて稀だろう。

 おそらく不完全顕現という事実を基に発生したアヤカシだったからこそ、それを実行できたのだと思われる。

 しかし、あれは半ば洗脳にも近い方法だから、それを穂村まりんが受けていたとすると、後ろめたさを感じる。彼女の俺への感情も、それら人間式の教育による刷り込みかもしれないからだ。


「——あー、根源坂? なんとなく察したけどよ、


「——え?」


「まぁ驚くのも無理はねぇ。でもよ、あの子は始めから、発生の起因となった——つまり、と接触したかったみたいなんだよ。で、そのために、とりあえず危険性の薄さを証明するってんで、協会本部およびアギトの麾下に入って、ついでに人間社会のことを勉強することになった——とまぁ、そういう流れなんだわ」


 ——そうだったとは。あいつ——穂村は、そこまでして俺に会いたかったってのかよ。俺は別に、君のことをそこまで強く想えないってのに。


「——つまり彼女は、の図書館でも色々勉強している、そういうわけですね」


「ま、そういうこと。

 場所まで絞り込めてるようだから言っておくけどよ、あそこはラプラス=ファタールの顕現失敗の場所であり——その事実を基にした穂村まりん、彼女の誕生の地でもある。

 だから、あの学校にいれば存在も魔力も安定するし、大人のアヤカシハンターじゃ情報収集しづらい未成年への聞き込みもしやすい——そういった理由もあって、アギトの提案で、深夜帯は人避けの結界を展開して住まわせている——そんな感じなんよ」


 ——色々混みいっているんだろうな、などと構えていたのだが、思っていた以上に事はシンプルで、関係者はみんな協力的で、何より、誰よりも俺が一番気を遣われていた。

 ——あぁ、ここ半年、心配かけたのかな、俺。


「——あの、ゲンスケさん」


「なーに」


「やっぱ俺、ここ半年スゲェ落ち込んでました?」


「じゃなけりゃアギトがここまでせんよ。

 あいつあれで面倒見良いからな」


「——そですか。

 じゃあ、もう俺も意地張るのやめます。けど、たぶんみなさんの期待には応えられないですよ」


 俺の発言の真意を汲み取ってくれたのか、ゲンスケさんは少し笑ってこう言った。


「——俺らはな、若い奴らが日々を楽しくやれてるなら良いんだよ。気にすんな」



 そうしているうちに、車は山間部へと入っていった。


 ——その先に潜むは、未だ消えぬ浸蝕結界。

 主人無き今もそこに佇む、【芸都トンネル】。


「——着いたぜ」

「——ここにいるんですね」


 いるというのは、サカサヒガンではなく。


「——ああ。ブラッドソード・プラウドハートの遺した眷属、その最後の一人」


「——俺のクラスメイト、なんですよね」


 ブラッドソード事件の際行方不明になったクラスメイト——崎下トオル。

 その成れの果てのことであった。

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